フューチャーデザイン・プロジェクト~Future Design私たちが感じる未来~ vol.2 株式会社Join for Kaigo代表取締役 秋本可愛さん×エイチタス特別顧問 蓮見【後編】

2019年エイチタスの特別顧問に就任した、前札幌市立大学理事長・学長で、現札幌市立大学/筑波大学名誉教授の蓮見孝と新しい分野で活躍する次世代リーダーとの対談企画の第2回目は、秋本可愛さんをゲストにお迎えしました。

秋本さんは「介護から人の可能性に挑む」をミッションに、超高齢社会を、高齢者にとっても、支える世代にとっても、よりよい社会にしていくことを目指して、介護・福祉領域の人事の学びの場「KAIGO HR」や超高齢社会を創造的に生きる次世代リーダーのコミュニティ「KAIGO LEADERS」を運営する株式会社Join for Kaigo代表取締役で介護にまつわる「人」を応援しています。
蓮見が学長を務めていた札幌市立大学は、デザイン学部と看護学部があり、両学問が連携・共同して「教育・研究・地域貢献」を行い、異分野連携により可能になる、人々の暮らしや社会に新たな価値を創造する活動を実践している大学です。また2002年、筑波大学附属病院にて筑波大学芸術系と病院との協働によるアート・デザインプロジェクトを開始した草分け的存在でもあります。そんな2人の対談から見えてくる「介護の未来」、後編です。

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秋本:先日、沖縄のドクターがすごくある介護職のことをほめていたエピソードを思い出しました。患者さんであるおばあちゃんが、足が壊死してしまって切断するという判断になり、ご本人もご家族も了承をしてくれたらしのですが、数日後に、その方が入居されていた介護施設の介護士がドクターに「この人は、本当は絶対、足を切断されたくないのです」と言いに来たそうです。よくよく話を聞いてみると、そのおばあちゃんは、片手がないのですが、それは沖縄での戦争の時に、逃げている途中でハブにかまれ、ぱんぱんになってしびれて動けないところをアメリカ軍人に見つかって、何も確認されないまま腕を切断されてしまったらしく、そのあとに、とても苦しい思いをされてきたそうです。なので、「もう体自体を失いたくない」という本心が聞くことができ、ご家族の話し合いの元切断しないことになり、その意思を尊重して専門職チームのケアを手厚く受けることができたそうです。ドクターが、「介護ならではのファインプレーだ」と言っていました。

介護職は日常的に一緒にいて、その人の価値観や人生の背景も知っているからこそ、言葉にできない本当の想いを感じとれる専門職。ドクターからは、介護職のそのプライドをもっと持っていいのではないか、と話をしてくださいました。

蓮見先生の話を伺って、介護の専門性や誇りになりうる場所はそういうところにあるのだろうなと実感します。細分化されたプラクシスな社会の中で、生活という一番身近なところに寄り添っているからこその介護職の専門性みたいなものが、まだまだ知られていなくて、そこを私達はもっと届けていきたいと感じます。

蓮見:そうですね。医療という一つのビジネス。今までは結構、治療オリエンテッドで、お医者さまが高いところにいました。そういう治療機関では、患者側の生活価値観は我慢を強いられざるを得なかったのですよね。例えば、4人部屋の病室に入ります。あれだってビジネスホテルで「4人部屋でいいですか」と言われたら誰でもびっくりします。日常では知らない者同士が突如同室になることは極めてパニクることなのに、病院では当然のことのようにさせられます。お風呂もトイレも共同。選べない食事。そういったことが許されています。つまり非常に医療有利な空間というか、時空間の中で生活価値観というものがないがしろにされてきたと思います。

それではどうしたらいいだろうかと言うと、やっぱり医療の現場の中で生活価値観をもう一度復権させなければと思うのです。例えば、これまでの常識を捨てて、患者さんも日常生活の場である病院の中でお仕事をしたらいいのではないかと思います。院内の片付けを手伝うとか、部屋の掃除をするとか(笑)。そうすることによって自分がいる場が共同生活の場であるという認識に変わるのではないかと。

秋本:面白いです。考えてもみませんでした(笑)。

蓮見:理性が優位な医療感性が優位な生活と、そういったものが共にシェアできる共通言語を持てばいいのではないかと思い、私は”アートを共通言語にする”ことを始めました。それまでもアートと病院をつなげる取り組みはあったのですが、業者にマル投げして豪華なホテルみたいな病院を造るというアプローチでした。でも私は「もっと粗末なものでいいのですよ」と訴えました。普通の日常の生活の場なのだから、プレッシャーを感じない、自然体のアートというものを皆で創り上げていけばよいというアプローチです。私のこの活動をきっかけに、アートを通してお医者さんが、通院している人や休憩している人にちょっと声をかけるようになったり、看護師さんとお医者さんの対話が促進されてお互いに支え合うパートナー的な環境ができたりしました。看護の離職者を減らす効果も多少はあったかもしれません。病院に全く病院と関係ない人、アーティストとか、学生たちとか、作品の造作をお願いした家具屋さんが家具の寸法を測りにきたりして・・・。

また以前に私がアメリカへ視察に行ったときに学んだのですが、コロンバスの子ども病院は“ノイズ”を大事にしていました。病院はうるさくなければいけないと言うのです。どうしてかというと日常生活はうるさいからです。日常生活というものは騒音の塊。妙に静かな病院はアブノーマルで生活感を感じさせない。それはかえってよくないということで、どんどんノイズを出す工夫をしている(笑)。そんなことも学びつつ、私はタブーを無視してあらゆることをやりましたが、やったら結構成立することが分かりました(笑)。

秋本:それは筑波で、ですか。

蓮見:筑波大学附属病院と、近隣の筑波メディカルセンター病院です。

秋本:今度行ってみます。

蓮見:一時期はすごかったです。例えば、付属病院の床にプラレールが敷いてあって、待合室のベンチの下をカタカタおもちゃの汽車が走っていったりするのです。病院はそういう危ない物を置くことは一切タブーで、あり得ないことなのですが、院長先生が運転開始のテープカットに参加してくれました。

「わらしべ長者ワークショップ」では、病院の受付フロア全体を使って、学生たちが40ぐらいもお店を開きました。参加者である来院者や患者さんは、最初に、どんな持ちものでもよいので、チケットと交換します。お店を巡りながら物々交換を繰り返していくと、だんだんリッチなものが増えていくというイベントです。そのような変なことを病院の入口で大々的にやったりしましたが、クレームは来なかったです。むしろ楽しそうに、看護部長が率先して参加してくれたりしました。

病院にはモンスターペイシェントなどと一般的に言われるタイプの人も来ます。ある時、学生たちがガーゼで蝶々のブローチを作るワークショップを企画しました。自分でつくった蝶々にスポイトで着色しみんなで胸に付けましょうということで、お医者さんも看護師さんも通院者も入院患者もみんな好き勝手な所にチョウチョウ付けて歩いたので、病院中に蝶々がいっぱいになっていたことがありました。そこにコワイ患者さんが現れたのです。

秋本:どうされましたか。

蓮見:周りを睨みつけて、まさに大声を出そうとした時に、空気を読まない女子学生が「蝶々を付けますか。」なんて胸に付けてあげたので、ドキッとしたのですが、その人はニコッと微笑んで帰っていったのです (笑)。ちょっとしたことで、行き場のない訴えや想いは、緩和される可能性があるということです。

また、昔訪問した札幌の精神病院の壁にはいたるところに暴れる患者が付けた傷がありました。しかし、エレベーターホールの真ん前にある大きな桜の絵は今まで一度も傷つけられたことがないのだそうです。気持ちのこもったものを人は本能的に見分けるのだなと私は思いました。

秋本:そうですね。目に見えない感情もきちんと拾う。

蓮見:一番大事なことかもしれないです。

秋本:本日の蓮見先生の話の中での気づきや、そこから私がひらめいたことも多々あるのですが、まずは、今やっていることに勇気をもらえるお話だったなと思っています。もっともっとやっていこうと思いました。

蓮見:人間って絶対、合理的に生きてないのですよ。ですから目的達成することに固執するのは余り意味がないと思います。どうしてかというと、目的というものは頭で考えて設定します。それって往々にして根拠がないのですよね、だって、試してないのだから…。実践しないで目的設定して、それに従って実践して「目的達成!」って喜んでいることは非常に変ですよね。実践した結果としてある成果が生まれた時に、それは成果だって認めることはとてもいいことですが、やる前から求める成果(アウトプットやアウトカム)を決めてしまうことは何の意味もない、と私は思っています。家庭を持って子供を持った時に思いました。子どもたちは一切思ったとおりにはならなかったですから(笑)。

秋本:合理的にならない、一番良い模範ですね。

蓮見:介護職は一人ひとり全てが違う人々と付き合い、試行錯誤してやっていかないといけないところが、すごく難しいと思います。一方で、現代社会が一番苦手としているのは、ホリスティックな人間性にどう向き合うかってところ。現代社会は、ビジネスのようにマニュアル作ってスタンダード作って、さくさくとやっていくことはとても得意ですが、それぞれの人の価値観に向き合って、その一人に満足を与えるっていうことをやっていく事は一番苦手。

以前、私は札幌市立大学で理事と学長をやっていた時に、札幌市長と話しました。「札幌市の自治体はよくやっていると思いますが、札幌市の自治体がよくやれてないところがあります。それは何かというと、生き物を扱うことが下手です。だから大学も病院も動物園もみんな素直に育たない。」と。交通システムとか、除雪などは手際がよいですし、ビルもちゃんと建つし、観光客もどんどん来てビジネスもにぎわっているし、それはそれでいいのですね。けれど、そこに暮らす人たちの幸せとか、そこに暮らす動物たちの幸せとかそういったところが行き届いていないのです。それはさっき言ったように対人間的なサービスがとても下手になっている現代社会、下手で苦手であるが故に、そういう人間的サービスをやるところや担う人が”ないがしろ”になっています。

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秋本:一人一人に向き合うのは介護の領域。これから社会のスタンダードを介護士がつくっていく!

蓮見:ケアがちゃんとできるようになった社会は、ちゃんとした社会ですよね。

秋本:今、私達が活動していることの価値を、社会的な背景から教えてくださいました。私が持っていなかった言語、プラティークの話など含めて、私たちはすごく感覚的にやってきて今があるのですが、それが今なぜ広がっているのかも自分たちの中ではしっかり分かっていなかったところが、今日はとても理解できました。

ケアという領域の特に介護職の専門職としての価値はどこにあるのか?!などと業界では頻繁に話されるのですが、それをナイチンゲールの偉業やアートの視点から教えていただけて、これを私はもっと介護の領域に発信していこうと思いました。

蓮見:私先ほど、病院の話したのですが、病院の質を測る時に私はいつも「亡くなった方はどこから退院されるのですか」と聞きます。それで、亡くなった方の退院の出口を見るのです。そうすると大体その病院の質が分かります。私は福井県の済生会病院に行った時に、緩和病棟がとても素敵でした。でも亡くなった方の出口はきっと寂しいだろうなと思って、「見せてください」と言ってみたら「どうぞ」言われて見に行ったのですが、それはとても素晴らしかったです。

またNHKでも紹介され話題にもなっている「四国こどもとおとなの医療センター」では、亡くなった方は、地下の寒々しいコンクリートの通路を通って出ていかれるのですが、冷たい壁全体に、医療スタッフ全員が手描きで描いた花の絵があって、それぞれにサインがしてあるのです。必ずしもきれいに整えたのではないけれど、そういう所までも思いが至っているのがわかりました。つまり人間性が復権されたと思うのです。それは亡くなった方を送るという行為を通して、そこに働く医療スタッフの一人一人の気持ちが人間的になるということだと思います。これからは、一つ一つディテールに至るまで人としての思いが尽くされているような社会環境にしたいと思っています。必ずしも行き届いたことじゃなくてもいい、ささやかなことからでも人間的な感性に基づく行為が広がってくといいなと思います。

秋本さんには、今日初めてお会いして、パンフレットも頂きました。このパンフレットの中から、人の声が聞こえるし、人と人とが交わって、多世代・多セクターの人が力を合わせ一つひとつの社会課題を解決しようとするCSVみたいな動きを感じます。明日の未来を作ってくれるのではないかなという予感を感じながら、秋本さんのこれからの活動にも大いに期待しています。

秋本可愛(あきもと かあい)さん 株式会社Join for Kaigo代表取締役

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平成2年生まれ。山口県出身。2013年、株式会社Join for Kaigo設立。若者が介護に関心を持つきっかけや、若者が活躍できる環境づくりに注力。日本最大級の介護に志を持つ若者のコミュニティ「KAIGO LEADERS」発起人。その取り組みが注目され、厚生労働省の介護人材確保地域戦略会議に有識者として参加。第11回ロハスデザイン大賞2016ヒト部門準大賞受賞。2017年より東京都福祉人材対策推進機構の専門部会委員に就任。第10回若者力大賞受賞。

■蓮見 孝 プロフィールはこちらから。

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