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死を考えることでより良い生き方を選べるかもしれない?

古来より多くの賢人が「死を想え」という警句を残してきました。

聖書には「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」という言葉が登場したり、哲学者のセネカは「生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである」と書き残し、ローマの詩人であるホラティウスは「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」と歌っています。

また、あのスティーブ・ジョブズ氏も「今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?」と毎朝、鏡に映る自分に向かって問いかけているという話は有名です。

彼らのように「死を想う」ことは、一体どのようなメリットがあるのでしょうか?


フロリダ州立大学の研究によれば、墓場の前を通るように指示された被験者は、すれ違った人が落とした荷物を拾ってあげる確率が40%もアップしたという結果が出ています。

つまり、「死を想う」ことで人間は他者に優しくなるわけです。


他の研究でも、自分の死を考えるように誘導された被験者は地球環境やコミュニティへの感謝の気持ちが増し、エコロジーや寄付活動に友好的な態度を取るようになったそうです。

このような現象が起きる理由について、スキッドモア大学のシェルドン・ソロモン氏は、「死への恐怖が個人の世界観を保護する方向に働いたからだ」と説明しています。

自分の死について考えた者は、己の儚さをあらためて認識し、そこで生まれた不安に対処するため、より確かなものにすがりつきたい気持ちが芽生えます。

何を頼りにするかは、人によって異なり、国家、宗教、人種、自然環境、権威者、民主主義、地元の仲間などスケールはさまざまで、自分より大きな構造や物語など自分が安心できるような大きなサイズ感が重要になります。

頼りになるものが見つかると、人間はその対象に投資をするようになります。

寄付活動や見知らぬ人の落とし物を拾うなど、「自分はより大きな共同体の一部なのだ」との意識を手に入れ、なんとかして死の恐怖をやわらげようとするのです。


2011年の東日本大地震が起きた際にも、「地域の絆が強くなった」という報告が多かったことを覚えている方もいると思います。

これも、死の感覚に対して起こった反応であると考えられます。


しかし、「死を想う」ことがマイナスに働く場合もあります。


たとえば、2001年に起きたアメリカ同時多発テロによって、死の恐怖を植え付けられたアメリカ国民は、反射的に自殺や殺人といった「死」に関する思考が浮かびやすくなったという報告があります。

FBIの統計では、2000年には33件だったイスラム系へのヘイトクライムが、テロの年には600件にまで急増し、5年後の再調査でも、ヘイトクライムの件数は同じ水準のままでした。


つまり、死を考えるということは、その人の価値観や考え方によって結果が変わる諸刃の剣です。

「死を想う」ことをメリットにするためには、「畏敬」を感じることが有効になります。


畏敬を感じるメリットはこちら


人は無意識のうちに死への不安を感じていて、人間が選ぶ行動の多くは、その恐怖を解消するために行われる、「脅威管理理論」という考え方もあります。

しかし、「死を想う」ことを正しく活用することで、より良い生き方を選べるもの確かです。

まずは自分が畏敬を感じるものを見つけ、正しく死について考えることが良い人生を送るために大切です。


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