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シルバニアファミリー森の雑貨屋さんを祖母に渡さなかった孫の話

先日のマメルリハ関連の記事で、祖母の葬儀のため弟が来て、我が家のマメルリハ・シャルが彼に普段遣わない気を遣った話を書いた。

そこではさらっと流した祖母の死だが、ちょっと気持ちに整理をつけたくて、長らく下書きに眠らせていた文章を完成させることにした。眠らせてしまっていたのは、小さいことなのに祖母に対する恨みがましい気持ちが止まらなくなり、書いていて当時自分がイヤになってしまったからだ。

でも、もういいや。
なくなった祖母について罰当たりなことを書いているため、おばあちゃん子だった方など途中不快になってしまうかもしれないがご容赦ください。

シルバニアファミリー森の雑貨屋さんとは

どちらかといえば女児向けのおもちゃシリーズの「シルバニアファミリー」。私は子供の頃「赤い屋根の大きなお家」(当時のモデル)と「森の雑貨屋さん」でよく遊んでいた。

焦げ茶色のクマの家族(父が間違えて買った)とクリーム色のウサギの家族(ほんとに欲しかった方。その後時間をかけて買い集められた。)と共に、家や店内レイアウトを考えて遊んでいた。

森の雑貨屋さんは、昔の海外ドラマ「大草原の小さな家」シリーズに出てくる町にあるような雑貨屋さんだ。お菓子や缶詰、ジャムや瓶に入ったお酒やジュース、服を作るための生地などを取り扱っている。

商品は小さな動物の人形たちに合わせたサイズでとってもかわいい。が、小さすぎて特にキャンディーとキャンディーボトルとその蓋などが無くしやすそうだった。そのため母がわざわざキャンディーはキャンディーボトルに詰めて、蓋を接着剤で塞いでくれていた。

購入時は瓶のラベルなどは、シールで別になっていて、1枚1枚地道にピンセットで貼ってくれた。失くしやすい小ささ以外に、遊べるまでに手間もかかっている事も含めて母に説明され、「失くしちゃだめ」と念を押されていた。

私は素直に母の言う事を理解して、無くさないよう細心の注意を払って遊び、1つも雑貨屋さんの雑貨を失くさなかった(家族内でいまだにちょっと自慢する)。

破られた約束

大切に遊んだシルバニアファミリーは、思い入れが強くて遊ばなくなっても私はずっと手放さずにいた。

私が中学生になった時、それらを当時はかなり離れて住んでいた祖母のところに送ってくれないかと打診があった。祖母の近所に住む私と歳の離れた従妹たちに私のシルバニアファミリーで遊ばせてやりたいとう祖母の希望があったのだ。

私は少し迷った。赤い屋根の大きなお家の方にも細かい日用品がたくさんあり、家具も今なら欧米のアンティークみたいなデザインばかりで、幼すぎる従妹たちが大切に遊んでくれるか不安だった。

実際もう遊んでないからあげても良いじゃないか、と自分でも考えはしたがどうしても首を縦に振れない。母を介して説得された。最終的に私は、赤い屋根の大きなお家とクマ家族とウサギ家族を「貸す」ことに同意した。森の雑貨屋さんは貸さない。母がきちんと工夫して蓋の糊付けまでした方はイヤだ。これでもケチな私の精一杯の譲歩だった。

そして結局送ったシルバニアファミリーは、あまり遊ばれずにしばらく保管されることになった。祖母は私が丁寧に扱ったように他の孫娘たちが遊ぶことを期待していたが、与えたタイミングが早すぎたのか思うようにならなかったのだ。私は従妹たちが大きくなってシルバニアファミリーで遊べるようになり、またいらなくなってから返してもらおうと待つことにした。

そして時は流れ、大人になった私はシルバニアファミリーを返してもらいそびれていた。そろそろ返してもらおうとした事もそれまでにあったが、祖母の物が色々保管している部屋の奥深くで分からないと言われ、整理して出てきたら返してもらおうと待っていた。

手元に残した森の雑貨屋さんは、あまり古びれずほとんどちゃんとしていたので、いつか私に子どもができたり、我が子に準ずるような大切な子と一緒に遊びたいと思っていた。その子が古いシルバニアファミリーを気に入らなくても思い出として私がまだ持っていたかった。

しかし貸したはずのシルバニアファミリーは祖母の家から消えた。祖母自身もどうしたか覚えていないと言う。

私のシルバニアファミリー以外にも、母が祖母に同様に言われて「貸していた」私と弟の服も無くなっていた。

10年ほど前から私が祖母の近所に住むようになった時、「娘(私の母)が何でもいらないものを自分の所に送り付けては置いていくので片付かない」と祖母が言っていた。母はそんな事はしていなかった。祖母が欲しいとか貸してとか言ったものしか送ってない。捨てた方が早くてコストがかからないようなものすら、祖母が言うので仕方なく送っていたのを私は知っていた。

嫌な予感がして探しに行ったが、どこにもシルバニアファミリーは無かった。ちょうど私が病気療養中だったこともあり、これはかなり心身にダメージだった。祖母が捨てたのか誰かにあげたのかすらも覚えていないのに「歳だからしょうがない」では済ませられなかったが、どうしようもない。小さな日用品たち、かわいらしいアンティーク家具、間違って買われてショックだったクマ家族もやっと集めてもらったウサギ家族もみんな一つ残らず無くなった。

こんなことになるとは思わなかったが、森の雑貨屋さんをまるごと残したのは結果的に正解だった。

祖母の性格

祖母は自分が「これが好き」「これが正しい」「こうしよう」と思ったら、それ以外を絶対受け付けない人だった。私が彼女の初孫で、その時祖母も若かったから、彼女の思う「ちゃんとした子」じゃないと容赦なく怒られた。

他の孫たちは私と歳が離れていて、祖母も歳をとって私を叱ったようには叱られなかったが、代わりに歳の近い子同士比較されて差別を受けた。内孫の長男は猫可愛がりして、その他の子は可愛がらなかった(私は一人年上だったので、比較対象外の初孫特権)。

同じ過ちを内孫長男は不問、その他の子たちは眉を顰められ、特に弟については母に「しつけがなっていない」となじった。もちろん「しつけがなっていない」の基準は祖母だけのものである。

そして祖母はそんな自分を「孫を平等に可愛がる思いやりあるおばあちゃん」と認識していた。これは祖母にとって子どもたちにあたる母たち兄弟に対しても同様で、実質母は使用人の扱いだった。

また子どもたちが自分の思い通りにならないと「育て方を間違った」と親戚や他人に愚痴をこぼしていた。自分はこんなに良い母親をしたのに、とほのめかしつつ。

それを聞いた人たちは、祖母の言い分の信憑性はともかく、たいてい祖母を慰める。そして祖母の耳に心地よいことを言う。それにすぐ気を良くした祖母が、自分の持ち物をあげているところを私は幾度か目にした。そしてこの感じで私のシルバニアファミリーは失われたと思っている。祖母は明らかなゴミに見えないものを捨てることは、もったいなくてできない世代だし、実際そうだからだ。

そしてそんな祖母は、壊滅的に人を見る目がなかった。彼女を思ってくれる人が彼女のために言ったことで、耳に痛いことはただの「攻撃」としか受け取らない。自分のことを褒めてくれる人と内孫の長男が無条件に大好きだった。

祖母の葬儀は近親者のみで行われた。一番邪険にされても「おばあちゃん一人暮らしで心配だから僕が大きくなったら一緒に住む」と子どもの頃は言って祖母に優しい気持ちを持っていた弟が、最も遠い所に住んでいて多忙を極めていたが、持っていなかった喪服まで準備して通夜に駆けつけた。

あれほど可愛がった内孫長男は、可愛がられたからこそ余計なお世話を焼かれすぎて、しかもお墓をよろしくと言われすぎていたからか、のんびりと喪服も用意しないで告別式1時間のみで帰って行った。

祖母の最期

最後の3年は施設にいた。私はここに書き出したらきりがない祖母の数々の所業に辟易して、まったく会いに行かなかった。でも聞くところによると最後の1年間だけ祖母は我を通さなくなり、すっかり丸くなっていたらしい。目の前の人に何かしてもらったら「ありがとう」と素直に言えていたそうだ。
かつての祖母なら、その場でそう言ったとしても後でしょうもない文句を色々言っていただろう。でもあの人は髪型がおかしかった、やってもらったことに満足できなかった、とか。
でもそ最期の方の彼女は、家族を家族と認識できなくなり、過去を忘れ現在や未来との境界もない状態になっていた。

最期の顔は、「その顔」だったため私の知っている祖母の顔ではなく、別人の遺体にすり替わったような気さえした。美しく清らかと言っても良い死に顔だった(そういう化粧だったのもある)。

美しく亡くなったことそのものを、ただ私が人として「良かった」と思う気持ちもありつつ、全部忘れて何も悪いことはなかったような顔をしているのを、孫として、また母の娘として腹が立った。

亡くなった以上チャラにしても良いという価値観が元々納得いかない方だったが、実際の祖母の死に直面したら出来てしまうかもと思っていた「すべて水に流す」は全くできなかった。

97年の祖母の生涯で、自己認識(思いやりある良妻賢母)の老後に近い人間でいたらしいのは、私が彼女を知っている30数年のうちたった1年だけの話である。また身内の話を聞く限り、本当に彼女が穏やかな人だったのは、やっぱり最期の一年だけ。

そんな祖母はこの世で最後にちょっとした罰を受けた。一番可愛がった息子は、喪主だが母の死がショックで霊柩車で位牌を持てなかった。最愛の孫はあっさり帰って行った。彼らに付き合って欲しかっただろう時間は、一番孫たちの中で厳しい物言いをした煙たい初孫の私が代行した。この世で最後に顔に触れた身内もこの私。そして最後にかけられた言葉は「よりによって最後に一緒なのはこの私だよ、残念ね、おばあちゃん。」

森の雑貨屋さんを飾ってある棚を見ながら、私が祖母に渡さず守ったのは、森の雑貨屋さんだけじゃなかったような気が今はしている。

私は祖母と血が繋がっていても祖母とは違う選択をする自分を失わずにいたい。

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