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【短編小説】エヘワイ博士は怒っている

ここはエヘワイ研究所。
街一番の怒りん坊、天才エヘワイ博士が暮らしている。
笑顔を嫌うエヘワイ博士は、どうも何かを企んでいるようだ。



エヘワイ博士は怒っていた。エヘワイ研究所の前で腕組みをして、ムッツリしている。

そこへ街の若者ギムニーがやってきた。
「あの...博士。...約束の時間に遅れてすみません」

ギムニーがボソボソと謝ると、エヘワイ博士は
「うむ、それはよい」
と頷いた。しかしまだ怒った様子だ。

「あの...何かあったんですか?」

「ふむ。聞いてくれ」

エヘワイ博士は鼻をフンと鳴らし、少し間をおいてから話し始める。

「人生は辛くて、深刻で、ムツかしい。
だのにこの国の連中は呑気に、ともすれば笑顔を振りまいて暮らしている。
連中は間違っている。それでいいはずがない。もっと眉間にシワを寄せて、陰気に暮らすべきなのだ!そうだろう?
ワシは王立学会でそう主張した。
すると他の学者たちは、
『笑顔で暮らすことはいいことですよ』
『せっかくの人生、楽しんだほうがいいですよ』
などと抜かしおった。
阿呆ばかりで全く話にならない」

エヘワイ博士は腹立たしげに言う。
ギムニーはおずおずと、

「はあ。...それで、僕を呼び出したのはなぜですか?」

と尋ねた。

「ああ、君を呼び出したのは他でもない。ワシの助手になってほしいからだ。
ワシは王立学会を辞めて個人的に研究を続けることにしたんでな。人手が必要なんだ」

「はあ。...あのう、それは光栄ですが、僕は大工なので、研究とかそういうのはさっぱりでして」

「もちろん分かっとる。だがそれはよいのだ。大事なのは、君のそのムスッとした顔だ。
この街の連中はいつもニコニコしておる。道ですれ違っただけで挨拶までしてくる始末だ。全くけしからん。
その点、君は良い。君はいつもうなだれて、陰気で、ワシにすれ違い様に挨拶をしてきたことなんて一度もない。実に立派なことだ!
そういう人材をワシは求めているんだ!」

「...はあ」

「ほら、そのパッとしない表情!さすがだ!
さあ、明日から私の家で研究を始める。給料もきっちり出す。ギムニー君、もちろん来てくれるな?」

褒められているんだか、けなされているんだか。
何がなんだか分からないまま、ギムニーの新しい職場が決まった。



エヘワイ博士は怒っていた。つま先を小刻みに動かし、イライラしている。
エヘワイ博士の視線の先には、ギムニーがいた。

二人がいるのは、エヘワイ研究所の温室だ。
温室には大小様々な植木鉢が並んでいる。ギムニーはエヘワイ博士の指示でそれを並び替えたり、植替えたりしていた。
なかなかの重労働である。ギムニーは憂鬱な表情で、のそのそと作業を行なっていた。

博士は痺れを切らし、口を開く。
「ギムニー君。君は何度もため息ばかりついていてとても陰気だ。素晴らしい心掛けだな。
なのに、作業はどうも要領が悪く、ノロノロしていて捗っていないようだ。なぜかね?」

「はあ...」

「そうか、わかった!この研究の目的が分からないからだな?いやいやすまなかったな、説明しよう」

ギムニーは、やる気が出ないだけなんだけどなあと思いながら、しかしそれを言うとエヘワイ博士が怒りそうだから黙っていた。
そんなことは露とも知らないエヘワイ博士は説明を始める。

「この研究は、名付けて『マンドラゴラ計画』だ。
マンドラゴラとは幻の植物で、根っこの部分が人型に育つらしい。その根っこには顔があり、意志もある。そして土から掘り起こすと、この世の終わりのような叫び声をあげると言われておる。その声を聞いたものは錯乱し、不幸のどん底に突き落とされ、一生笑うことなどできなくなるそうだ。
この国の能天気な連中を陰気にさせるためには、理想の植物だろう?
ワシは各地に残る文献を集めてきた。そしてマンドラゴラを再現し栽培すべく、日夜研究中なのだ!ちなみにこれは極秘だぞ」

エヘワイ博士は胸を張った。しかしギムニーにとっては話がムツかしく、ほとんど理解できなかった。結局ギムニーは、給料がもらえればそれでいいかと考え、それからもエヘワイ博士の助手として働くこととした。

それから数ヶ月。ついに試作のマンドラゴラ1号が育ち、収穫の時期を迎えた。エヘワイ博士とギムニーは耳栓をする。そしてそれを根っこから引き抜いた。
しかし根っこはひょろひょろと細く、人型とはとても言えなかった。
失敗だった。その代わり、マンドラゴラ1号の茎の先には果実が実っていた。

「果実はできないはずなんだがなあ。栄養が果実に集まってしまったことが原因のようだな」

果実は手のひらほどの大きさで、形は玉ねぎのようだった。エヘワイ博士は果実を指でつついてみた。それとても柔らかく、ふわふわしていた。エヘワイ博士は味見してみる。

「...妙に甘いな」

ギムニーも一口舐めてみた。

「ムースみたいだ...」

「これは失敗作だな、捨てるほかない」

「...まるでケーキだ」

「ん?」

「甘い部分と酸味のある部分がマーブル状になっていて、バランスが絶妙だ...」

「何を言っているんだかさっぱり分からん」

「...実は僕、甘いお菓子が好きなんです。これはとびっきり美味しいです、街のケーキ屋よりもずっと。これは売り物になりますよ」

「ケーキなどワシは興味ないな」

「...エヘワイ博士、僕にやらせてもらえませんか?売れれば研究の資金になりますよ」

「フン、どうだかな」

そう言ってエヘワイ博士は腕を組み、そっぽを向いた。そしてまたイライラしたようにつま先を小刻みに動かし、少しの間考えてから、ため息をついた。

「...まあ、研究資金が稼げるなら、それにギムニー君がどうしてもと言うなら、許してやらんでもない」

「ありがとうございます、頑張ります...!」

こうして、エヘワイ博士が温室でマンドラゴラの研究をする一方、ギムニーは失敗作から生まれた不思議な果実を商品として、研究所の一角でケーキ屋を始めた。

研究は失敗続きだった。なぜか見事なケーキの木が次から次へとできた。ケーキは色とりどりで美しく、この上なく美味しかった。ギムニーがそれを売ると、すぐに評判となった。
あんまり売れるものだから、ギムニーは

「きちんとしたお店が必要です」

と言い出した。エヘワイ博士は適当に

「ああ」

と生返事を返した。
ギムニーはすっかりその気になり、さっそく工事に取り掛かった。ギムニーには大工の経験があった。しかし、こんなにも熱心に工事をしたことはなかった。そしてものの数日で、エヘワイ研究所は温室以外のほとんどがケーキ屋へと生まれ変わった。
驚いたのはエヘワイ博士だ。

「ギムニー君。ずっと何かしているなとは思っていたが、これは一体?」

「あ、エヘワイ博士、おはようございます!許可を頂けたので、お店に改装しました!」

「何!?...そういえばそんな話をしたような...」

研究所の前には、小さな『エヘワイ研究所』という看板の上に『エヘワイケーキ店』という大きな看板が立っている。研究所の中はすっかりおとぎ話に出てきそうな可愛らしい内装になっていた。

「改装の資材は今までのケーキの売上げで賄ったのでご心配なく。さあ、そろそろ初日の開店時間です!朝食は用意してありますから、エヘワイ博士も召し上がったら裏の温室で作業を始めて下さい!」

そう言ってギムニーは準備を始めた。店の外には、ケーキ店開店を聞きつけた耳の早い連中が列を作り始めているようだ。

ギムニー君よ。
君は見違えるようにテキパキと働くようになった。大変結構だ。しかし、表情まで明るくなってしまって、あの陰鬱だった君はどこへ行ってしまったのか。
エヘワイ博士は朝食を食べながら、

「まったく!...ため息ばかりでうなだれている君に一日も早く戻るんだ。それこそが君の才能だ」

と呟いた。



エヘワイ博士はますます怒っていた。
昨日のことである。
エヘワイ博士は様子を見にケーキ店に顔を出した。お客はオープン以来徐々に増え、まだ数週間だというのに大変繁盛していた。
すると、お客である近所のマダムの集団がエヘワイ博士の姿に気がつき、話しかけてきた。

「エヘワイ博士、ステキなお店ですねえ」
「ケーキがとっても美味しくって、もう毎日のように通ってますのよ」
「うちの子供も大のお気に入りで、買って帰るととっても喜びますのよぉ」
「お上品なお味で、一口食べただけで幸せな気分になりますわ。エヘワイ博士って、ケーキ作りの才能まであるんですのねぇ」

マダム達はエヘワイ博士を褒めちぎった。エヘワイ博士が何か言おうとしても、ピーチクパーチクさえずるように喋り続け、口を挟む隙もない。そしてオホホ、アハハと愉快そうに笑うのだった。
ワシを取り囲んであんな大口を開いて笑うとは、なんたることだ!

それだけではない。
ケーキ屋はすっかり評判になり、やがて新聞社の記者が取材にやってきた。
ケーキ作りの秘訣についてインタビューされたエヘワイ博士は、カンカンに怒り
「こんなもの、価値のない失敗作だ!迷惑だから帰ってくれ!」
と追い返した。
フン、今度はガツンと言ってやった。そう思っていた。

すると今朝の紙面にはこんな記事が出た。
『絶品のケーキでおなじみのエヘワイケーキ店。オーナーのエヘワイ博士は、ケーキを『失敗作』と言う。それは、もっともっと美味しくなるよう日夜試行錯誤を重ねていますという意味の、博士流の言い回しだろう。職人気質でちょっと頑固だが、そのケーキはやっぱり絶品。食べただけで笑顔になるケーキは、エヘワイケーキ店だけ!』

エヘワイ博士は新聞をビリビリに引き裂いた。
なんたる無礼!なんたる侮辱!
エヘワイ博士は顔を真っ赤にしていた。

人々を不幸のどん底に陥れるマンドラゴラを、一日も早く完成させねば。
エヘワイ博士は研究の完成を急いだ。


エヘワイ博士は、その日は怒っていなかった。
それどころか、油断すると笑顔になってしまいそうだった。だから、イカンイカン、と一生懸命眉間にしわを寄せ、唇を噛んだりもごもごさせて、どうにか笑いを堪えていた。
そう、ついに、今度こそマンドラゴラが完成したのだ。

「ギムニー君。ワシはついにやったぞ。マンドラゴラ20号にして、ついに完成だ」

「そうですか。でも博士、毎回そう言って失敗してますよ」

「確かに今まではそうだった。しかし見てみろ、今回のは果実が実っていない。それに耳を澄ましてみろ。土の下からかすかに声が聞こえるんだ」

ギムニーはマンドラゴラ20号の根元に耳を近づけた。確かに声がするではないか。今までとは明らかに違う。

「ギムニー君、それ以上は危険だ。もしかしたら、声を聞いただけで即死してしまうほど凶暴なものができてしまった可能性もあるからな」

「な、なるほど」

二人の間に緊張が走る。
二人は入念に耳栓をした。
それから一息にマンドラゴラ20号を引き抜いた。

それは、文献のとおりの人型だった。顔があり、しっかりと手足もある。土にまみれた顔はどこかおどろおどろしい。
マンドラゴラは大きな声をあげた。

「ワアアアアアアアアア!!!」

手で目を押さえている。
そして何か口を動かしているようだ。

...何かを喋っている?
ギムニーはそう思い、意を決して耳栓を外した。
マンドラゴラは

「眩しい!!眩しい!!」

と言っていた。ギムニーは慌てて照明を暗くした。

「もう大丈夫、暗くしたよ」

ギムニーがそう言うと、マンドラゴラは目を押さえていた手をそっとどけて、目を開けた。

「ああ、よかった。大きい声を出してすみません、生まれてこのかたずっと土の下にいたもんだから、明るい所は初めてでして」

そう言ってマンドラゴラはぺこりと頭を下げた。ギムニーは拍子抜けしながら、

「ああ。...そうなんだ」

と言った。マンドラゴラはギムニーに

「それで、あなたは?」

と訊いた。

「ええと、僕はギムニー。こちらはエヘワイ博士で、君を生み出した人だ。あ、エヘワイ博士、耳栓外して下さい。大丈夫そうですよ」

「んん?あれ、ギムニー君、耳栓を外してるのか。大丈夫か?」

「ええ、声を聞いてもなんともないです。残念ながら」

マンドラゴラはエヘワイ博士をじっと見つめている。そして

「僕を生み出した人...?すごい、ありがとう!」

とエヘワイ博士に飛びついた。

「なんだ、なんだあ?」

エヘワイ博士は慌てた。マンドラゴラはエヘワイ博士の白衣に頬ずりをしている。それから、ふと

「なんだか甘い匂いがする」

と言った。ギムニーは

「ああ、それはエヘワイ博士が育てた果実の匂いだよ。ほら、これ。食べてみて」

と言って果実を差し出した。マンドラゴラは一口食べると

「美味しい!」

と跳び上がった。

「そうだろう?僕はこれをケーキとして売るお店をやっているんだ」

とギムニーが胸を張る。

「うわあ、ギムニーすごい!」

「えへへ、そう?よければお店を案内するけど、見に行くかい?もっといろんな種類のケーキもあるんだよ」

「見たい、見たい!」

そうしてギムニーはマンドラゴラを連れて、温室を出て行った。取り残されたエヘワイ博士は、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。

しばらくしてギムニーが戻ってきた。マンドラゴラはギムニーの肩に乗り、にこにこ笑っている。ギムニーは

「エヘワイ博士、マンディーが、ええと、マンドラゴラだと呼びづらいし可愛い名前がいいと思ったのでマンディーと呼ぶことにしたんですが、それで、ケーキ店をとても気に入ってくれたんです。最近お客が増えて僕一人では手が回らないので、マンディーにも一緒に働いてもらおうと思うんです。いいですか?」

エヘワイ博士は話についていけないまま、

「...はあ」

とだけ返事をした。

なんでこんなことに...。
エヘワイ博士には、もはや怒る気力もなかった。



マンディーの顔や体を洗って土を落とすと、つるんと綺麗な白い肌となった。さっぱりすると、その笑顔も一段と輝いて見える。そして翌日からマンディーはケーキ屋の店頭に立った。ギムニーとお揃いのエプロンは、とてもよく似合った。
新しい小さな店員さんは、とても可愛いと瞬く間に評判となった。ケーキ店の売上げはさらに伸び、お客はひっきりなしにやってきた。

一方、エヘワイ博士は温室で研究を続けていた。

「ようやく完成だと思った20号もダメだった。全く不幸を振りまきやしない!凶暴性のカケラもない!挙げ句の果てに、愛想が良いなど言語道断!!
さて、今度の新しい品種は配合をまるで変えたからな。そろそろ収穫時期だが、どうかな...」

そこへギムニーが入ってきた。

「エヘワイ博士、12号と14号が品切れになりそうなので、収穫して行きますよ!」

「はいはい、持っていけ!」

「あれ、新しい品種ですか」

「うむ、配合を大きく変えてみた。なかなか毒々しい色に育っている。どう思うかね」

「うーん。なんだかいい匂いが...」

「ん?そうかね?」

「これは...ブイヨンスープ?エヘワイ博士、次はレストランを始める気ですか?」

「...何ー!?」

「エヘワイ博士は料理の才能があるのかもしれませんね」

ギムニーが笑いながらそう言うと、

「笑うなギムニー!また失敗か!!」

と、もうカンカンだ。

どうやらエヘワイ博士のマンドラゴラ計画が成功するには、まだまだ時間がかかりそうだ。



ここはエヘワイ研究所。
街一番の怒りん坊、天才エヘワイ博士が暮らしている。
今では併設するエヘワイケーキ店のほうが有名だ。
笑顔を嫌うエヘワイ博士は、今では街の笑顔を一番生み出している。
それでも耳を澄ませてごらん。
エヘワイ博士の怒った声が、ほら、今日も聞こえてくる。

おわり

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