HuMA (NPO 災害人道医療支援会)

災害人道医療支援会(HuMA(ヒューマ): Humanitarian Medical …

HuMA (NPO 災害人道医療支援会)

災害人道医療支援会(HuMA(ヒューマ): Humanitarian Medical Assistance)という特定非営利活動法人です。国内外での大きな災害時に医療チームを派遣したり、災害医療にかかわる人々の教育研修を行っています。

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はじめまして、HuMAです

私たちHuMAは災害人道医療支援会(Humanitarian Medical Assistance)というNPO法人です。 国内外で大きな災害や人命が脅かされる事態が発生した時、 現地に医療チームを派遣し、人々の命と健康を守ることが、私たちの主なミッションです。 活動をしているのは全国各地の医療機関で働く医師や看護師たち。 日々それぞれの現場で病気やケガを乗り越えようとしている人々と向き合いながら、有事の際には被害に苦しむ多くの人を救うために尽力しています。 彼らはなぜ

    • 【#8林 晴実】一歩踏み出すことで、見える世界がある

      自分に何ができるのかは、行ってみなければわからない 今でこそそのような風潮は薄れつつありますが、私の幼い頃はまだまだ、外国籍を持つ人々への偏見が強かった時代。周囲の大人たちの心無い言動に触れるたび「国が違うからといって蔑んだりするのは違うのではないか」と、子どもながらに思っていました。 やがて、台湾出身の主人と出会い、結婚。文化や生活習慣の違いに戸惑う主人の姿や留学先で困難にあう子ども達の苦労を間近で見ながら「国の違いにとらわれず、困っている人の役に立ちたい」と考えるよう

      • 【#7前川 和彦】命を救うために最大限の力を尽くす

        即時の判断とチームワークが求められる救命医療の世界 1968年、大学を卒業した私は、外科医師としてキャリアをスタートしました。しかし外科の処置は決まった手順で行うことが多く、単調ともいえる日々に次第に物足りなさを感じるようになっていきました。 「もっと変化や躍動感を感じられる場に身を置きたい」そんな想いを抱いて渡ったアメリカの地で出会ったのが、外傷外科と重症患者管理の世界でした。 救命医療の最大の目的は、言葉のとおり、命を救うこと。一刻を争う状況の中で、私たち医師は即時の判

        • 【#6安芸 みな】悔いを抱える人が一人でも少なくなるように

          リレーをつなぐように現場を守る 大阪コロナ重症センターが稼働を開始して間もない頃、現場は深刻な人手不足に陥っていました。「短い期間でいいから力を貸してほしい」行政からの依頼を受けて、1週間から10日単位で各地から医療従事者が入れ替わり立ち代わり派遣され、リレーをつなぐように現場を守っているような状況でした。 私は、普段大阪府内の病院で非常勤の看護師として勤務する傍ら、リラクゼーションサロンの仕事にも就いています。急性期医療の経験もあり、自分のスキルが非常時の医療活動に役立

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        はじめまして、HuMAです

          【#5夏川 知輝】厳しい状況の中でも、今自分ができることがあるはず

          活動の原点は東日本大震災 「東北で困っている人たちのために、何か自分ができることをしたい」 2011年3月、大阪府内の病院で勤務していた私は、報道で伝えられる東日本大震災の凄まじい被害状況を前にして「とにかく行動をしなければ」と考えていました。 しかし、当時の公的な医療支援に関わることができる医療従事者は限られており、現地派遣が叶うのは病院の中でも特に経験の豊富な医師たち。医師になってまだ7年目だった私にチャンスは巡ってきません。そんな中で知ったのが、HuMAの存在でした

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          【#4北野 信之介】支援を求める人たちのために、知識と経験を積み重ねる

          高い専門性を持った救命士を目指して 「人を助けられる仕事をしたい」という想いが心の中に芽生えたのは、高校生くらいのことだったと思います。自分自身の記憶はほとんどないのですが、私は1歳で川崎病を患い、2歳の時には大けがを負った経験があります。家族から当時の話を聞く中で「今の自分は助けてもらった命。次は自分が人の役に立ちたい」と考えるようになりました。 高校卒業後の進路を決めようとしていた時、ちょうど日本体育大学で救命救急の専門コースが新設されることを知りました。従来、救急救

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          【#3山下 公子】支援活動は柔軟で、いろんな形があっていい

          幼い頃描いた医師の姿を追いかけて 人の命を救うブラックジャックに幼い頃から憧れていた私は「医師になればブラックジャックになれるはずだ」という、今思い返すととても単純な動機から医療の道を志しました。 そのためか、進学した大学で学問としての医療に直面した時、何とも言えない違和感を覚え「自分のやりたいことは何だろう」と悶々としながら学生生活を送っていました。 そんな中、ある講義で国境なき医師団のメンバーとして活動している医師の話を聞く機会がありました。外科や内科といった分野を

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          【#2宮本 純子】災害看護の現場と学術研究の場をつなぐ存在に

          “看護”という共通言語 災害人道支援のファーストミッションは2008年、中国西部大地震での活動でした。勤務していた兵庫県災害医療センターからJICAの支援チームの一員として派遣され、病院で現地の医師や看護師たちと連携しながら被災した人々の看護にあたりました。 中国と日本の医療従事者が入り混じる現場。しかし不思議と、次はどんな処置をすればいいのか、何を準備しておく必要があるのか、言葉で表さなくても互いに理解して動くことができました。 言葉の壁はあっても、私たちには“看護”

          【#2宮本 純子】災害看護の現場と学術研究の場をつなぐ存在に

          【#1鵜飼 卓】本当に支援を求めている人たちに、必要な支援を届けたい

          被災地には、温かい人の手による支援が必要だ 「日本の災害人道支援は遅れている。」私がそう感じたのは今から40年ほど前のことです。 1979年の秋、国内ではカンボジアの内戦による難民の悲惨な現状が、連日報じられていました。痩せた身体で子どもに母乳を与えようとする母親。その胸に抱かれている小さな赤ちゃんの顔にはハエが群がっている。メディアはそんな写真を取り上げては「日本は金銭的支援ばかりで人を派遣しない。現地で汗をかいて働く者はいないのか」と批判を繰り返していました。 その

          【#1鵜飼 卓】本当に支援を求めている人たちに、必要な支援を届けたい