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壊れた鏡の破片を拾い集める日々②(全5話)

こんにちは。HSP管理栄養士にゅうでりです。
HSPカフェでは家族の悩みを話すことも時々あり
私はアダルトチルドレンなのか、愛着障害なのか、毒親育ちなのか
ただただ感受性が過敏なだけだったのか
そんなことを考えつつ、ばらばらに心の中にある母の想いを綴って
私の苦しみを自分で紡ぎなおしていく話です。

母の一番嫌いなところ

母の一番嫌いなところはすぐ泣くこと。
泣かれてしまうと、こちらが悪いことをしているような感じになる。
そして前向きに建設的な話し合いが一切できない。
泣かせたいわけではないのだけど、埒が明かなくて困っちゃう。
子どもの頃からずっとそう、ずるいよ…。
泣きたいのはこっちなのに。素直に泣いて甘えたかったよ。

母がなぜこういう人なのか、何が母の人格を形成しているのか、知りたいという気持ちはある。

友だちが少ないし、24歳で出産してから専業主婦で仕事をしていたことがほとんどないから、世界が狭すぎると思う。

カウンセリングにでも誘ってみたら良いのかなとか色々思うけど、母自身にその気がないと難しいし、逆効果だろうなって思う。

母とは距離をとりたい。
でも居なくなってほしいとまでは憎んでいない。
別に依存もしていない。
でもどこかでまだもう一度、正しく愛を受け取り直したいと期待しているのかな。
自分のせいで母を失うのだけは絶対に嫌。
今までの辛かった気持ちを直接ぶつけたりなんてしたら
いとも簡単に消えてしまいそうな母だから、本当にずるいよ…。

だから適度な距離を保っていたいのだけど、どうしたら良いのか、なかなか答えが出ない

昨年まではコロナと母の体調不良と私の忙しさで母と会う機会は少なかった。
それが急に今年の3月から、何度も顔を合わせることになった。
今まで避けてきた課題と向き合わなければいけない状況に追い込まれてしまった。
母が息子に接する様子を見ると、自分の言われて嫌だった記憶が一気に蘇ってきて辛い

理想の母像

私はもう母親に対しては諦めている。
本当は母親らしい母親を頼りにしながら
息子を育てていけたら良いのにと思うけど
もうそんなのは期待しても絶対に無理だから期待しない。
人を変えることはできない、それは分かっている。

でも私には私の理想の母像があって
私は息子に対してはできる限り理想の母親になりたいと思ってしまう
でも私には理想の母親はいなかったから
どうやったら思い描く理想の母親になれるのか分からなくて
それが私を苦しめるんだ。

そんなに一生懸命に母親をやろうとなんてせずに
ただ息子がいてくれて一緒に過ごせる日々を楽しんだら良いだけなのだろうなって、分かってはいるのだけど
私には「ただ楽しむ」それがとっても難しいことなんだ、全てのことにおいて。

屋久島の思い出

2016年に一緒に屋久島旅行に行ったよね。
7年前のことだね。
あの頃の私はまだ、親なんだからどんな親であってもいてくれるだけありがたくて、大切にしないといけないって思っていたよ。
他のうちの母親とはなんかちょっと違うなとずっと思ってはいたけど、それが私の母親なんだって思って、嫌だったことは全部忘れて、良いところだけを見るようにしていたよ。
自分は両親からたくさんの愛を注いでもらって大切に育ててもらってきた幸せな娘なのだって思い込むようにしていたよ。
だから、返せるものは返したいなんて思って、少しは親孝行になるかななんて、母娘の素敵な思い出になるかななんて思って誘ったんだ。
仕事も一番頑張っていた時で、仕事の時間は思いっきり仕事を頑張って、休みには行きたいところに好きなだけ行って思いっきり楽しむのが充実している時間だって信じてやまなかった頃。
相当おかしな精神状態だったのだろうと思うけど、高校生くらいから私はずっとそんな感じだったもんね。
いつかまたあんな風に旅行できる時もくるのかな…。

ツイートにかけずに溜まっていた下書き、少しこちらに書けました。
今思い出すとなんか切ない屋久島旅行ですが、屋久島はとても素敵な場所で、写真(屋久杉の写真ばかりです)を、Instagramの方にアップしているので、見てもらえたら嬉しいです。
まだ深い闇の話は書けなかったので、あと2つは書けそうです。

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