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生活雑感 2011年-2017年

 08 年のオリンピック、10年の万博で、街の発展は一通り終わった。中国というと、列に並ばない人たちとか、赤信号でも渡ってしまうとか、素行が悪く報道されガチだけれど、この時期から大きく変わっていったと思う。

今年初めのある交流会で20代の中国人と話していたら、万博の頃は中学生だった言う。中国の発展しか見ていないのだ。話し方も落ち着いていて、紳士・淑女的、服装も清潔でファッショナブル、彼らの外見や振る舞いを見ていれば、ユニクロ一色・長く中国に染まった僕よりもずっと現代的だと思えた。

2011年後半から、僕はフリーランスへの模索を始め仕事も4回変えた。3ヶ月、1年、4年、2年、これを言い換えるとクビ、事業閉鎖、事業閉鎖、クビという流れだ。5転び6起き、次は七転び八起きなのか、七転八倒なのか。

工場の中から外へ

駐在員というのは、そもそも工場内に引き籠っている。人間関係は、社内にいた日本人30名弱とローカルスタッフがの全て賄えた。営業へ出ると言っても、頻度は少なく、運転手付きの社用車でだ。近場がないし、そして交通手段もなかった。別部門の上司が、ランニング中に右折するトラックに撥ねられたこともあって、自転車に乗ることすら禁じられていた。因みに僕もブレーキの効かない電動バイクに、後ろから追突されたことがあった。それも、2010年頃には、社長から自転車で営業に行けと命令が出た。

行動範囲が広くなる

社内にいるときは、社用車かタクシーを使っていた。けれど、会社を出てしまった僕には、そんなこと言っている余裕がなくなった。代わりに次第に便利になり始めた公共交通を使う様になった。

例えば、営業をするには交流会に出席するのが都合が良い。会合場所は市内だ。現地まで、郊外から地下鉄で最寄り駅まで行く(120円)。そこからタクシー、約300円。2011年は、この地下鉄+タクシーが定番だった。

しかし、2012年後半、友人の会社を手伝い始めると収入が激減した。タクシー代が勿体ない。バスを使いたい。市内の先々のバス停でバス番号を確認するようにした。会合場所と地下鉄降り口のバス停で共通のバス番号を見つけて、そのバスを使ってみるのだ。これで、タクシー300円→バス30円にコストダウン。この削減は中々嬉しかった。

中国のバスは初心者には厳しい。まず、バスの路線図は見つからない。停留所には停車駅名(道の名前)しか書いていない。土地勘がないと、どこ行きかが全く分からない。公共路線は伸びているものの使いようがなかった。情報弱者の外国人にはどうにもならなかったのだ。

この辺りは車での移動でも同じ様な感じだった。2013年頃から、車は頻繁に運転する様になっていた。高速道路が地方へとどんどんと伸びていく中で、車での行動範囲も広がっていった。上海から半径150km圏内は、営業やら納品やらで頻繁に行き来していたと思う。高速道路でガス欠して、後ろから来たレッカーに助けられたり、何か踏んづけてパンクしてタイヤ交換したり、真っ暗闇で事故りかけたりしたのも全部この頃。一番遠い所で300kmくらいまでは行ったかな。

スマホなんてないから、頼るのは車取り付けのカーナビ。地図の精度も悪い。どんどん描き変わる。ナビ頼りに運転をしていると、何もない荒野のど真ん中にで出た、なんて結構あった。なので、新しい街に行くと、真っ先に地元の紙地図を買って、行き先に丸をつけて客先訪問なんてこともやっていた(懐かしい)。

それでも交通はどんどん便利になっていく

それが、2013年ごろになると劇的に便利になったのだ。スマホのナビでバスの乗り換え案内が使える様になった。この時は、本当に嬉しかった。上海市内のどの場所へも地下鉄とバスで行くことができる様になったのだ。わざわざ、バス番号を出発と到着のバス停で確認する必要もない。日本のGooleナビを羨ましく思う必要も無くなったわけだ。はれて、情報弱者返上である。

日本と同じ?

日本で生活するのと同じになってきたな、と言う感覚が芽生えて来てのもこの頃。どこかへ行くことの便利さに加え、行ける場所も似通って来た。例えば、スタバ。上海市内にしかないスタバが一気に郊外にまで広がって来た。コンビニは、Family Mart(全家)が支配権を握りつつあった。ただ、スタバは安かったし、ファミマは美味しいものが少なかった(これは今でもあまり変わりはない)。

スタバに行くとコーヒ-が飲める!これ大きい。中国に来たばかりの時、コーヒーを飲むのに苦労した。スタバは市内にしかない、家で飲むにも豆がない。カルフールで豆を見つけたと思えば、ドリップ用の器具(Kritaやフィルター)などが売ってない(なぜ?)。03年当時、ルームメートだった会社の専務が日本に帰るときに買って来てもらうなど、色々工夫が必要だった。行けばコーヒーが飲めるスタバが、中国中に氾濫した今となっては、あれは幻だったのか…。今では、ファミマやローソンにコンビニコーヒーがあるし、MacCafeやK-Coffe(KFC)もあるので、コーヒー難民にならなくて良くなったのは嬉しい。

便利になるということは高くなるということ

スタバのドリップコーヒーは15元(210円)で飲めたが、今や20元(340円)、それも敢えてドリップ機材を清掃中などにして販売していないお店が多くあり、選べるのは25元(420円)のアメリカーノしかないとか、酷い事態も発生してている。

他の価格はどうだろうか?

ビッグマックセットは20元(280円)→33元(520円)、サントリー烏龍茶は2.5元(35円)→5元(80円)、タクシー8元(112円)→14元(224元)と、大体倍になっている。

日本食は?


1400円から2800円へ2倍。2003-2010で書いた、飲み食べ放題が80元が安すぎるのは周知。日本食や界隈は値段を上げるために談合。お店にはのテーブルには、全ての店舗の社判が入った紙が貼られ、10元、20元とじわじわと値段が上がり、落ち着いたのは168元(約2800元)。ただ、仕入れが良くなったのか、味もよくなって行った。刺身は新鮮で、とんかつは厚く、舌鼓を打つほどの美味しさはないけれど、十分に食べられるほどになっていった。そして、ビールはやっぱり飲み放題。

日本食が中国人受けし始めたのもこの頃。収入も上がって来て、日本に旅行に行く人も出て来た。だから、日本食を食べに行くと中国人同士で食べに来ている客もたまに見られた。ただ、食べ方は豪快で、お店「あそこの女性客が甘エビを7皿たべちゃったので売り切れ」なんてこともあった。ただ、日本食が流行るのは、日本人の自分たちには結構なこと。価格が上がっても、そこまで高くはないし、味も良くなっているから気にすることはないとたかを括っていた。

食に彩りがあるのは中国の良いところ。野菜も多いから、とても嬉しい。駐在員時代にメキシコ国境付近のテキサス州で1月ほど缶詰になったことがあるのだけど、あの時は日々肉と小麦粉しか食べられずに難儀した。一度だけ、日本食を食べに行く機会があったのだけど、べらぼうに高かった。胡瓜のスライスを詰め詰めにした大きめの小鉢にちっちゃいエビが3つのって7ドルとか、、、ありえない。


LINE?中国はWeChat!

中国にはWeChat(微信)が出て来た。スタートは、どうも11年頃らしいんだけど、僕が使い始めたのは13年ころ。ショートメッセージよりは使いやすいし。グループチャットは、交流会の仲間内や仕事仲間で情報を共有できるのでとても便利だった。LINEも同じ時期に一気に広がって、中国人も結構使い始めたなと思ったら一気にシャットダウンされてた。いまではWeChat一強だ。家族や日本にいる友達には、あえてWeChatを入れてもらってコミュニケーションを取っている。日本へ帰国した友人とも繋がっていられるし、なんとも便利なツールが出来たもんだと思う。


なんだかんだと住みやすくなってしまった

仕事は手探りだし、収入も激減した。反面、会社を出たおかげなのか、外に友達や知り合いが増え、生活面で困ることがなくなってしまった。いつのまにか、中国は住みやすくなってしまったのだった。


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