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やりたいことが多すぎるときは、人間をやめてみる

やりたいこと・やるべきことが多すぎて、逆に何も手につかなくなる時がある。

一つのことに取り掛かっているときには、「〇〇の方が大事では?」との思いが募る一方で、そちらに取り組み始めると「〇〇している場合ではない」と別のことに手を付け始める。結局すべてが中途半端になる。自己嫌悪で気分が落ち込み、さらに何にも手がつかなくなる、という悪循環に陥る。

現在まさにそれ(人生でおよそ3回目)であるため、打開策を考えた。

方法としては、2つあると考えている。


1つ目は、優先順位をつけ、優先度の低い事象はばっさり切り捨てること。

優先順位の付け方は納得感のいくものであれば何でもいいが、基本的には

①緊急度(「今」やらなければいけないものである)

②重要度(仕事・学問にダイレクトにかかわるなど)

③必要性(やらなければならないのか、やりたいことなのか)

に基づき整理する。

私の場合、①緊急性が高く(大学院進学のため12月までにIELTSで7.0とる必要がある)、②重要であり(スコアがないと大学院進学が不可能)、③必要である(現在「やらなければいけないこと」がない。他に比べ大学院進学は相対的に「強くやりたいこと」に分類される)ため、英語の勉強に焦点を当てることにした。

「1日6時間は英語の勉強に必ず充て、他の時間は何をしても良い」と決める。

そうすることで、これもしたい、あれもしたい、と悩む時間がなくなり、また、優先度が低いが娯楽としてやりたいと感じること(自分の場合は書くこと・読むこと)も負い目なく楽しむことができる。

週や月ごとに計画を見返すことで、物事の優先度が変わった場合でも柔軟な変更が可能になる。


2つ目として、優先順位がつけられない場合。何をしても良いが、何から手を付けたら良いのかわからない状態である。

そのときには、「いったん全てを止めてみる」というのが効く。

はやる気持ちを抑え、行動を自分に禁じ、一度全てを忘れてみる。

そうすると、不思議なことに、おのずと「今自分が本当にやりたいことは何か」が見えてくる。


以前私は、様々な強迫観念にとらわれ動けなくなり、全てをリセットするために人間的な生活をやめたことがある。

「こうしなければ」という固定観念をできる限り取り払った。好きな時間に起き、好きな時間に就寝し、好きなものを食べ、好きなことをする。「身体に悪い」等の行動を抑制する考えも捨てた。

好き勝手にした。夕方近くに起床しジャンクフードを食べテレビを見て明け方まで過ごしたり、義務で通っていた勉強会をすっぽかし、1日中ゲームをしながらベッドから起き上がらず出前を取ったり。天国だった。

しかし、それはほんの数日のことだった。だんだん身体が「健康的な生活をしたい」と訴え始め、就寝時間が整ってくる。スーパーで手にするものが野菜中心になり、画面からは距離を置くようになる。自分の身体にあった生活のあり方が自然にあぶり出された。

そして何より、死人のような灰色の生活の中で、「本が読みたい」という思いが強くこみ上げてくるようになり、私を図書館に突き動かした。

心から渇望した事にありつけたときの幸福感たるや、一生ものである。そしてそれを、義務感や人からの指示ではなく、自分で見つけることができたときの誇らしさと言ったらない。

さすがに人間的な生活をやめろとは言わないが、一度全てを手放すと、本当に欲しいものだけを拾い上げることが容易になることは覚えておきたい。

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