フリーランスになる迄

 フリーランスで仕事をする原型は、元を辿れば2008年末まで遡る。その年の暮れに突然、社長から中国側の子会社の営業をやってくれと言われた。中国への出向も突然だったのだけれど、ワンマン社長の会社では鶴の一声が決定事項になる。

 この子会社、日本人総経理が一人いるのみで、後は全てローカルスタッフ。本社から請負業務で手一杯だったため、現地で営業をした事がなく、営業をすることを止められていた。そして2008年末のリーマンショック、市場が全く動かない中で営業開始だった。

 その総経理とは意外にうまがあった。二人で色々なところを回った。お客さんを作るにはどうしたら良いだろうかと、それまで読んだこともなかった営業やマーケティングの本を読み、相談し実行していった。電話営業、ファックス広告、飛び込み(は大抵断られた)、無償サービス、セミナー開催、メーリングリスト、広告、交流会参加、などなど。約1年半で約500名の方と名刺交換をした。

 結果としは、残念ながら全然稼げなかった。大口のお客さんとの契約が決まりかけ、新しいサービスを立ち上げて、これからという時に総経理がダウンして入院した。そのタイミングで、社長から営業は必要だけど、払う経費はないと言われ会社を辞めた。

 けれど、この頃はなんだか無闇に頑張っていた。営業先の方と意気投合し勉強会を立ち上げたりもした。日中ビジネスを立ち上げようと、毎週の様に集まって打ち合わせたりもした。打ち合わせの後は決まって遅くまで飲んだ。今思えば、独立に向けてもがいていたのだと分かる。

 フリーランスとして仕事をするまでには色々な仕事を経験した。たとえは、子会社をクビになった後は、教育会社→日系メーカー→友人の会社→ローカル企業2年→友人の会社1年と会社に所属しての仕事もした。こないだ、パソコンの中を整理していたら、30程いまは関わっていない仕事のファイルが見つかった。色々仕事をしていることで信頼を失うんじゃないか、信用されないんじゃないかという葛藤もあった。七転八倒もいいところで、気づけば11年が経っていた。昨年あたりから、やっと生活が出来るレベルまでになっている。

 もしも、やりたい事というのがあったら、ここまで転げ回っていなかった様にも思う。「〇〇をしたくないという欲求」はあっても、とことんまで「〇〇をしたい」という欲求はない。だから、多分これからも何度も転ぶ。藪の中に突っ込んでいく。痛くない転びかたを知り、トゲの避け方を覚え、なんとかかんとか生きていくのだと思う。

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