見出し画像

「クラス一丸!」にこだわる熱血先生が、叱る依存にハマった理由

「今からお前がほんまに宿題を忘れたんか、俺が直接家に行って確認する!」

この発言の主は、僕が小学校4年のときの担任の先生。

彼は血走った目をU君に向けている。

U君は涙目。今にも泣きそうだ。

小4時の担任の男性教諭は、生徒思いで熱心。保護者の信頼も厚かった。

先生が何より重きを置いていたのは「クラス一丸」。

「子供をしっかり育てねば」が強すぎて、しばしば特定の生徒の叱責を繰り返す方だった。

ロックオンされたU君は、ある日、宿題を家に忘れたと言って、先生はそれを確認するためにU君の家にまでいき「お前、やってへんやないか。この嘘つきが!」と、激怒されていた。

家にまで教師がおしかけて、宿題をやっているかどうかを確認するのは、どう考えても行き過ぎだ。

U君は毎日叱られるから、ついに学校へ来なくなってしまった。

この先生はとても一生懸命だった。良くも悪くも。

あの先生のしていた行為を今、振り返ると教育というより教育虐待、いじめといわれてもしかたない。

過去に投稿した記事で、村中直人さんの著書「叱る依存が止まらない」を紹介させていただいた。

人間は誰かを叱るときに、強烈な快楽を味わう。

脳が快感を記憶するのだ。

一度、記憶した快感を再度味わおうとすることは人間の本能かもしれない。

僕もあなたも、すべての人間には嗜虐性が備わっている。

サディズムというやつだ。

サディズムは、ふとした拍子にスイッチが入る。

そして人間は人を叱るとき、気づかないうちにサディストになりやすい。

サディズムは、相手が怯えると加速する。

叱られた相手は、ひるんだり怯えたりするものだ。

つまり、どんどん叱る行為に対して依存的になっていく。

小4のときの担任の男性教諭は、生徒を家に招いて一緒に遊ぶほど、熱心な先生だった。

今でも楽しかった思い出が多い。

この先生は距離感が近かった。

しかし近い距離感になると、人はバランスを崩しやすい。

冷静さを失い、相手の境界線が見えなくなる。それゆえ心の領域侵犯をしやすくなるのだ。

「赤の他人相手だったら、絶対にそんなことしないでしょ?」というのを、ついしてしまうのが近い距離。

距離感が近くなると、「〇〇であるべき」「〇〇は許さない」というその人が持つ信念が見えてくる。

そして、そこに上下関係が築かれていると、上のポジションにいる人が下のポジションにいる人を、無理やり自分の価値観に染めようとすることも…。

誰でも「〇〇であるべき」という自分の信念から外れた行動を目の当りにすると、罰したくなるものだ。

これが処罰感情だ。

一見すると、加害、嗜虐、処罰に手を染める人は慈悲がないように思える。

しかし人間が複雑なのは、小4のときの男性教諭のように愛情深さが裏返るという逆転現象があることだ。

近い距離感になったがゆえに、人間を支配したりコントロールしてしまうのだろう。

教育する側と教育される側という関係性は、それだけセンシティブで危険だという事実を忘れてはいけない。

絆ホルモン、愛情ホルモンと呼ばれるオキシトシンは、ポジティブな物質として紹介されやすい。

しかしオキシトシンの暗黒面として、「〇〇であるべきだ」「あなたも自分と同じように〇〇しなさい」と価値観を押しつけるところが挙げられる。

クラッシャー上司という概念を定義された松崎一葉さん。

彼が
「(クラッシャー上司は)一丸となって一つの価値観の下でやっていかないとダメだって、思っているから。逆に言えば、その考え方があるからこそ、部下を潰してしまうような自分の言動を正当化できる」
とおっしゃっていた。

絆という言葉には、ポジティブなイメージがあるかもしれない。

しかし絆には「俺の価値観を受け入れて、俺と同じように動け」といった支配欲が見え隠れする。

これもきっと人が持つ本能なのだろう。

島国という村社会で暮らし続ける我々は、もっと絆の暗黒面の理解を深めた方がいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?