シナリオライターの長山豊です。 1988年に(株)ハドソンに入社し、以後ずっとゲームシナリオの仕事をしています。 ここでは、以前書いた昔話をまとめてみました。 もう時効かな? という話だけをまとめたつもりですが、問題ある場合はすぐに修正しますのでご連絡ください。 2024/02/08追記 この記事のイラストは、私が書いたアグネア(オクトラ2)です。 他の記事のイラストは、Microsoft Copilotで雑に生成した画像を貼ってみました。
昔、PC9801版「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」をPCエンジンに移植しました。 村人メッセージまで細かく丁寧に書かれたシナリオで、すごく勉強になりました。 その後、このゲームを海外版にリメイクするという話が持ち上がりました。 しかし、海外版はレギュレーションが厳しいため 「酒」や「奴隷」といった要素をシナリオから外してほしいと 担当のボブさんに言われました。 私はそれを聞いて頭を抱えました。というのも、このゲーム、 「酒」と「奴隷」がメインシナリオに思いっ切り組み込まれ
1994年にプロジェクトが立ち上がった「空想科学世界ガリバーボーイ」から 声優事務所ではなく、音響制作会社がボイス関連を仕切ることになりました。 そこでお会いしたのが、マジックカプセル(当時)の三間雅文さんです。 当時、収録現場ではみんなキャストのことを“声優さん”と呼んでいました。 しかし三間さんだけは、「僕は、声優さんのことを“役者さん”と呼んでいるんです」 と、そう言っていました。 現場でも役者さんに対して、最大限の敬意を払っている姿勢が見て取れて 例えば、ちょっと
2010年「おやこであそぼ ミッフィーのおもちゃばこ」という スクウェア・エニックスから出たWii用ソフトのシナリオを書きました。 この時、私はフリーランスで、札幌にある株式会社ハ・ン・ドさんという 開発会社の業務委託として働いていました。 「チョコボと魔法の絵本」「チョコボの不思議なダンジョン 時忘れの迷宮」 「チョコボと魔法の絵本 魔女と少女と5人の勇者」と3年間で3本のゲームを出し、次は何を作るのか? というときに担当の三上さんから 「今、シナリオ系の仕事、これし
広井王子さんのことを書いてみます。 広井さんが初めてセガに新規企画をプレゼンする際 「サクラ大戦」というタイトルしか思い付いていなかったそうです。 そこで広井さんはプレゼンの前日、硯で墨を磨って 毛筆で大きな紙に「サクラ大戦」とタイトルを書き それだけを持ってプレゼンに臨んだそうです。 「大事なプレゼンだから何十回も書き直して ようやく気に入った“書”が出来たんだよなぁ」 ……何十回も書き直す時間があったのなら その時間にタイトル以外の企画部分も考えればよかったのに…
1990年9月、「みつばち学園」というゲームが発売されました。 これは恐らく史上初のアイドルオーディションソフトです。 全国から選ばれた20人の女の子を実写ゲームに登場させ ユーザーが投票した1位の女の子を、ミスCD-ROM2として アイドルデビューさせるという企画です。 1989年3月に、青山スパイラルホールで制作発表と 女の子の水着審査が行われました。 写真家の野村誠一さんや、作詞家の秋元康さん ビクター音楽産業や、バーニングプロダクション 明星編集部の方などが審査
1994年、「空想科学世界ガリバーボーイ」というゲームの担当になりました。 これが原作者である広井王子さんと、初めて組むお仕事でした。 (……実はそれ以前にも「天外魔境Ⅰ」と「天外魔境Ⅱ」でご一緒していたのですが、いずれも途中参加だったのでカウントしていません) TVアニメの方が先に放送されたので、アニメ原作のゲームだと思われがちですが、実はゲームが先に作られ、その設定を元にアニメが作られました。 このため、ほぼゼロの状態から企画を作ることが出来ました。 広井王子さんをひ
ハドソンに入社した初日。 私はいきなり、営業部に配属されてしまいました。 もともと堀井雄二さんに憧れてゲーム業界を目指したため 当然、開発部を志望していたのですが 面接の際、副社長から「もし営業に配属されたらどうする?」と聞かれ 「社命であれば、従います」と言ってしまったため その通りになってしまったのだと思います。 午前中ずっと、営業部で扱っている“bee-r5”という機械のカタログを見ながら「これはまずいことになった」と悩んでいると、営業部のボスがやってきて「新人!