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16年間、逢わなくても喋らなくても、親友は親友のまま。

「親友って風化しないね」って話。


仕事の休憩の時に、齋藤孝先生の著書「孤独のチカラ」を読みふけっていると、ある文章に目が止まりました。それがこちら

ちなみに私には、中学から大学院までずっと一緒だった友達がいる。そう聞くと「つるんでいる友達がいるじゃないか」と言われそうだが、大学や大学院から友達になった人で、私と彼が中学からの同級生であることに気づいた人はほとんどいなかった。なぜなら、私たちはつるまないことを基本にしていたからだ。同じ課題をこなす場合は、私と彼は全然違うところに座ってやった。そのほうがいい緊張感を失わず、力がつくと思ったのだ。その友達とはいまほとんど顔を合わせる機会はない。だが、今でも彼との友情は確かに私の力になっている。

齋藤孝「孤独のチカラ」より抜粋。

この話の前には「孤独にこそ人生を変えるチカラがある。孤独になれ。」という前置きがあります。

孤独こそ至高である。という流れから齋藤孝先生は、逆説的にずっと仲が良かった友達が1人いた、と言っています。

しかし齋藤孝先生のそれは、世間一般でいう「仲の良い」とは一線を画すもので、つるまない関係性なんです。

となりで勉強するわけでもなく、毎晩のように語らうわけでもない。

そんな関係性には既視感があり、それが小学校時代の親友のことだと、気づくのにそう時間はかかりませんでした。

ぼくの小学校1年から4年までの想い出の9割は、彼との遊びで構成されています。

ただ学校では全く違うグループに属していて、接することはほとんどありませんでした。

放課後、毎週月曜日と水曜日の1時間だけ、家のちかくで集まり遊戯王カードで遊んでいたその時間が、彼とぼくを親友たらしめました。

ぼくも胸を張って親友だと言えるし、彼もまたそう思っていると確信が持てるそんな間柄。

そんな彼は小学校4年の時に、仕事の都合で広島へと旅立ちました。突然の知らせでした。

ぼくは胸に穴が空くほど悲しかったことを昨日のことかのように覚えています。そしてそれと同時に、立ち直ったのも思いのほか早かったということも覚えています。

離れてても親友は親友じゃん。

自然と、そう思えたからです。


彼と連絡を取ることもなく、彼の動向が気になることもなくあっという間に16年がたち、ぼくは26歳になりました。

鬱病から立ち直りつつあって「どこかに見知らぬ土地にいこう」という欲がふつふつと湧いていたその年の冬。ぼくは母親に親友の連絡先をきき、次の日には大分県から広島にむけて出発しました。

母親同士は繋がっていので、連絡はすぐ取れました。

ぼくは唐突に電話し、すぐ出た彼の声は昔から知っているそれではなく、えらく低い重低音のようなそれでしたが、ぼくは「おう、あきひろ」と間を置くことなく彼の名をよんでいました。

淡々とした会話だったと思います。


ぼく「明日ひま?」

あきひろ「あー、ちょいまち。てか久々ね」

ぼく「そやね。16年ぶりかね」

あきひろ「仕事終わりで良ければ空いてるよ」

ぼく「おけ、じゃ会おうや」

あきひろ「おけ、ついたら連絡して」


そして何事もなく会い、ラーメンたべて、車の中で紫式部の話をしてから、すぐに車で大分へ帰りました。

また会おう、とかも言わなかったんじゃないかな。

でも間違いなく彼はぼくの親友であり、1℃も変わらず親友としての温度感がそこには存在していました。

話の詳細は完全に忘れてしまってますが、心地の良い空間、時間であったことだけは覚えています。

16年間、一切連絡をとらなくても変わらないものってあるんだな、と。

齋藤孝先生の本を読んでひさしぶりに当時のことを思いだして、noteに書きたいなと思いメモをしました。

そして仕事が終わってマックでnoteに文章をしたためましたが冷静になると「これだれ得なんだ?」という記事が見事にできあがりました。

俺得だ。俺得なんだ。と心がいっている気がするのでそういうことにしておきましょう。

なんだか明日も仕事がんばれそうな気がする。あきひろも広島でがんばってるだろう。おれももう少し頑張ってみるかな。うん、そうしよう。

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