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【特別対談】フューチャーデザイン・プロジェクト~Future Design 私たちが感じる未来~ vol.3 ヤマハ発動機 執行役員デザイン本部長 長屋明浩さん×エイチタス特別顧問 蓮見<前編>

エイチタスの特別顧問、現札幌市立大学/筑波大学名誉教授の蓮見孝と、様々な分野で活躍する次世代リーダーとの対談企画。第3回目となる今回は特別編として次の時代へ牽引する先駆者であるヤマハ発動機 執行役員デザイン本部長 長屋明浩さんをゲストにお迎えしました。

ヤマハ発動機の長屋さんは長年トヨタ自動車にてデザインに携わり、インハウスデザイナーとしてはいち早く「経営とデザインを共に考える」ということに取り組んでいた人物の一人です。ヤマハ発動機でも経営にデザインを取り入れ、まさに“経営デザイン”を実践しています。デザインを取り巻く環境はここ数年で大きく変化し、今でこそ経済産業省などでもイノベーションを生み出すことを目標として掲げ、行政でもデザイン・クリエイティブ枠の採用を始める地域が出てきました。長年モノ作りに携わる人々の組織をまとめてきた長屋さんが、成果が生まれる組織を作るために、どのような事を心がけ、それぞれのスタッフに対してどのようなことを提供しているのか、また、それぞれのスタッフがバリューを高めていくためにどのような仕掛けをしているのかなど、“デザインを取り巻く環境づくりや組織作り”について、エイチタス役員・デザインプロデューサー湯浅保有美も参加しての対談となりました。

---デザインの時代、二極化するデザイナーたち

長屋:私は30年間トヨタ自動車のデザイン部に勤めて、その後ヤマハ発動機に移りまして、今7年目になります。

蓮見:私は20年間日産のデザイン部で勤めて、その後筑波大に行きました。教え子の中には自動車メーカーに就職した生徒も多くいます。「日産出身の先生だから、蓮見研からトヨタ自動車に就職する生徒が少ないのだろう」なんて、周囲からは思われていたようですが(笑)

湯浅:経産省などの国や自治体を始め、今やデザイナーではない職種の人々も、イノベーションを生み出すにはデザインがキーになることをいうようになりましたよね。同時にこれからの時代、デザイナーという存在がこれまで以上に大切な人材になるのではないかと、多くの人が感じ始めているように思います。最近のデザイナーやそれをとりまく状況について、お二人はどのように感じていらっしゃいますか。

蓮見:私は優秀なデザイナー、好ましいと思えるデザイナーは、人間に対する好奇心や、一介の普通の人の生活に強い好奇心を持っている人だと思います。

長屋:人間に興味があるのは第一ですね。モノが好きなのはひとつ条件ですが、モノの先に人がいないといけない。面白いことに、昨今のデザイナーのタイプは新型旧型で明確にわかれてきているように思います。それは年齢など関係なく、自分の役割を勝手に定義しているか、そうではないか。インハウスデザイナーなど組織の中でデザインに携わっている人は、やっぱり組織の中でどう表現するかを最初に考えますよね。どうしても自分の役割に縛られてしまう。自分はこのプロジェクトにアサインされたという発想だと、そこから出る事はできません。それに対して、自分で自分の役割をアサインする人はいわゆるニュータイプ、新型です。
最近、京都工芸繊維大学のラボでやったワークショップで大議論になったのは、“デザインとアートの違いについて”です。私は「こんな時代、デザインもアートも一緒だ」って言って、周囲から袋叩きにあったんです(笑)。

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蓮見:デザインもアートも、語源はラテン語のdesignareという言葉で一緒だからね。驚くのは、これまで自分の世界を表現していたアートが、急激に変化してきていること。今のアートは社会に向けたメッセージなど、社会性が含まれているものが増えてきています。両方が近寄ってきているのではないでしょうか。

長屋:様々な分野がそれぞれ広がりを持つようになって、重なる部分が増えているのは感じますね。

蓮見:アーティストとデザイナーの一番の違いは、制作している時1人になれるかどうかだと思います。デザイナーはプロセスの途中でいろんな人がいろんなことを言ってくるから、それでも平然とやれる人でないと完結できないのです。

長屋:アートはミーイズム、デザインはカスタマー。それではデザインにミーイズムは必要ないのか、といえばそうではない場合が多々あります。洋服のブランドもそうですよね。ミーイズムがそこになければブランドが成立しません。中には、MUJIとかユニクロのように、人が前面に出てこないものもあります。ではどちらがデザインなのかというと、今はその辺の線引きは曖昧でいいと思うのです。でも、私は多少ミーイズムがないとブランドは作れないと思います。アーティストも、大きなインスタレーションなど、建築自体がアートだっていうことになってくると、それが社会に及ぼす影響や、カスタマーを考えないわけにはいかない。本当にはっきりとした境目はないと思います。

---デザイン思考とデザインマインドの違いは?

湯浅:今、エンジニアの方や中小企業診断士の方など、デザインが直接仕事に関係しない多くの人が、一生懸命デザイン思考を学んでいますね。お二人はどのように感じていますか。

長屋:デザインの団体で集まると必ずその話が出ます。デザイナーの中には、自分の領域を荒らされるようで、デザイン思考が一般的になるのを迷惑がっている人もいますが、私は賛成です。

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蓮見:結局、ビジネスの道具になってしまっているところはありますよね。メソッド化した時点でクリエイティブではなくなるような気もします。

長屋:メソッド化すると、どうしてもそちらが前に出てしまう所はありますね。メソッドをトレースする、そのトレーサビリティが高ければ高いほど、逆に答えがでない。だから、その枠を思い切って外れてしまった方がいいのだけど、それが怖いからみんなきっちり守ろうとします。海外から輸入したものをそのまま、ひな形として使うには、どうしても何らかの調整が必要になると思います。

蓮見:最近茨城県を中心に地域の活動にたくさん取り組んでいるのですが、よく政教分離の問題にぶつかります。「地域のお祭りを支援したいけれど、お祭りは宗教行事だから、そこにはお金をだせません」と。その時話すのは、“宗教と信仰は違う”という考えです。英語では同じ『religion』でも、日本では両者は別物。デザイン思考は宗教に近いけど、私達が崇めているデザインマインドというのは、もっと信仰に近いように思います。人間がいかに人間らしく内奥に潜む実力を発揮できるか。それぞれの人が持つ個性やパワーを生かして、思いっきり生き尽くすには、やっぱり表現が必要なんです。ずっと黙っていたら何も起きない。どんな言葉でもいいから一言喋ると、周囲に波紋が広がって何か新しい動きが起こります。そういう部分を無視して、メソッドのステップをなぞるような、宗教的なことは、ほとんど創造的ではないと思います。

長屋:宗教と信仰はまた別というお話、先生のおっしゃる通りだと思います。日本の宗教観では、八百万に全て神がいますよね。神棚も仏壇もあり、その辺の道祖神もいます。あちこちに神様がいる中で「『faith』はどこにあるの?」と聞かれたら、全て繋がっていて、みんなそれぞれにあるのです。全く異なる信仰形態の全てを許していて、どちらが上か下かもない。この緩さが信仰そのものなのかなと思うのです。この考え方は一神教がたどり着く最後の姿で、平和な世の中を作ることのできる考え方なのではないかと思います。

蓮見:そういう多神教の文化は許容心や共振する力も強いですよね。たとえば都市計画でも、細かな色彩コントロールをしていないのに、何か自然と整ってきてしまう。ひとりのデザイナーが全部決め打ちしたわけではなく、みんながそれぞれ勝手にいろいろやっているんだけど、何か調和しています。

湯浅:世の中が身体性や人間に寄ってきた感じがしますね。


後編へ続きます

ヤマハ発動機 長屋明浩さん

ヤマハ発動機_長屋明浩_写真

1960年名古屋市生まれ。83年愛知県立芸術大学卒業。同年トヨタ自動車入社。初代レクサスLS400/セルシオ、マークⅡなどのデザイン開発に参画。03年レクサスブランド企画室長に就任し、グローバルでレクサスブランドを牽引。10年デザイン部長に就任、全てのトヨタ車の製品デザイン開発を指揮。12年テクノアートリサーチ代表取締役。14年ヤマハ発動機デザイン本部長就任。15年より同社執行役員。

■蓮見 孝 プロフィールはこちらから

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