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強度HSP的スピリチュアル/拒食は修行みたいでもうしない/水天需

占わんとするものを水鏡に映すには、濁りがあってはならない。悪いことはしない、極力しない。

神とは.../繊細虚弱スピリチュアリスト

虚弱だった私も中学生になった。エンプティカロリーの摂取で身体は人並みに成長していたが、中身はガタガタだった。しかし体調が芳しくなくても周囲に頼れる大人はいなかった。

ある日、食欲が全く無かったことをきっかけに、食事制限に取り憑かれ始める。あんなものばかり食べていたから汚れているんだと自分に言い聞かせながら。家庭できちんとした食事というものが出されていなかったため、拒食は「はかどった」。

生まれつき病弱な身体に、摂食障害の栄養不足はもろに堪えてしまう。拒食は神経を研ぎ澄ます一面があるけれど、飢餓状態が続くと体力の低下は勿論のこと集中力の低下や不眠が出現した。通学路にある、食べ物関係の看板だけやけに目に飛び込んでくる。厳しい断食を行う修行僧が、何か普通ではない体験をするのも分かる気がした。

体が強く、両親の反対を押し切って家を出た歳の離れた兄が羨ましく、心の中で強く助けを求めたが、一度も便りは来なかった。私が高校生のとき母が一度入院したのだが、その際父が兄の連絡先を探し出した。兄はスウェーデンにおり、そこからお土産が届いた。

祈りは私にとって自然と現れるものだが、現実的な行動を起こせるのであれば、それが伴うか優先されるべきだと知る。成果は想像と違った形で届くこともあるし、行動を続けるにはそれなりのタフさが必要だ。待てずに途中で投げ出して成果が全く得られず、自分は運が悪いと思い込んでいる人もいるだろう。

兄に頼るのは諦め専門機関に相談しようと試みたが、上手く行かなかった。「つまりあなたは、本当のお父さんとお母さんがいて、お父さんはお母さんに優しいのに、ここに電話して来たのね。変わってるわねぇ。ここは暴力を振るわれたお母さんが相談しに来るところです。緊急の電話も来るから」

と、”子供にでも分かる様に”説明されたため、私は子供のふりをして、困っていることを話さずに、分かりましたすみませんと謝って電話を切った。静かに打ちのめされる・・・。

酷く痩せた体を見る。確かに変わっている。私、死んでしまうかも知れない。そんな夜、私が無意識に助けを乞うた相手は、やはり「神」だった。

「神」。強度HSP(HSC)で平和主義な少女だった私は、様々な宗教の物語を少し極端に感じてしまう。全くの作り話とは思わないが、ある人物の人となりやエピソードが伝承されていくうちに、その風土にあった形で数々の寓話や方便に成っていったのではないかと想像した。

今ここにある私は、「大いなる何か」の存在を仮定した。誰にも強要されず自分なりの形で、この宇宙の偉大なる何かサムシング・グレートに祈った。(サムシング・グレートという呼び方は図書館で読んだ村上和雄先生の著書から)

ただ最初は自分に適した祈り方を知らず、窮地に陥ってから下手くそに神に縋った。「悪いことしませんから、どうか命は持っていかないでください」と。あの苦しい時期にも生かされ続けた私は、いつもどこかほんの少し神様の目を意識している。単純に、悪いことをしていない方が心地よいのだ。

水の精/スピ好きと危ない人

だけどある年、私にも優しい恋人が出来、自然豊かな露天風呂へ連れて行ってもらった際に、つい羽目を外してしまった。子供じみたことで恥ずかしいが、私は露天風呂で優雅に泳いでしまったのだ。旅館で早くに目が覚め、今ならと思ってしまった。悲しいかな旅行慣れも幸せ慣れもしていない。

朝の気配、森の香り、鳥の囀り。私は自然の恵みを祝福として受け取る。シダや苔の生した丸い岩を支えとし、きらきら乱反射する温泉に身体を伸ばす。

息をたっぷり吸うと浮かび上がり、吐くと沈むのが分かる。何度か繰り返した後、岩から手を離し、すうっと平泳ぎをした。多幸感に包まれ、水の精霊の気持ちになる。

穢れが祓われていく。摂食障害で黄ぐすみしてしまった肌も、朝日とお湯のお陰で白く瑞々しく光っている。朝の森の湯にただ一人、一糸纏わず思いのままに泳ぐことは、当時の私にとって特別なヒーリング体験となった。

ふいに婦人が二人、脱衣所からこちらへ歩いてくるのが見え、我にかえる。見られてはいないようだけど、恥じて胸の中で謝る。私は危ない人に成るのは嫌だな。

「いい子ぶっている訳じゃなく、至って真面目なのよね。現実逃避のためのスピリチュアルに落とすお金もエネルギーも無かったものね」ともう一人の私が意地悪そうに笑った。

性のカード死のカード/セックスは最後の切り札にあらず/スピという裏技

休日の、まだ早い時間帯の鑑定。私に似た痛みを抱えた女性が打ち明けてくれる。

「彼には長年お付き合いしている彼女さんがいますし、私を本気で好きではないのは分かっています。誘ってくれたのは体目当てだと霊視されなくても分かります。貢ぐお金もないし、私はセックスという最後の切り札をちらつかせてるだけなんです」

セックスが最後の切り札ではないと知っている私の過去も大概暗い。

「彼女さんは本物のお嬢様なんです。大切に育てられている本物のお嬢様です。うちは貧乏だし、親は夜働いているから私が家にいなくても気付かれません。私が親に存在を主張する最後の切り札は、自殺だと思います。それでも、本物のお嬢様には死んでも敵わないんですが」

痛いほど分かるけれど、自死は上等な手段ではない。都合よく解釈されて葬られたらこちらはもうなす術がないもの。それならば、魂は何にも誰にも穢されないと思い出し、準備して幸せになるのがあがりだ。

彼女が、本物のお嬢様と3回、最後の切り札と2回言ったのは只の口癖ではなく、日頃セルフトークで繰り返しているキーワードであり脳内で見ているヴィジョンだからであろう。

「本物のお嬢様、ですか」

「はい。生まれつき差があるんです」

これから長い人生の道のりの中、彼女と比較する必要がないくらい幸せになることを想像出来ますかと訊ねたところ、「あり得ないから想像出来ません」と。

「私今日、誕生日なんですよ。だから今日くらい、高いお金を払って、裏技で、目に見えない力を借りようと思ったんです」

ああ、この素直な女の子は泣いている。

彼女の許可を得てカードを1枚引く。

水天需

私自身に重なり、内心どきっとする。

「今は信じられないかもしれませんが、あなた、幸せになるんですよね。『今、若いからセックスというカードがあって、でもこれからもっと状況は悪化する』という考え方を変えてみる価値があります。これは無理なポジティヴではないんですよ」

HSPヒーラー女性たちの悲しみ/ガラガラ崩れる前に

占わんとするものを水鏡に映すには濁りがあってはならない。悪いことは極力しない。だけど、それに囚われすぎてもおかしくなる。だって、もう水がないときだってあるでしょう。

自ら進んで底辺になることで、誰にも恥をかかせないようにした。だけどわざわざそう心掛ける必要もなかった。悲嘆に暮れた若いクライアント様の悩みをよくよく聞くと、過去の私より聡明な子ばかりだった。

しかし、他の占い師やカウンセラーに相談した際に酷いことを言われてしまい、余計傷ついてここに辿り着いたかたも少なくない。「そんなに私は駄目なんでしょうか。まあ、駄目なんでしょうね」と。

いいえ、どうか落ち込まないで欲しい。「あなたのその悩みは我儘だ」と嫉妬の対象になっている場合もあるし「そんなことも分からないからいつまでも願いが叶わないのよ!」と上から目線にならないとやっていけないくらい、聞き手に余裕がないのかも知れない。実際に「私だって大変だけど、食べていくために働いているのよ」と直接言われたことがあり、その人は間もなく辞めてしまった。

占う側も占われる側も、ストレス耐性が低く何かあったときにガラガラと自分から大きく崩れてしまう人は女性に多い気がする。そこには私も含まれるのだが。

人より大きく喜び、人より大きく悲しむ気質の人が一定数居る。HSP、エンパス女性に多いだろう。彼女たちが人に共感するのは自然なことで、人の痛みにはもっと分かろうとする。幼少より相手がして欲しそうなことが割と視えるため、それを叶える役を買って出ることが多い。色々なことを人に譲りながら生きて来た人たちだ。

しかし、譲られた相手が「あなたのお陰だよ、ありがとう」と表立って感謝を伝えてくれることは実は少ない。本人がそれを気にしないとしても、諸々の事情で譲ることをやめたHSP女性たちは「情緒不安定、共感力がない」と批判の対象にさえ成る。もっともっとと求められ、枯渇してもう無理ですと辞退した人より、最初から何もしていなかった人の価値が上がる。

繰り返してやっと気付く。さあ、もうそろそろ引き立て役に留まる必要はない。私たちは労力を、先ず自分自身や愛を交わせる人たちに使ったほうがよいのではないか。その器を養おう。より一層優しい世界を作れるだろう。

霊的バトルの滑稽とリアル

会社でやっているブログ記事に届く感想にはよく驚かされた。ブログに書いた文章は、まるでタロットカードだ。読み手の受け取り方で、手触りが180度変わってくる。同じ記事なのに、ある人からは「優しいエネルギーに癒された」と感謝され、ある人からは「クヨクヨしないで元気出して!」と励まされた。

また、ある時「大変なお仕事でしょう。よかったら話聞きますよ。僕、こんなサービスやっています」と男性からDMが届いた。「はい。大変なこともありますが、今のお仕事大好きです!私はこのようなサービスをさせていただいています。これからどうぞよろしくお願いいたします」とご返信すると、ブロックされた。春姫に伝えると大笑いされた。

同業者から執拗に攻撃されたこともある。容赦無く攻撃してくる人に、夢の中で「友達になりましょう。微力ながらお役に立てることがあるかもしれません。手を繋ぎましょう」なんて話しかけた(江藤蘭世方式)。

だが実際はそういう訳にいかないらしい。まず攻撃者が望んでいるのは対等な関係ではなく、彼または彼女が上に立つ関係なのだ。

上に立つことに興味がない私だから、仮にそこそこの関係を築けたとして、私はその人物を自信を持ってクライアント様にご紹介できるか?それはNOだ。

私が攻撃された形跡を友人に見せると、「攻撃者。そんなことをして食べるご飯が美味しいのかい」と静かに呟いた。私は泣いた。

そうだ、私には毅然とした心の美しい仲間がいる。嬉しい。嬉しい。ありがとう。

水天需

ー「よくここに辿り着いてくださいました。もう一人じゃないからね。そして元気になったら、また愛する人のところへお帰りになってね。どうぞお幸せに」

そんな気持ちで活動していた。

リビングに座って洗濯物を畳む。ここから見ると窓の外は空しか見えない。私はもう死んでいるのではないか、実は天国で家族と暮らしているのではないかと思うほど、のどかで心地よい。生きていることがまだ当たり前のように思えないが、そろそろ慣れよう。

自分で家族を占ったとき、久しぶりに水天需すいてんじゅが出て、過去のエピソードを思い出した。「すいてんじゅ」と声に出すと、娘が「あ!」と気付いて玄関を指差した。え、玄関に水天需?

「割と甘かったわ。水蜜桃すいみつとう、皆んなで召し上がってね」と従兄弟の四花子さんが昨夜分けてくれた桃の箱を、下駄箱の横に置いたままだった。

おわりに

水天需。中学生くらいでこの卦に出逢えたらよかったのになぁと思いながら書きました。星マリアさんの『六十四卦の部屋マガジン』を貼らせていただきます。

易占いは、お手持ちのコイン(硬貨)でも行うことができます。マイカレ2022年秋号、「金曜日のイーチン」はマリアさん監修です。

・この物語はフィクションです。 
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