砂崎

北欧に住んでいます。無職25歳。

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    日々感じていることのまとめです。

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最近の記事

生きている実感にしがみつかなければ。ずぶずぶと暗闇に引きずられてはいけない。私は生きたい。

    • 生きる (備忘録

      自分の人生を愛している。 生きることがつらいことでも、生きること自体を愛したい。 この感覚を忘れてはいけない。

      • さよならの意味

        自分は別れに淡泊なほうだと思う。 会いたい気持ちがあればいつか必ずまた会えるとわかっているから。 それは数か月後かもしれないし、5年後、10年後かもしれない。 でも、自分にとって大切な人であれば、どんな手段をとってでも会おうとするし、空白の期間なんて些末な問題だ。 逆に、「また会おうね」なんて言っていても結局いつまでたっても会わない人は、それほど大事な人ではなかったということだ。 出国まで10日間。次にいつ帰国するかもわからない。 簡単に「じゃあまた」なんて言えな

        • 共感性の話(2)

          共感性が強い人は、他者との境界が薄いらしい。 他者との境界が薄い。とてもしっくりくる。 例えば、 待ち合わせで相手が遅れて来たところに、「お待たせ~」と言ってしまう。 お土産をいただきながら、「つまらないものですが…」と言いそうになる。(自分でもびっくりした) 同期が仕事で落ち込んでいると、自分も頭がいっぱいになり、2時間の散歩が必要になる。 必ず言わなければいけない状況で、相手が傷つくであろう言葉を伝えるとき、話す傍から涙が出てくる。 おかしなことだが、自分は

        生きている実感にしがみつかなければ。ずぶずぶと暗闇に引きずられてはいけない。私は生きたい。

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        記事

          共感性の話

          私は親と同じ空間にいることが苦手だ。 なぜなら、彼らの感情の波に飲み込まれ自分を見失ってしまうから。 特に仲が悪いわけではない。愛されていると常に感じるし、私も彼らを家族として愛している。 ただ、共感能力が強い自分にとって、彼らと暮らすことは脅威だ。 たとえば、こんな日。 父親が珍しく早く帰宅する。 (娘が今日なにをしていたのか気になる)(どこかに行ってたのかな)(なにか手伝おうかな)(気になる)(話したい)(でも話しかけづらい)(そわそわ)(話してくれた

          共感性の話

          自信がないのも、中身がないのも、かっこわるい。すでに若さで乗りきる身分ではない。生きるためにがむしゃらになるしかない。

          自信がないのも、中身がないのも、かっこわるい。すでに若さで乗りきる身分ではない。生きるためにがむしゃらになるしかない。

          頭の中の字幕

          英語の日常的な使用に慣れてしまうと、時たま日本語での生活に支障が出ることがある。 日本語と英語の表現が頭の中で錯綜し、会話のテンポがどうしても遅くなってしまうのだ。 「話しにくい」と感じるとき、以下のようなことが起こっている。   ①伝えたい表現が思い浮かぶ(英語)   ②①を直訳の日本語に直す   ③②を普通の日本語に直す、もしくは日本語で考え直す 具体的にどのような状態かと言うと、例えば時間を聞かれ、9:50だったとき   ① "10mins to ten.

          頭の中の字幕

          where there's a will, there's a way

          The decision was made yesterday. It was the very moment for my entire life. My life has finally started to shine lively. It's not only the end of this dark stagnancy in limbo, but also, more importantly, the beginning of new life. We do

          where there's a will, there's a way

          在留許可(ビザ)おりた!!!!!!!! ようやくスタート地点に立てます。

          在留許可(ビザ)おりた!!!!!!!! ようやくスタート地点に立てます。

          やりたいことが多すぎるときは、人間をやめてみる

          やりたいこと・やるべきことが多すぎて、逆に何も手につかなくなる時がある。 一つのことに取り掛かっているときには、「〇〇の方が大事では?」との思いが募る一方で、そちらに取り組み始めると「〇〇している場合ではない」と別のことに手を付け始める。結局すべてが中途半端になる。自己嫌悪で気分が落ち込み、さらに何にも手がつかなくなる、という悪循環に陥る。 現在まさにそれ(人生でおよそ3回目)であるため、打開策を考えた。 方法としては、2つあると考えている。 1つ目は、優先順

          やりたいことが多すぎるときは、人間をやめてみる

          制御不可能な状況にどう向き合うか

          今朝、北朝鮮のミサイル発射に伴うJアラームが鳴った。 ただ布団をかぶって、何かが起こる、もしくは起こらないことを待った。 飛んできてしまったら、自分の力ではもうどうしようもない。 ふと、戦時下で空襲警報が鳴り響くたびに防空壕へ避難していた人たちは、こんな気持ちだったんだろうか、と思った。 恐怖、緊張、そして諦め。 話は変わるが、ここ最近ずっとビザの発行を待っている。 これがないと海外在住の夫と暮らせないのだが、いつになってもビザの申請ページは「処理中」のま

          制御不可能な状況にどう向き合うか

          主人と旦那と夫

          私は人と話すとき、配偶者のことを「夫」もしくは彼の名前で呼ぶ。 「うちの主人」「おたくの旦那さん」 よく聞く言い回しだが、私は極力これらの使用を避けている。 理由は単純で、「主人」も「旦那」も、その人が「家庭における経済的な主であり、本人とそのパートナーは主従関係にある」ことを示す言葉だからだ。 「主人」はイメージが容易かと思うが、「旦那」も、語源は仏教用語で、サンスクリット語の「ダーナ」(与える、贈るの意味)から来ている。 寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」

          主人と旦那と夫

          懺悔

          男は、山を登っていた。 男は日本人にしては浅黒く、鼻は高く、険しく前を見据えた両目は顔の中央に若干寄っている。おそらく彼に出会った人はまず端正な印象を受けるだろうが、どこか不均衡な感情が芽生えるのを抑えきれず、彼を正視し続けることが出来ないであろう。彼の全身から滲み出る自己否定の情調は他人を不安にさせた。その男が今、憑依されたかの如く、一心不乱に山を登っている。目にかかる黒々とした髪が汗で額にへばりつき、平常はめったに歯を見せて笑うことのない口は酸素を求め薄く開いている。樹