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僕にとっての適応指導教室 〜不登校だった僕の話〜

不登校になりしばらくした頃
母から「教育支援センター(適応指導教室)に行ってみる?」と
聞かれた出席日数にもなるようだし
一対一だから大丈夫かなって行くことにした。

僕の時代、学校復帰が第一に考えられていた。
そんな中での適応指導教室は僕にとって
居心地が良くなかった。(今の時代は違うと思うけど・・・)

若い先生は当たった時は
 一緒にビートルズや松任谷由実ピアノを弾いたり
好きな話をしていたが

年齢の高いおじさんの先生に当たると

「〇〇はこう言うふうに考えればいいいんじゃない』
「そんなの大丈夫、大丈夫」

僕の気持ちより、学校に行かそうという
おじさんの言葉が気持ちが溢れんばかりに出て
きていた。

僕はこれ以上に傷つけられたくない思いで
どうやって相手の望む答えを見つけ
この場から逃げ出せばいいか ばかり考えていた。

この場所にいても何もいい方向変わる事がなく
ただ心が縮こまるだけに感じて行くのをやめてしまった。


その頃の僕は否定的な環境では
逃げ出す方法以外考えることは出来なかった。

考えることが出来たのはの
安全だと思えた場所だった。

でも、前向きに考えることが出来たのは
肯定的に受け入れてくれる環境があった時。

家族以外に僕のことを
信じてくれる人がいるって思えて心強かった。

心の中だけでも 何かあったら帰れる場所があるって
安心できる。

noteを見ているとたくさんの人が
そういう場所を作ろうと頑張っているのを見て
僕はとても嬉しい。


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