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制御不可能な状況にどう向き合うか


今朝、北朝鮮のミサイル発射に伴うJアラームが鳴った。

ただ布団をかぶって、何かが起こる、もしくは起こらないことを待った。

飛んできてしまったら、自分の力ではもうどうしようもない。

ふと、戦時下で空襲警報が鳴り響くたびに防空壕へ避難していた人たちは、こんな気持ちだったんだろうか、と思った。

恐怖、緊張、そして諦め。


話は変わるが、ここ最近ずっとビザの発行を待っている。

これがないと海外在住の夫と暮らせないのだが、いつになってもビザの申請ページは「処理中」のまま、もうすぐ4か月に到達する。

夫婦なのに、完全に自分たちの力が及ばない事象によって、結婚生活が始められない。

大げさだが、「自分らの運命が他人の手に握られている」というのはなんとももどかしく、やるせなく、不安定だ。

しかし、諦め、受け入れ、待つしかない。

少なくとも私はそう思っていた。昨晩夫の怒りを見るまでは。


「制御不可能なものに対して腹を立てる」にはとってもエネルギーを必要とする。

なぜなら怒りをぶつけたところで、結局傷つくのは自分だから。不毛な戦いだ。

でも、夫は怒り狂っていた。

「ただただ最愛の人と暮らしたいだけなのに、叶わない。ふざけるな」


たまには、そういうのも必要なのかもしれない。

やりきれない思いを爆発させることで、大切なものを痛いほどに感じる。

それをきっかけに、私たちはまだ先が見えないこの過程に、今後どう向き合っていくか話し合った。

一緒に乗り越える強さを確認しあい、支えあうことを改めて言葉にした。


無抵抗に全てを受け入れることだけが「大人」ではないのかもしれない。


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