映画「笑いのカイブツ」は、こじれた青春を送った人間にグサグサ突き刺さる
先日、映画「笑いのカイブツ」を鑑賞してきた。
こじれた青春を送ってきた人なら、「わかる、わかる」と共感する箇所が多い映画かも?
この映画は、NHKの「着信御礼!ケータイ大喜利」のレジェンドで、オードリーのラジオで作家をされていた土屋崇之(ツチヤタカユキ)さんの自伝だ。
何度もnoteに書いているが、僕は20代の前半から中盤にかけて親のすねをかじりまくっていた。
映画の中では、土屋さんの父親は登場せず(母親の彼氏らしき男性はいたが)、母子家庭のように描かれていたので、そこも自分の若い頃と重なった。
床が紙に埋め尽くされ、整理整頓とはほど遠い部屋。それをうんざりとした顔で見つめる母親など、思い出す景色が多かった。
土屋青年は、とにかく尖りまくっている。
映画のポスターに「おもろいだけが、正しいんや」と書かれているが、土屋青年全てを「おもろいか、おもろくないか」の二極思考でジャッジするので、当然集団の中に入るとトラブルが起こる。
絶えずピリピリしている彼の神経は、泥酔しているときだけ緩むが、酔えば酔うほどまた人と揉め悪循環かな抜けられない。
僕はいつしか折り合いをつける術を覚えたので、彼ほどの苦悩は抱えていなかったものの、極端にしか生きられない人が周囲に大勢いた。
極端にしか生きられない人ほど社会の鋳型に上手くはまったり、はめこむことが苦手なのだ。
「すごいセンスがあるのに、もったいない」と思える人もたくさんいたが、やはり「どう生きるか?」は当人が選ぶことなので、口を挟むのを控えた記憶がある。
「社会に迎合することは、今の自分を殺すことだ」と、抵抗感を持つ気持ちもわかる。
おっさんになった僕は「自意識過剰で自他を苦しませるひとりよがりの自分など、とっととあやめてしまえ」とも思う。
菅田将暉さん演じる色気あふれる不良男性が、土屋青年にこう告げる「でも矛盾しとるよな。お前は社会の中に混ざれないと憎むけど、お前がやりたいのは笑いでその社会に何かを残したいという渇望や」と。
社会をいくら恨んでも、社会の中で生きているというのは紛れもな事実で、土屋青年はその矛盾にもがき苦しむ。
ちょっと残酷なことを述べると、僕も含む多くのこじれた青年は土屋氏ほどのセンスや才能、熱量がない。
しかしこじれていると、その事実を突きつけられても、ぷいっと顔を背けて真実を見ようとしない。
そのまま三十路、四十路になって、未だに社会を恨む他責思考に陥り、リアル地獄の中に身を置いて日々を過ごすというコースも、こじれた人間あるあるなのだ。
土屋青年を演じる岡山天音さんのキャスティングがはまっている。
自意識をこじらせ社会を恨んでいる陰鬱な青年を見事に演じ切っていた。
このポスター、最高だ。
もう一度見に行きくなる映画である。
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