広井王子さん
広井王子さんのことを書いてみます。
広井さんが初めてセガに新規企画をプレゼンする際
「サクラ大戦」というタイトルしか思い付いていなかったそうです。
そこで広井さんはプレゼンの前日、硯で墨を磨って
毛筆で大きな紙に「サクラ大戦」とタイトルを書き
それだけを持ってプレゼンに臨んだそうです。
「大事なプレゼンだから何十回も書き直して
ようやく気に入った“書”が出来たんだよなぁ」
……何十回も書き直す時間があったのなら
その時間にタイトル以外の企画部分も考えればよかったのに……
と、私はそれを聞いた時思ってしまいました。
でも、そんな風にノーアイディアでプレゼンに臨んでも
結果的になんとかなかってしまうのが広井さんのすごいところです。
サクラ大戦に関しては、広井さんから以下のような話も聞きました。
・「パトレイバー」+「はいからさんが通る」をやりたかった。
・光武に関しては、たまたま寺沢武一先生のCGアシスタントをしていた人がREDに入社してきたから、そいつの描いたメカを使った。
・シミュレーションゲームにしたのは、ちょうど「大戦略」を作ったチームのラインが空いていたから。
・田中公平さんと一緒に「昭和歌謡」がやりたかった。
……どう考えても、その場のノリと勢いで作っているとしか思えません。
でもそれで結果的にあの大ヒット作が出来上がってしまうのです。
各キャラのテーマ曲(ボーカル版)を聞かせてもらった時も
「すごくいい曲ですけど、これ……ゲーム内のどこで使うんですか?」
と私が聞いたところ
「いや、まだ考えてない」
……と即答されてしまいました。
ゲームの予算を使って作るので、使い所を考えて発注するのが普通だと思うのですが、その辺のことを全く気にしないで作っています。
でも結果的にサントラも大ヒットし、歌謡ショウまで発展することになるので多分、間違っていたのは私のほうなのだと思います。
広井さんとは「空想科学世界ガリバーボーイ」「天外魔境第四の黙示録」
「北へ。WI」「北へ。DD」「N.U.D.E.@」と5作お仕事をご一緒していて途中から参加した「天外魔境2」「天外魔境3」なども含めると7作になります。
その間、広井さんからいろんなことを学んだ気がするのですが
じゃあそこで得たものをどう活かしているのかと聞かれると
「ちょっと私には真似できないことばっかりやってるから活かしようがない」としか言えません。
2002年から2003年にかけて、広井王子さんと一緒に
「北へ。Diamond Dust」というギャルゲーを作っていました。
これは、1999年に発売された「北へ。White Illumination」の続編です。
「どんなキャラを出す?」というネタが一通り出尽くした後
広井さんがこう言い出しました。
「隠しキャラとして、男を入れたいんだけどどうかな?」
「ギャ、ギャルゲーに……男ですか?」
私は思わず聞き返してしまいました。
「攻略対象に、男を入れるってことですよね?」
「うん、そう。性同一性障害のキャラで、姿形は女の子」
「でも……プールのシーンで、水着姿になるんですよね?」
「もちろん」
「エンディングでキスする設定なんですけど……男同志でキスを?」
「もちろん。あ、主人公の高校時代の親友って設定にしよう。
……で、ひさしぶりに会ったら、女になってた」
「まじですか?」
まだ“男の娘”なんて言葉が普及する前の話です。
先見の明があるというか……時代を先取りしすぎていて
正直、私はかなり戸惑っていました。
ただ、書くなら真剣に書かなければいけない。
特にこういうのは心の問題なので、茶化したりギャグで誤魔化したりするのは絶対にやめようと、自分なりに勉強して真剣にシナリオを書きました。
男の格好をしている時は、窮屈そうで影のある感じに。
逆に女の格好をしている時は、開放的で誰よりも女の子っぽく……
そんなことを心がけながら書いたつもりです。
このゲーム自体は、ファミ通で3点付けられるような残念な結果でしたが
でもこの隠しキャラに関しては、評判が良かったと記憶しています。
……もう17年も前の話です。
そして、最近知ったのですが、小西真冬という漫画家さんのプロフィールに
こう書かれていました。
22歳のときにゲームに出てきた性同一性障害で女装しているキャラを見て、
自身の女性性を認識
……ひょっとして、これは「北へ。DD」ではないか?
そう思って調べてみると、ご本人のブログを見つけました。
そのゲームは隠しキャラで性同一性障害の高校時代の親友が
攻略対象として出てくる意欲作!!
自分に素直になれず、だけど男としての日常に納得がいかない葛藤を
細やかに描写したストーリーは私の心に大きな波をもたらしました
気持ちって、ちゃんと通じるものなんだなと、すごく嬉しかったです。
昔、Xboxで広井王子さん原作の「N.U.D.E.@」というゲームを作っていた時の話です。
マスターが上がったくらいの時期に、初代Xboxの販売終了が決まり
Xbox事業部も解散することになってしまいました。
我々のゲームは、かろうじて発売することができたのですが
そんな状況なので、あまり売れませんでした。
ただ、当時プロデューサの方から聞いた「Xbox事業部最後の日」のことが
ちょっと印象的だったので書いてみます。
その日、プロデューサの方が出社したところ
会社のネットワークが切断されていたそうです。
すぐに全員が会議室に集められ、偉い人から事業部の解散を聞かされました。
説明後、デスクに戻ると警備員さんがいて、私物と会社の物をひとつひとつ
警備員さんに説明しながら仕分けさせられたそうです。
名刺などはNGで、完全に個人の持ち物だけが持ち帰り可能でした。
ハードディスクの中身もいちいち説明させられたため
個人的な動画などを持ち帰りたい場合は、警備員さんと一緒に視聴して
その中身を確認したそうです。
この作業が長く続いたため、お昼にはお弁当が出たのですが
さすがに可哀想だと思われたのか、普段は出ない1000円のステーキ弁当でした。
それを食べながら全員でテレビのニュースを見ていたのですが
ちょうどイラク戦争の最中だったため、米軍の「衝撃と恐怖作戦」が報道されていて「こっちが衝撃と恐怖だよ……」と内心思っていたそうです。
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