ストレスで逆流性食道炎と強迫性障害になった話

母親と父親が離婚する前、2人はよく私の目の前で喧嘩していました。父親が「子どもの前で喧嘩するのはやめよう」と言っておきながらやめないので、私が「うるさい!」と大きな声で言ったらやめてくれるかなと思って言うと、私がお兄ちゃんに「うるさい」と言われる始末。

そんな日が続いたある日のこと。お腹が気持ち悪くて、学校を何度も休むようになります。大っ嫌いな学校に行かなくて済むのが嬉しかったです。

何日経っても良くならないので、大きな病院に行って、妊娠した時にお腹の中を見るような機械(名前知らない)で見てもらうが、異常はなし。

次に胃カメラで見てもらうことに。生まれて初めての胃カメラはマジで気持ち悪かったです。もう2度としたくありません。

検査が終わって、「どうせ異常なしなオチなんやろな〜」とか思ってたら、先生が「胃の入り口が傷ついてますね」とのこと。そういえば、めちゃくちゃまずい液体が、よく喉の奥から出てきてたけど、アレが胃酸で、私の胃の入り口を痛めつけてたんだな〜と納得。

原因はストレスだと言われました。

当時の私はバカだったので、ストレスなんてあったっけ〜?( ᷇࿀ ᷆ )とポケーとしていたけど、今思えばストレスだらけでした。バカは風邪を引かない(引いたことに気付いていない)って本当なんだなと思いました。体は正直ってね。(照)

逆流性食道炎と病名を付けられた時は嬉しかったです。何故なら、お兄ちゃんによく「仮病」だと言われていたから。どんだけ私の事嫌いやねん。帰り道、母親に「お兄ちゃんに逆流性食道炎やったって言っといて〜!」って言ったのを覚えています。反応は「ふーん」だったけど。

昼食後に薬を飲まなきゃいけなくて、学校に薬を持っていったら、いじめっ子が「先生、ヒステリックメンヘラがお菓子持ってきてる〜!」と言い出した時は、マジで「なんやコイツ」と思いました。

「薬だよ」って言ってるのに、嘘か本当か確かめるために、いじめっ子が薬を半分に割って、その粉が苦いと分かってから、何も言われなくなりましたが。「疑ってごめん」くらい言えやσ(^_^;)

これが逆流性食道炎になった時の話です。

強迫性障害は、母親とお兄ちゃんと私の3人で暮らすようになってからです。

出かける前に家にある段差を気が済むまで行き来しないと、嫌な事が起こると思い始めました。今思えば訳がわからないけど、その時は自分だけの(よく分からない)ルール♡だと思って、あまり深くは考えませんでした。

そのルールは、日に日に増えていきます。最後に物を小指で触らないと、私(小指)以外の父親(親指)、母親(人差し指)に嫌な事が起きるとか、火曜日は火だから、火曜日にアレをしたら家が火事になるとか……頭の中がルールでいっぱいでシャワー浴びるだけでも1時間かかったりしていました。

人前でするくらいだったので、おかしいと思った母親が私を病院に連れていき、私のルールだから病気とかじゃないのに……って思いながら、病院の先生に自分のルールについて話をしたら、「強迫性障害ですね」と言われました。

これも原因はストレスだそうです。

母親は嫌がっているようでした。自分の子どもが心の病気になったのが恥ずかしかったのでしょうか。「誰にもこの事は言わないで」と言われました。

実は、私が強迫性障害になったせいで、飼っていた小鳥を死なせてしまいました。餌をあげなかったからです。正しくは、餌をあげれなかった。

餌が入っていなかったので、入れようとしたのですが、その日は火曜日だったので、餌を入れたら火事になってしまうと思ったのです。次の日は水曜日だから、水に溺れてしまう。だから、餌をあげるのを木曜日まで待ちました。水曜日か木曜日、どっちだったか覚えていませんが、学校から帰ってきた時には、もう既に亡くなっていました。小鳥が一生懸命、餌を探していたのを思い出すと、今でも涙が出てきます。お腹空いてたよね。ごめんね。

鳥かごを持って、急いでおじいちゃん家に向かいました。餌が入っていないのを見たおじいちゃんは、私が餌をあげなくて小鳥が亡くなったんだと分かっていたと思いますが、「寿命かもしれないね」と言って、泣いている私を慰めてくれました。

「私は強迫性障害で、餌をあげたくてもあげられなかった」と正直に言いたかったのですが、母親に「誰にも言うな」と言われていたので、小鳥が亡くなった真相は、私以外、誰も知りません。

これが強迫性障害になった時の話です。

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