ひろさと

「逃げろっ!」大学受験から逃げてアメリカへ、日本の職場から逃げて中国へ、会社員は務まら…

ひろさと

「逃げろっ!」大学受験から逃げてアメリカへ、日本の職場から逃げて中国へ、会社員は務まらずフリーになり、いつまでも逃げ続けよう。

最近の記事

生活雑感 2017年~2021年

 21年3月末、ようやっと外国人向けにコロナワクチンの接収が開始された。予め教えて貰っていた"健康雲pro"というWeChat mini アプリダウンロードする。アプリを開いたら、”境外士接種(外国人ワクチン接種)”を選択し、個人情報(氏名、パスポート番号、携帯番号、など)を登録。すると、ワクチン接種会場の選択が出来るようになる。リストに出てきた最寄りの病院を選択。接種出来るスケジュール(30分おき)のリストと空き数が出てくるので、都合の良い日時を選択して、OK。時間にして1

    • 生活雑感 2011年-2017年

      08 年のオリンピック、10年の万博で、街の発展は一通り終わった。中国というと、列に並ばない人たちとか、赤信号でも渡ってしまうとか、素行が悪く報道されガチだけれど、この時期から大きく変わっていったと思う。 今年初めのある交流会で20代の中国人と話していたら、万博の頃は中学生だった言う。中国の発展しか見ていないのだ。話し方も落ち着いていて、紳士・淑女的、服装も清潔でファッショナブル、彼らの外見や振る舞いを見ていれば、ユニクロ一色・長く中国に染まった僕よりもずっと現代的だと思

      • 生活雑感2003-2010

        インターネット上を探すと多くの人が中国での生活を書いている。自分も18年間、ここで暮らしてきたし、その変化も見てきた。家族も仕事も生活も全部ここにあり、日本は年に数回帰る場所になってしまった。最近になって、中国が結構好きな自分にも気がついた。そんな中国びいきの視点で、この18年間の生活雑感を書いてみたい。個人的なイベントもあり印象の強い、3つの期間で分けている。それが、2003年〜2010年、2011年〜2015年、2016年〜2021年。 高校生の頃、Japan an N

        • 帰国できない一年

          日本へ帰れない。ソロソロまるまる一年が経つ。最近やっと少しづつ減ってきた日本での感染者の数とワクチンのニュースを見ては、今年は帰れるのだろうかと期待は半分。 中国では、今回のコロナで大変だったのは、1月末〜4月上旬。色々なことが制約され、コロナという状態に対応しようと若干の混乱もあったと思う。 僕は、一年前の1月中旬に出張で武漢にいた予定が若干変更になり、数日前に上海へ戻ってきた。と思ったら、武漢が閉鎖されたと聞く。出張に出る前は、それほど危険視されていなかったと記憶して

        生活雑感 2017年~2021年

          今できることは、昨日までしてきたこと

          人間、突然に新しいことなんて出来ない。今できることは、昨日までしてきたことの終点で、そしてこらからやっていくことの起点。やっていなかったことを、これからやろうというのは、絶対に出来ない。 ただし、これには考えてきた事も含まれると思う。ず〜っと考えてきたけれど、時間がなくて出来なかった。それなら時間ができた今に始めることは出来る。そして、始めるには準備が必要。いきなり何かを始めても、結局のところ壁にぶつかってしまう。 時間だけが、始めるにあたっての障害だったのだろうか?お金

          今できることは、昨日までしてきたこと

          目の前が真っ白になった出来事は、その後の人生を決めるものだと思う。

          目の前が真っ白になった。そんなことってありますか?僕の場合は一回だけ。就職して3年目の春先、専務から一通のメールが来た。「〇〇君は、残念ながらクビになりました。」と言う文章で始まるメールだったと思う。 今思い出しても表現しようのない驚きで、視界が見えていないわけでもないのに真っ白になったように覆われた。暫く固まった後、周囲を見回した。前の席の先輩は営業に出ていて不在。後ろには、営業事務の女性がパソコンを前に受注処理をしている。心臓がバクバクと高鳴った。その日は、どう対処した

          目の前が真っ白になった出来事は、その後の人生を決めるものだと思う。

          100歳まで生きること

          僕の祖父は100歳をこえて生きた。生まれは明治。祖父は平成の亡くなっているが、今から数えれば令和、平成、昭和、大正、明治と5つ前の時代だ。 僕は、多分そこまでは生きないだろう。風邪はひきやすく、持病も持っている。ただ、大きな事故もなければ、そこそこは生きるだろうと思っている。そこで、100年生きるだろうと、念のため仮定している。いまもって半分にもは到達していない中、日々をダラダラと過ごしている。 昨今巷では人生100年などとも言われるようになってきた。色々な薬も出てきてい

          100歳まで生きること

          28歳で社会人

          僕はアメリカのとある大学を卒業し28歳になって社会に出た。ちょうどITバブル真っ盛りの頃で、留学生がリクルートの対象になり始めた時期と重なったこともあって、年齢が高い割に仕事を見つけることが出来た。就職氷河期に関する文章を読むことがあると、本当に運が良かったのだと思うことがある。 大学時代の僕は、なんだか色々なことに首を突っ込んでいた。専攻2つのダブルメジャーだったし、演劇部にも所属、Japanese Tableだったかの交流会にも顔を出し、学生寮を管理するプログラムコミッ

          28歳で社会人

          稼ぐを模索して10年

          稼ぐとはなんだろう? ワンマン社長の下で働いていた新卒時代、いくら頑張っても自分のためにならないと感じていた。同じ会社だけれども工場勤務になった時、周囲の人たちに助けられながら仕事に励むことが出来た。話ができる上司と仕事をした時に初めて仕事を楽しいと感じることが出来た。 けれど、その会社を辞めなくてはいけなくなった事で、自分自身で稼ぐということを模索し始めた。その頃は、転職したら年収アップ、何百万円などと言うことを非常に気にしていた。そして、それがなんと難しいことなのだろ

          稼ぐを模索して10年

          コロナから思うこと

          2020年は本当にあっという間に過ぎ去ってしまった。1月末にコロナが発生、その影響で2月3月は仕事ができず。4月から少しづつ仕事に出れたものの渡航規制で国内、国外とも出張ができず。中国国内では、7月以降になってようやっと移動制限が緩和され、マスク、健康コード、行程履歴など制限はあるものの出張には出れるようになった。中国では収まりつつあり、日本では感染が途切れることなく逆に広がっていった。 中国では、身分証明書(外国人はパスポート)と携帯番号が紐づけられ、移動履歴や居場所が把

          コロナから思うこと

          お金を稼ぐのは大変だから

           2019年の3月末、手元のお金がなくなる事態が訪れた。予定していた売り上げが、最終ユーザー都合の業務停止(既に自分の仕事は検収済み)で入らなくなったこと。収入のタイミングの問題。仕事には、単発、数週間、数ヶ月と期間が異なるものがあって、そこからの収入が結果的に全部繋がっていれば問題はない。が、途切れるときがある。もちろん、それを起こさない様にする工夫はする。これまでも、運良く完全にショートすることはなかった。けれど、起こるときは起こる。  仕事をするにはお金がかかる。家賃

          お金を稼ぐのは大変だから

          事業を閉鎖して

           数年前、友人の工場を手伝っていた。けれど、年々上がる固定費に工場運営も厳しくなっていた。正直自転車操業だったと言っていい。そして、2015年から急激に厳しくなった中国の環境規制が決定だになった。2016年に工場を閉鎖した。  中国人社長は、工場が入っていた工業団地の手伝いをしながら、商社として既存顧客の仕事を続ける事にした。僕は、既存の日系企業向けの窓口をしつつ、以前営業に出向いた先で誘われた仕事を受けることにした。工場を閉めてしまっては、収入をえられるほどの仕事は残って

          事業を閉鎖して

          フリーランスになる迄

           フリーランスで仕事をする原型は、元を辿れば2008年末まで遡る。その年の暮れに突然、社長から中国側の子会社の営業をやってくれと言われた。中国への出向も突然だったのだけれど、ワンマン社長の会社では鶴の一声が決定事項になる。  この子会社、日本人総経理が一人いるのみで、後は全てローカルスタッフ。本社から請負業務で手一杯だったため、現地で営業をした事がなく、営業をすることを止められていた。そして2008年末のリーマンショック、市場が全く動かない中で営業開始だった。  その総経

          フリーランスになる迄

          にげるよ

           友達にnoteを教えてもらって、登録してから3ヶ月経った。最初の投稿をしないまま自己紹介文を何回か書き直している。そして、これかも何度も書き直すと思う。だから最初の投稿は、その自己紹介文で使っている「逃げる」について書いて置こうと思う。 自分は何から逃げていたのだろうか? ・日本の大学受験からアメリカの英語漬けの留学生活へ ・日本の職場環境から→何もわからない言葉も通じない中国の職場環境へ ・会社員からお金がなくて四苦八苦するフリーランスへ  上で「逃げる」という言葉

          にげるよ