世界史における中世のはじまりについて

世界史において、気になる事柄はとても多い。古代から中世への移行がいつなのかもその1つである。そこで今回は中世のはじまりはどのあたりが有力なのかを検討してみたい。

1 5世紀後半(476年)
西ローマ帝国の滅亡を基準にしたもの。最後の皇帝がゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより廃位されたことが古代が終わり中世が始まったという根拠となっている。しかしながら、その当時は東にもローマ帝国は存在しており15世紀まで存続していること、またローマ由来の元老院がこの後も続きオドアケルや東ゴートも西ローマの統治システムをほぼ流用いて旧西ローマ帝国領を支配しているため、この基準は西洋中心史観寄りになってしまいがち。

2 7世紀半ば(651年)
ゾロアスターを国教としていたサーサーン朝の崩壊を基準にしたもの。これ以降、イスラーム教が西アジアや中央アジア方面に拡大し、それまでのゾロアスター教優位からイスラーム化へと変わるので、今までとは違う方面に大きく変化するという点においては納得のいくものである。ただゾロアスター教優位はすぐには覆らず、イスラームが優勢になるには長い時間を要していることもあり、これを基準にするならば緩やかに移行したと考えてもいいかもしれない。

3 7世紀の終わり(698年)
ウマイヤ朝によるカルタゴの陥落を基準としたもの。この出来事以降、東ローマ帝国が北アフリカ地域において優位に立つことが無くなり、また地中海の西側がイスラーム優位に塗り替わるため、長らく続いたローマを中心とした地中海世界が終焉したことで移行したとみなすことも可能。また、この時期に北アフリカにいたベルベル人が一気にイスラーム教を受容したので、その点でも大きな変化と言える(ベルベル人は後にウマイヤ朝によるイベリア半島の征服に大きく貢献することとなるので、そのことも明確な変化とみなせる)。

4 8世紀の初め(711年)
ウマイヤ朝による西ゴート王国の崩壊を基準としたもの。この後、イスラーム教徒によるイスパニア支配がおよそ800年近く継続され、それに対抗するためにキリスト教徒側による回復運動(レコンキスタ)が行われることとなった。スペイン・ポルトガルを中心にみていくならば妥当なところだろう。

5 4世紀の後半(392年)
ローマ帝国のキリスト教の国教化を基準としたもの。この後にオリンピアでの競技が廃止され、またエジプト地域でのイシス崇拝が衰退し徐々に消滅していくので、精神的にも宗教的にも大きな変化を遂げたと考えることができ、中世への移行という点においては有力だろう。しかし、ローマの統治機構は大きくは変わらず、またローマ中心の地中海世界という概念も継続されているので、それらも考慮するとキリスト教史観寄りになってしまうかもしれない。

以上、考えられる中世への移行の時期を取り上げてみた。どれも断定することは難しく、立場や見方によっても大きく変わるので基準とするところが違えば結論もまた異なるだろう。もしかしたら他にもこれだと思えるものはあるかもしれないので、探してみると面白くなりそう。

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