中欧旅行記⑤:ベルリン
2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら。
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本日ベルリン最終日。ホテルの朝食はコーンフレークてんこ盛り、甘い。
観光の前に、明日からのポーランド行きに備えてポーランド通貨「ズウォッティ」を手配する。観光案内で教えてもらった、アダルトショップの街のどまんなかにある両替屋で、紫色の香りとドゥドゥチャドゥドゥチャに包まれながら両替。手数料込みで、1ズウォッティはだいたい35円。
ZOO駅周辺のおされショップを練り歩く。買う金はない。どの店にも素敵な家具や雑貨がたくさんならんでいて、あれもこれも欲しくなる。買う金はない。こういう家具たちに囲まれてハイソに生活してみたい。粋なレイアウトにして「Smart」の部屋特集とかに載ってみたい。女の子に「ステキなお部屋☆」「カッコイイですね☆」「下賤のくせに☆」とか言われてみたい。
この日は4つの博物館を巡った。
住環境デザインの金字塔といわれるバウハウスの美術館。「地球の歩き方」には「アレがアレなのでぜひ訪れたい」とあったが、ひと通り巡って「ヘェ」という感じで、つまり、よくわからんかった。ごめんね。インテリアとか建築関係の方にはおもしろいかも。
「テロのトポグラフィー」という野外の展示。ナチスの台頭から始まり第二次大戦と敗戦、ドイツ分断と再統一までの記録である。ドイツ近代史の暗黒時代。ドイツ秘密警察「ゲシュタポ」本部の跡地というのもまた、それに拍車をかける。暗い気持ちになるのは同じ敗戦国である日本人だからか。ドイツ人はこの歴史に、どう向き合っているんだろう。
ベルリンの壁に関する展示がある壁博物館。この壁博物館は素晴らしかった。市民は壁の建築に抗ったこと、東から逃げおおせた人々のこと、建物の下に掘られたトンネル、逃亡を助けていた東側兵士のいたこと、等々。こぢんまりとした博物館だったが、当時の写真を中心にした密度の高い展示と、壁の崩壊という”歓喜”に帰結する内容はとても良かった。旧「チェックポイント・チャーリー」の建物というところも胸熱。
そしてユダヤ人の歴史を綴ったユダヤ人博物館。史実資料が半分、美術品が描く受難の歴史が半分。歴史資料は興味深く、英語の解説も頑張って読んだ。美術品の方は抽象度が高すぎて、イメージ半分で終わってしまった。
博物館めぐりはこれにて終了。時刻は1800過ぎ。
昨日今日と街中を移動したが、旧東側のいろいろな場所で建物や道路・鉄道の工事がガシガシ進められているのが印象的だった。旧西側に追いつけ、という意識がむんむん漂う。
「今日のベルリンは明日見られない。ベルリンは激しく変わり続けている。こんにち訪れるベルリンは、10年後のそれより価値があるだろう」
という旨の話を、ドイツから帰ったばかりの友人から聞かされていた。ぼくにベルリン訪問を決めさせた一言であったが、まさにその通りだと感じた。この街は、これからますます変貌を遂げるのだろう。またいつか、来てみたい。
日が暮れる頃リヒテンベルク駅に向かい、2130出発の夜行列車を待つ。待合室にはたくさんの人、みんな夜行でどこかに行く方々である。「人気がなくて物騒」な状態ではないことに一安心。
時間になって乗り込んだポーランド国鉄は…暗い。この先に向かう国を象徴しているようで不安がよぎる。6人用のクシェットに乗り合わせたのは初老の男女とその孫と思しき少年。穏やかそうな方々だが、はじめて耳にするポーランド語(たぶん)が理解不能。あちらも平穏を装ってはいるが、あまり見ないだろう東洋人と一緒になって戸惑っている。気まずく向かい合っていても仕方がないので、さっさと上段のベッドで休むことにした。狭い。
夜中にドイツとポーランドのパスポートコントロールが来たとか来ないとか。
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