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月記(2022.01)

1月のはなし。



§.新木場に愛を埋めて

30日、東京・新木場。ひとつのライブハウスが歴史の幕を下ろした。USEN STUDIO COAST、通称・新木場スタジオコースト。2002年のオープンから、国内外問わず様々なミュージシャンたちに愛された。
新木場という町は、なんだか不思議な町だ。駅前にドンとオフィスビルがそびえたっているかと思えば、広い道路を挟んだ対岸には広い駐車スペースを備えた倉庫のような建物たち、そしてその上にだだっ広い空が広がっている。スタジオコーストを目指し、道路沿いにオフィスビルの脇を南に抜けていくと、大きな橋を渡ることになる。西側にはお台場エリアの灯りが、東側には葛西臨海公園の特徴的な観覧車が、やけに遠くに見える。そこに吹き抜ける風の音と、橋を渡るトラックの走行音と振動が混ざる。やたらと五感を揺さぶってくる橋の先に、スタジオコーストはあった。
新木場は繁華街ではない。「新たな木場」という名の通り、材木商の町として栄えていた木場の移転先として、臨海部に新しく整備された町である。木場から移ってきた材木商や、それに関連する加工業や運送業を担う企業たちが集まった。交通インフラが整い、産業が集まり、人が集まる。広い土地も確保できる。公園、競技場やオフィスビルといった施設も集まる。スタジオコーストもそんな流れの中にあったのだろう。定住人口が少なく、近隣住民との関係にあまり気を使わなくてよいというのは、ある意味メリットだったかもしれない。新木場は様々な人が集まる町であり、同時に去っていく町でもあるといえるかもしれない。
新木場のライブハウスに行くことは、たとえば渋谷のライブハウスに行くことと比べて、体験として何かが異なっているように思う。渋谷という街はまるで、その街全体がライブハウスを含む、娯楽の象徴のようだ。それに対して、新木場とライブハウスの関係はどうだろうか。どうにもそこには隔たりがあると感じる。その象徴が、どこか「千と千尋の神隠し」に描かれたような、あの橋なのだと思う。新木場の駅前は、僕が暮らす町の延長としての東京の果てだ。線路がひかれたトンネルを抜けることでたどり着ける。僕はあのやたらと五感を揺さぶる不思議な橋を渡ることで、非日常の場であるスタジオコーストにアクセスでき、自らの名前など忘れて、音楽に溢れるフロアにゆっくり浸かることができる。帰り道では、橋の向こうに僕が暮らす町が見える。少しずつ歩くと、少しずつ日常が近づいてくる。日常と非日常の距離がゆっくりと縮まっていく感覚は、渋谷ではなかなか味わえない、けっこう珍しいものだったかもしれない。
いまライブハウスの話をしようとすると、どうしても気がかりなことが多すぎて、どんな姿勢で立って、どう話せばよいのか、いまだにわからないままでいる。コーストのことをたくさん書きたい。でもそこには変なノイズがのり続けている。そう、ここまで続けてきたのは、コーストの話というより、新木場の話だ。コーストに辿り着くまでの道のりの話だ。帰りの電車に乗ろうと上りエスカレーターに運ばれていくビジネスパーソンたちを横目に、若干ダサいロゴがプリントされたTシャツを着て、チケット片手に、すこし小走りで階段を下りていく。安らかな夜へ向かう人達とすれ違いながら、騒々しい夜の向こうを夢見て、あの橋の向こうへ渡っていく。そんな僕の道のりの残像が、新木場に無数に重なり、漂っている。


初めて見たコーストのステージは、映像だった。何度も見て、見よう見まねで、がむしゃらに練習した。

ラウンジの奥、ロッカー前。憧れの人から、手紙読んだよ、と言われた。「お互い頑張ろうね!」と手を振り送ってくれたとき、僕はまだ笑って手を振りかえせるほど強くなくて、涙をこらえながら逃げるように去ってしまった。でもよく振り返ってみれば、後日ちゃんと笑ってお礼を言えたから、曲がりなりにも頑張れてたんだな、と思える。

ギュウ農フェス。いくつもの名演の舞台となった野外特設ステージ。そして再び、ラウンジの奥、ロッカー前。ひとりの観客として訪れ、数年後にそのメインステージに立った人と、記念写真を撮った。オクタゴンスピーカーの音を聴いた。PAブースを覗くと、スペクトラムアナライザーのようなものが見えた。波打つ低音域を視覚と聴覚で捉えながら、「こう聴こえてたのはこういう理屈だったのか…?」と考えていた。残念ながら、オクタゴンの音を聴けるのはこの日が最後だった。新たな問いを抱いた耳と共に、また知らない音をどこかで聴こう。

最後の日、改札を抜け、駅の階段をゆっくり下りているとき、帰りの電車に乗ろうと上りエスカレーターに運ばれていくビジネスパーソンたちを見た。その途端、「戻れない人波を 逆向きに駆けて行く」という歌が聞こえてきた。

僕が初めて見たコーストに立っていた人達が、僕の最後のコーストにも立っていた。彼らはだいぶおじさんになっていたけど、僕も同じようにおじさんになっているのだから当然だ。そういえば新木場はいわゆる埋立地だ。有形無形、いろいろなモノが埋まっていておかしくない。たぶんこれまでの僕も埋まっている。他のいろいろと同様に。今後あの場所がどうなるのかは知らないが、その人工的な地層のひとつには間違いなく、音楽たちが詰まっている。




§.オタクは野暮に音楽する

おすすめのCDを紹介する。アイドルグループ・RAYのアコースティックライブを収録した、こちらのCDだ。

ここに収録されている「愛はどこいったの?」という曲が、月末に行われるワンマンライブの宣伝の一環として紹介された。

このアコースティックライブCDでは、おやすみホログラムなどで活躍するオガワコウイチさんがギター演奏を担当している。これまでRAYのアコースティックパフォーマンスは、楽曲ディレクターであるみきれちゃん(a.k.a.メロンちゃん)が行うものが多く、いわば「作者による生演奏」の側面があった。一方、オガワさんは直接RAYに楽曲提供等は行っていない。オガワさんという「他者」が演奏を担当すると、そこには「アレンジ」が発生する。それらが音源としてパッケージされた、なかなか貴重な品である。
僕はこの中に収録されている「no title」が好きだ。ライブ放送当時、この曲が披露されたときに、いくつかの「アレンジ」が強烈に僕の好みに刺さったのだ。そして今月、このCDが改めて紹介されたのは、「生成変化する音楽、散乱する光(ray)」といったテーマが提示された、RAYの4thワンマンライブ「PRISM」に繋がる文脈上での出来事だった。おそらく、「アレンジ」とは「生成変化」という表現が示すもののなかに含まれるだろう。「アレンジ」について考えることは、ちょっと面白いかもしれない。
そんな感じで思い立ったが吉日ということで、深夜に「no title」アコースティックバージョンについての解説を試みたのである。至らぬ点はあるが、ツイートを引用するので、興味があれば見て頂けると嬉しい。なにかの参考になれば幸いだ。

私見ではあるが、音楽のアレンジ変化というものは、多くの人に伝わるのだが、認識されにくい。優しく聴こえる。元気に聴こえる。比較してなにか変化を感じる。伝わりはするのだ。なるほどこれが「音楽のチカラ」ってやつなのかもしれない。ただ、これをその音楽ではない形に翻訳しようとすると、途端に悩ましいことになる。言語に翻訳するのも一苦労だろう。人間は主に言語で思考しているのだから、そもそもインプットの形式として不便だ。
それでも伝わっている、それこそが凄まじい「音楽のチカラ」なのだとしたら。そこに対して「要するにその根拠はなんなの?わかる言葉で説明してよ」という問いをぶつけることは、めちゃくちゃに野暮だ。そんなのは然るべき場合に然るべき会議とかで然るべき責任を負う人がやればいいことだ。ただ腹立たしいことに、僕の感情には面倒なやつばかりで構成された取締役会が設置されている。僕が無邪気になろうとするたび、「そしてその根拠とはなんだ?」とめちゃくちゃ野暮なことを言ってくる。涙を流しても許してはくれない。悲しさを承認してもらうためには、泣くことは有効じゃなかったりする。本当にめんどくさい。だが同時に、この役員たちを育てあげたのは、間違いなく僕だ。同じメソッドで育成されてきた人材たちだ。僕には僕ということだ。ならば、野暮には野暮だ。わかる言葉にして説明してやる。
おそらくその武器になり得るのが、いわゆる「音楽理論」というものじゃないかと思っている。ちゃんと習ったことはない。どアマチュアもいいところだ。そのくせ活用しようとするのは、それが曲がりなりにも言葉の形に翻訳され、長年積み上げられてきたものだからだ。カタコトでも、相手の国の言語で話したほうが喜んでくれるというものだ。ちゃんと頑張ってみれば、クリスティアーノ・ロナウドも聞いてくれるかもしれない。
残念ながら「音楽理論」というものも一枚岩ではない。よくイメージされる「ド、ミ、ソ、でCメジャー」みたいな話も、源流はあくまで西洋の古典音楽が主だ。アジア、アフリカ、アメリカ、どこかの小さな島…どこでも通じる普遍性があるとは言えない。地域により言語体系が異なることとも似ている。そのうえで、とりあえず現代のポピュラーミュージックを語る限りでは有用に思える範囲で、「ド、ミ、ソ、でCメジャー」みたいな基礎文法から勉強している。僕のスタンスはそんな感じだ。
「音楽理論」なんて義務教育ではほとんど教わらない。自国語と英語の文法を学ぶほうがはるかに役に立つから当然だ。ちなみに僕は英文法の授業が嫌で仕方がなくて、教科書の裏に隠して音楽理論の本を読んでいた。グローバル人材になるための基礎能力と引き換えに、ツーファイブという文法を学んでいた。後悔はしている。ただ、もうここまで生きてしまったのも事実。英文法を知らないことを受け入れると同時に、たま~に役立つかもしれない音楽理論をサブウェポンにして、ちゃんと習ったはずなのにうまく使えない自国語をメインウェポンに、僕の中の取締役会に殴り込みをかけたい。グローバルに外方向に進めないなら、いつかのオタクらしく内方向に爆進していけばいいじゃない。

…ちょっとおじいちゃん、シンエヴァは去年もう見たでしょ?




§.もう一度、僕たちのダンスフロアへ

歌う人、和田輪さんのステージを見た。舞台にカツカツと響くヒールの音すら、どこか静謐で神秘的だった。「鉄塔ダンスフロア」で「今夜ばかりは僕たちのものだ」!と高らかに宣言する姿には、これまでとはまた違う力強さを感じた。僕は上手側から彼女を見ていた。何の前触れもなく、一瞬、白い景色がダブった。それでも彼女は、深い緑に身を包んでいた。僕が見上げる角度は、あの日よりは低く済んでいた。今夜のほうが、まだダンスフロアっぽい。踊るとまではいかずとも、自分の音楽にノる彼女の動きは、やっぱりよく見た楽し気なそれだった。

↓ライブ&トーク、試聴期限は2/5迄




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