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空想科学世界ガリバーボーイ

1994年、「空想科学世界ガリバーボーイ」というゲームの担当になりました。
これが原作者である広井王子さんと、初めて組むお仕事でした。
(……実はそれ以前にも「天外魔境Ⅰ」と「天外魔境Ⅱ」でご一緒していたのですが、いずれも途中参加だったのでカウントしていません)

TVアニメの方が先に放送されたので、アニメ原作のゲームだと思われがちですが、実はゲームが先に作られ、その設定を元にアニメが作られました。
このため、ほぼゼロの状態から企画を作ることが出来ました。

広井王子さんをひと言で言うと「イタコみたいな人」です。
「このキャラって、どんなヤツですか?」と広井さんに聞くと

「どっかーん! ねぇねぇガリバー! これ見て! すっごいでしょー!」

……と、いきなりキャラが憑依して語り出すのです。
長い時には10分ぐらい、キャラの掛け合い込みで喋っていました。

この演技が素晴らしくて、ギャグっぽいキャラの時はみんなでゲラゲラ笑いながら、ホラーな展開の時は、ぞくっとしながら聞いていました。

ただ困ったことに、広井さんはこの状態で喋った内容を
次の日には、まるっと忘れてしまうのです。

このため、広井さんの喋った内容を全部ノートパソコンで書きとめつつ
足りない部分を私が加筆するような形でシナリオをまとめていたのですが
それをチェックしていた広井さんが……

「長山くん! この台詞、すっごくいいね!」
「いや、広井さん……それ、広井さんが言った台詞です」

……なんてことがよくありました。


「空想科学世界ガリバーボーイ」の企画は、当時“G計画”として
Vジャンプで大々的に取り上げて頂きました。

広井さん、芦田さん、神志那さんが、物語の舞台である
ベニス(ヴェネツィア)を取材旅行をしたりと
かなりお金もかかっていた記憶があります。

ちなみのこの取材旅行、ハドソンの偉い人は同行したらしいのですが
私は行ってません。仕方なく「地球の歩き方」を参考にシナリオを書きました。

しかしこの連載、プロジェクトが立ち上がる前から始めてしまったため
登場キャラクターなどをひととおり紹介した後は、急にネタ切れ気味になりました。

そこで仕方なく、「広井王子失踪!」という偽のスクープをでっち上げました。
原作者の広井王子が謎の失踪をしてしまったため、“G計画”が暗礁に乗り上げてしまった!
……みたいな内容を、広井さんの写真を使った漫画みたいな構成で記事にしたのです。

内輪では結構盛り上がったのですが、その後ちょっとしたトラブルがありました。
当時小学校低学年だった広井さんの息子さんが、この記事を読んでショックを受け、大泣きしながら広井さんに電話をかけてきたのです。

「ぐすっ……お、おとうさん……」
「おう、どした?」
「おとうさんが……失踪しちゃった……うわぁーーん!」
「……お前、今誰に電話かけてると思ってるんだ?」

Vジャンプ……なかなか罪深い雑誌です。


Vジャンプに関しては、私も被害者のひとりです。

当時、Vジャンプの窓口は野村さんという方でした。
Vジャンプ編集部に来る前は、週刊プレイボーイの編集をしていたそうです。

「電話取る時、『はい、プレイボーイの野村です』って名乗るの
最初はちょっと恥ずかしかったです」と言っていたのでよく憶えています。

たしかに「プレイボーイ」とか「素敵な奥さん」とか
名乗るのに勇気が必要な雑誌名ってありますね。

……話を戻します。
そのVジャンプ野村さんから「ゲームの開発日記を連載しませんか?」
と言われ、半ば強制的に「開発船長・長山のガリバー航海日誌」という名前
(正確なタイトルはちょっと記憶が曖昧です)の連載が始まりました。
……今思うと、よっぽどネタが無かったんだと思います。

第一回目の原稿は私が書いて、無事雑誌にも載りました。
しかし、第二回目の原稿を読んだ野村さんから
「もう少し、ジャンプ読者向けの文体にしてください」と言われました。
「**だぜっ!!」「**だよなっ!?」みたいな勢いのある文体で
もっと子供向けの内容を書いてほしいと言われたのです。

何度か挑戦したのですが、どうしても野村さんのOKが出ず
「ライターはこちらで用意するので、長山さんはゲームの開発に専念してください」
……と、やんわりとクビになりました。

紹介されたライターさんは、大人しそうな若い女性でした。
ゲームのことはあまり詳しくないようで、連載を進めてゆくにつれ、
どんどん「これのどこがゲーム開発日誌なんだろう?」という内容になってゆきました。
そのうちこのライターさんが暴走して「オレのち○ち○がボッキしたときの話」
とか書き始めて「いや、ちょっと待ってください!」と止めようとしたのですが、気付いたのは既に雑誌が出た後で、野村さんも「いやぁ、すみません」と笑ってました。(……絶対この人もグルです)

確かに下ネタは小学生に受けるでしょうけど……私の名前(本名)が
タイトルになっている連載で、その内容はさすがにダメじゃないかと思うのです。

……で、運悪く当時小学生だった私の甥っ子たちがVジャンプの読者で

「Vジャンプ読んだよ!(にやにや)」
「……あ、いや……ごめん。あれ、ゴーストライターが書いてるから」

私がそう言うと、義姉が子供たちに
「そんなわけないでしょ。恥ずかしいから嘘ついてるのよ」
と、決めつけられてしまい……ほんとのことなのに、信じて貰えませんでした。

Vジャンプ……ほんとに罪深い雑誌です。


「空想科学世界ガリバーボーイ」の音楽は、田中公平さんです。
初めてお会いしたとき、公平さんは私にこう言いました。

「僕、今まで曲がボツになったこと、一度もないんです」

これは責任重大だと思ったのですが
最終的に、素晴らしい曲ばかり上がってきたので
こちらからボツを出すことはなかったです。

……ただ、その前に「風雲カブキ伝」で公平さんとお仕事をしていた
ハドソン荒井さんにこの話をしたところ

「あれ? 私、カブ伝で公平さんにボツ出しましたよ?」

と言われたので、実はあれはジョークだったのかもしれません。

作曲に入る前、公平さんから「今ある資料、全部ください」と言われ
絵やシナリオなどをかき集めてお送りしたのですが
公平さんはその全てにしっかり目を通しているようで

「シナリオが面白かったので、僕も気合い入れて曲を書きました」

と、ほめてくださり、実際にものすごく気合いの入った曲が
上がってきた時は、本当に嬉しかったです。

作曲するスピードも、ものすごく早くて
資料をお渡しして一ヶ月も経たない深夜2時頃、会社のFAXがいきなり動き出して(当時は、メールなどがあまり普及していなかったのです)
ものすごい枚数の楽譜が送られてきたときは焦りました。

全部受信してから帰ろうと思い、ずっと待っていたのですが
結局1時間ぐらい経ってもFAXの送信が止まらず……
私は楽譜が読めないので、大量の意味不明な用紙たちを眺めながら

「……この人……すごいっていうか、怖い……」と思ったものです。


「空想科学世界ガリバーボーイ」は、イベントシーンをアニメーションで
見せるRPGでした。

8ビットマシンであるPCエンジンで、アニメーションを見せるのは
当時としては画期的でした。
ただ、この年既にプレイステーションやセガサターンが出てしまったので
動画の目新しさという意味では、だいぶ損をしてしまった感じです。

アニメーションは、芦田豊雄さんが代表をされていた
スタジオ・ライブで制作されました。
広井さんと芦田さんは、アニメの「魔神英雄伝ワタル」をヒットさせた実績があり、ガリバーボーイも「新しいワタルをやろう!」というコンセプトで
立ち上がった企画なのだそうです。

当時、REDの社員で、ガリバーボーイでは広井さんのアシスタント的な
仕事をしていた吉川兆二さんが、芦田さんにこう聞きました。

「ずっとキャラクターのデザインをしていて、ネタ切れになったりしないんですか?」

すると、芦田さんはこう答えたそうです。

「だって、世界中には何十億人もの人間がいるんですよ?」

……なんだか、すごい人です。

芦田豊雄さんは、2011年、病気のため67歳で亡くなりました。

ちょっと前、会社の元後輩がガリバーボーイの打ち上げのビデオを見せてくれて、その中で、広井さんや公平さん、声優さんたちに囲まれて楽しそうにされている芦田さんが映っているのを見て、胸が一杯になりました。


「空想科学世界ガリバーボーイ」で、広井王子さんのアシスタントをしていたのが当時、レッドカンパニーの社員だった吉川兆二さんです。

吉川さんは、会社に住んでいる人でした。
よく比喩としてそう言われる人は多いですが、吉川さんの場合は本当に住んでいました。優しくて面倒見のいい人だったので、会社の人たちから
「REDのお母さん」と呼ばれてました。(男性ですが……)

ガリバーボーイでは、広井さんが勢いに任せて書いたり喋ったりしたことの
矛盾を指摘したり、広井さんがスケジュールを守らなかったりしたときに
代わりに謝ったり、広井さんに無茶振りされたり……と、大変そうでした。

ただ、絵も企画もできる方だったので、アニメ会社とのパイプ役になったり
ご自身も別ゲームの設定やシナリオなどを担当されていました。

SFCで出た「カブキロックス」というゲームのシナリオも担当していましたが、そこで登場する女性四人組のボスキャラに「ええからだ四天王」と名付けるなど、特に駄洒落に関しては、独特のセンスとこだわりを持っている方でした。

ガリバーボーイが終わった頃にREDを退社され
フリーになってすぐ、ポケモンのプロデューサーになりました。
初代ポケモンのモンスターの中から、ピカチュウをピックアップして
主人公の相棒役としてアニメに登場させたのは吉川さんの設定だと聞いています。

2003年にゲームとフィギュアを連動させたゲーム「冒険遊記プラスターワールド」を企画したのも吉川さんです。このゲーム自体は全然売れませんでしたが、任天堂からamiiboが出た10年以上前に、この企画を出したのはすごいと思います。

吉川さんとは「ビックリマン2000」で一緒にお仕事をしたのですが
残念ながらこのゲームは、発売前に開発中止になってしまいました。


広井王子さんは、声優さんを常に細かくチェックしている人でした。

食事中、TVで洋画の吹き替えを見ていた時も
「ん? 今の声優、誰?」と名前を調べ
「この役にぴったりだ!」と、喜んでいました。

そんな感じでオファーを出したのが、エジソン役の大谷育江さんです。

当時、アニメに関しては「姫ちゃんのリボン」などで主役をしていましたが
ゲームに関しては、「空想科学世界ガリバーボーイ」が初めてだったはずです。

収録の時驚いたのは、大谷さんの声量です。
当時は大きなスタジオで、3人ぐらいが掛け合いでお芝居をしたのですが
大谷さんだけ、マイクのずっと後ろで声を出さないと音が割れてしまうのです。
あの小さな身体のどこに、そんなパワーがあるのだろうと不思議でした。

台本もものすごく読み込んでいて、書いた人が嬉しくなるような
お芝居をしてくれます。
それ以降「天外魔境第四の黙示録」「北へ。」と連続で出て頂きました。

その後、ポケモンのピカチュウ役で大ブレイクしますが
この役は、オーディションで選ばれたのだそうです。
当時、ポケモンのプロデューサーをしていた吉川兆二さんが
「それはもう、圧倒的でした」と言っていました。


「空想科学世界ガリバーボーイ」は、スウィフトの「ガリバー旅行記」を
元ネタにしています。
そのため、小人の国(妖精)、巨人の国(魔神)、馬の国(馬獣人)などがありました。空飛ぶ島ラピュータを元ネタにした天空城も用意されていたのですが、その天空城はなぜか、イスタンブールにありました。

「広井さん、これってもしかして……『飛んでイスタンブール』ですか?」

私がそう聞いたところ

「うん、そう」

と、あっさりそう返されました。

若い方は知らないかもしれませんが、昔そういう歌謡曲があったのです。
……全然、スウィフトとは関係ありません。

しかもこの天空の島に渡るために、わざわざ鳥山明さんがデザインしたメカが、アニメーションで飛び立つシーンまで用意されているのです。

この、やたら金のかかった駄洒落に嫉妬した私は
天空城にある町をこう名付けました。

天空の町ラマナイ

若い方は知らないかもしれませんが、飛んでイスタンブールの歌詞に
こんな一節があるのです。

♪恨まないのが、ルール


「空想科学世界ガリバーボーイ」の発売日直前、広井王子さんから、こう言われました。
「長山くん、じゅげむのレビュー、気にしないでね」

じゅげむというのは、当時角川書店から出ていたゲーム雑誌です。
広井さんにそう言われた時点では、まだその記事を読んでいなかったのですが「気にするな」と言われると、逆にものすごく気になってしまいます。

読んでみたところ、全体的に辛口なレビューのとどめに
このような文章が書かれていました。

「今どき、主人公の名前すら付けられない」

恐らく、これを書いた人の頭の中では、RPGは主人公の名前が付けられるのが当たり前のことになっているのだと思われます。

私も主人公の名前が付けられるRPGは大好きです。
でも、そうじゃないRPGを認めないという姿勢は
プロのゲームライターとして、ちょっとどうかと思うのです。

レビューにある「今どき」とか「すら」という言い回しには
まるで私たちの技術力が低いから、名前を付けたくても付けられないのだ
というような上から目線の決めつけが感じられます。
でも、違うのです。

ハドソンは、1989年に発売された「天外魔境 ZIRIA」からずっと
“喋るRPG”を作り続けてきました。
そして、声優さんのボイスを活かすためには、主人公の名前を固定にしたほうがずっと効果的だという、ある意味信念のようなものを持って
「天外魔境II 卍MARU」「天外魔境 風雲カブキ伝」と、一度もブレずに
“あえて主人公の名前を固定したRPG”を作ってきました。
「ガリバーボーイ」も、その系譜で作られた作品です。

主人公=ガリバーという設定をなるべく違和感なくユーザーに感じてもらえるよう序盤はなるべく仲間たちから「ガリバー!」「ガリバー!」とボイス付きのイベントやアニメーションで言わせています。

「今どき、主人公の名前すら付けられない」

この言葉は、そんな私たちの考えや配慮が全く通じていなかったということなので本当に残念です。あれから25年経った今でも悔しいです。

「ガリバーボーイ」が発売されてから8年後、「ファイナルファンタジーX-2」で主人公の名前が固定になりました。それ以降のFFも主人公の名前固定のものがほとんどだと思います。

あの記事を書いたライターは、「ファイナルファンタジーX-2」や
「ファイナルファンタジーXII」や「ファイナルファンタジーXIII」に対しても「今どき、主人公の名前すら付けられない」というレビューを書いたのでしょうか?
1999年に「じゅげむ」が廃刊になってしまったため、
確かめようがないのが残念です。


「空想科学世界ガリバーボーイ」は、結局5万本くらい売れました。
当時のセールスとしては、かなり残念な数字です。

ただ、この時期すでにプレイステーションやセガサターンが発売されていて
お店では、PCエンジンの販売コーナー自体が無くなっていたり
縮小されていたりしていたので、仕方なかったのかもしれません。

もう少し早く出せていればという反省もあるのですが
開発期間は1年半だったので、この規模のRPGをゼロから作ったことを考えると、だいぶ頑張った方だと思います。
遊んでくださった方々の反応は、だいぶ良かったと聞いています。

開発が終わった後、広井王子さんからこう言われました。

「長山くん、また一緒にゲーム作ろうね!」

その言葉がすごく嬉しかったです。
実際そのあと「天外魔境・第四の黙示録」「北へ。WI」「N,U,D,E,@」
「北へ。DD」と、ずっとお仕事をご一緒することができました。

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