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なぜその絵を買ったのか、美的価値の話

イギリスの家がイギリスらしいのは、一つ、インテリア。家具が重たそうなものが多く、いや、カーテン、窓のシャッター、居間のドア、どれをとっても分厚くて重たい。そしてそういう重たいものたちが、長い年月の中で、すり減ったり傷ついたりしているのを大事そうにして代々受け継いでいくように思います。

分厚くて重たい

我々がエディンバラに引っ越してきた時、フラットには前オーナーから受け継いだ少量のもの以外は何もなく、がらんとしておりました。日本であれば畳の部屋に、一輪挿し、伽藍堂も文化の一つでそれは美しいと思いますが、イギリスにはまるであなた新参者でしょうと言われているような、背景に積み重ねてきたものがないような印象で、あまり伽藍堂は好ましくないように思います。簡単に言えば文化の違いですね。よく売れている不動産屋さんも、売りに出す家の写真に家具付きの写真を好むところが多いのです。

うちも何年もかけて家具、インテリアを「育てて」きましたが、そろそろ終盤。

私はもう充分じゃないかと思うのですが、夫のアンテナにはいまだに色々引っかかってくるようで、壁に余白があればそれは埋めなければならないという使命を抱えての、最近のお買い物。

風景画です。肖像画とか人物画、ストーリーの一場面、静物画や抽象画など色々あるジャンルで、家の中に置いておくものはやはり風景画が一番無難で毎日過ごせる上に、飽きない、邪魔しない。


§ FRUIN CHARLES BRUCE BRAVINGTON (BRITISH 1910-2000)

イギリスの画家 BRAVINGTONによる風景画を買いました


またしても、額が気に入らないよね、ということになり、フレーム(額)の専門店に持ち込みました。

いやあ、これが難しいんですよねえ . . . 

サンプルを色々見せてもらいながら相談する
額の色は壁の色に合わせて緑色にしてもらうことにした


最終的に出来上がってきたものがこちら

緑の壁に塗り直したベッドルームに合わせて、緑色の額に


結局、夫のデスク上に飾りました。

壁にかけて完成
光の具合でうまく写真撮れない

この絵なんですが、面白いところがあるんです。パッとこの絵を見たときに、数件の赤い屋根の家、葡萄畑のような背景に坂道、幾何学模様的な農道の配置と目につくところは何点かあると思います。

気がついた人もいるかもしれないけれども、実は私は夫に言われるまで全然見えていなかったのです。

左下(矢印部分)。

矢印部分、言われるまで気が付かなかった

ええ?これってもしかして堆肥だったりして . . . 😅

そう思ってくると夜、目が冴えて、気になって仕方なくなるほどです。

今は藁葺き屋根ではないかということにして落ち着きましたが、面白い絵というのはそういう、「二度見をさせる」「もう一度隅々まで見たくなる」「遊びがある」という絵なのではないかと思ったりしました、今回の場合はほぼ無意識でしたけど。


そんなことを考えていたら、最近、再び「二度見をさせる」絵に出会いました。

§ SIR FRANK DICKSEE (BRITISH 1853-1928)

イギリスの画家 DICKSEEによる風景画


オークション会場で物色している時に出会ったもの。この絵の前で立ち止まってみていて、風景画の背景の丘やターコイズブルーはまあ、よくあると言っちゃある。ややぼんやりとした筆使いで、ある春の日に描いたのでしょうか。

さあ、次、と行こうとした瞬間に、吸い付けられたのが右下です。

手前、右下のワイルドフラワーが非常に丁寧に描かれている

ぼんやりと描かれた背景とは逆に、手前、右下は小さな細い筆で細かく細かく仕上げられています。うすむらさき、黄、白、一本一本の茎や草。

さあ、もう一度見てください。

左上→右下へと視線が動くと、その美しさにハッとする

スコットランドの詩人、ロバートバーンズが1789年の元旦の日に書いたという手紙の中で

I have some favourite flowers in spring, among which are the mountain-daisy, the hare-bell, the fox-glove, the wild-brier rose, the budding birch, and the hoary hawthorn, that I view and hang over with particular delight.
春になると、山デイジー、ヘアベル、ジギタリス、のばら、などの野花が好きで、いつまでも飽きずに眺めているのです

ヘアベル Harebell =bluebell of Scotland

という一節があるそうなのですが、バーンズの好きな春のワイルドフラワーたちはこういうふうにささやかにスコットランドの片隅で咲いているのではないかと、しばし立ち止まってうっとりと眺めておりました。

面白いことに全く同じことを夫が言っていて、最初のぱっと見時にはわからなかったんだけど、気がつくと、後戻りして2度見して、みてみて、この右下の細かさよ!と言っていました。私と同じように目線がぐるりと一回りして、同じように右下で止まっていたのです。これってこの画家の策略と技術なのではないかしら?

偶然か必然か、本日こんな記事を見つけました。

美的価値 [aesthetic value]

美的価値について非常に細かく(難しく)語られておられます。世の中には良いものがたくさんあるが、どれがなぜ美的と言われるのかを考えているということですね。しかし、この方、素晴らしい語彙と説明力・リサーチです。

美的価値の答えを探って、さまざまな意見があるのですね、大きく分ければ

  • なんとなく論(受動的):美的なものは内的感官によって捉えられる、漠然と認識される、無関心的に判断される、さらなる目的なく楽しまれる、ルールに支配されていない、など

  • 注意や意識や評価する心を促される論(能動的):美的とはそれ自体のために注意を向ける経験である、低次性質から高次性質が創発する様に注意を向ける経験である、分散的な注意を向ける経験である、評価することへの快である、など

美しいものと向き合うと、受動的に、特に理由がはっきりしているわけではなくても、対象へと意識が集中し、うっとりし、さらに言えば、日常的な悩み事から解放される、喜ばしい心的状態に(意図せずに)なる、その受動的なんとなく論は説明されなくても本能的にわかるのですが、能動的と言われている方に、ほお〜と思ったわけです。

個人的に興味深いのは、美しいものや優美なものは私たちを能動的な行為へと駆り立てる、という説明です。具体的に言えば、美しいものを見た後に、なにかを作ったり、集めたり、直したり、壊したり、提示したりといったことにつながっていくこと。

良いものや悪いものは、私たちを特定の反応へと引き寄せたり引き離す引力を持っているとも言えるのだそうです。

この記事の中には複雑な色々な意見があるので、細かいことは置いておいても(ビギナーズガイドと書かれているけど、それでも複雑だ!)

美というのは、

「一方的に与えられる快楽だけではなく、鑑賞者が解釈的に探り、知覚や情動を調整し、認知的達成を遂げるなかで得られるリッチな経験である。」

とこの一文にまとめてもいいのではないでしょうか。

良い絵というのは、そういう意味で、これはなんだろうと興味をそそられたり、遠くから見てみたり近くに寄ってみたり、右から左まで目線を動かしてぐるぐると眺めたくなったり、そういうものを言うのでしょう。そして、私が思わずバーンズの手紙を思い出したかのように、いろんなところに思考が巡り、誰かとその絵のことを語り合ったり、明日もまた見にこようと思ったり、これは買いだと評価する側に回ったりする行動をも生んでしまう引力があるもの。

うちにある絵画たちは一枚一枚オークションなどで少しづつ買い揃えてきたものですが、毎日一緒に暮らしていると下の写真で言えば左のなんでもない風景の絵がこれが一番好き、と思えてきたり、日によって違ったりするのが面白いです。

3枚あるうちの左の絵が最近の特にお気に入り
とは言っても、お気に入りが時々変わっていくこともあります


私はnote界で、お気に入りの美しいものたちを淡々と記録紹介してあるような記事たちがとにかく好き。写真だけでなく、誰かが描いた絵とかイラストとかも眺めているのが好き。それは、結論のない世界。それは、ただ単に癒されると言う感覚だけでなく、それらの美しいものを見ると、それは脳内のどこかに蓄積されていって、知らずして思考や行動につながっていくこと他ならないからだと思います。


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山林
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