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元不登校は、まだ不登校 -不登校コンプレックス-

こんにちは、hiroです。
いきなりですが、私は中高と不登校でした。出席不足のため、同級生と一緒に高校3年生に進級できず、通信制高校へ編入しました。しかし通信制高校のスタイルにも馴染めず、最終的には大検(現高認)を受け、大学に進学しました。

コロナ禍で選択登校制や不登校が話題になっています。そこで、不登校で学校嫌いだったにも関わらず、現在学校教員をしている私の視点で不登校についてまとめてみたいと思います。

不登校にも種類がある

不登校にもいくつかパターンがあります。
1つ目は、明らかに学校や周囲に原因がある場合です。いじめ、虐待、家庭環境等、不登校の直接的な原因が明確な場合です。この場合は、その原因を取り除くこと、可能であれば環境を変えることで、不登校状態の改善が期待できます。

2つ目は、生まれつきの疾患、障害等で登校が難しい場合です。制度上は院内学級や特別支援学校(級)、発達支援センター等がありますので、厳密には不登校と言えない場合もありますが、通常学級での対応が万全とは言えない状態にあり、そのような意味で不登校状態と言えるでしょう。ただし本人の体調等にもよりますので、ケースバイケースで対応せざるを得ないのが現状です。

3つ目は、原因不明つまり明らかな原因はないが、なんとなく行きたくない、行けないというような場合です。私の場合は3つ目に該当します。いじめや虐待等の明確な事実はなく、とにかくただ学校に足が向かない。このような状態でした。

4つ目は不登校に起因する二次疾患で精神疾患等を発症、あるいは何らかの原因で精神疾患等を発症して学校に登校できないケースです。上記1~3が原因となっている場合が多いでしょう。

5つ目は敢えて登校しない不登校です。コロナ禍で登校選択制が話題になっていますが、登校を選択しないという人は今後増えていくと予想されます。

以下では、上記1~4に絞って考えてみます(5については別の記事で)。


なぜ進学したか

私は大検に合格後に大学に進学しました。進学した理由は大きく2つです。

大検に合格し受験資格を得たから
次こそは学校にきちんと通いたいと思ったから

大学に進学したい理由がずれていますよね。何かを学びたいという動機ではなく、不登校だった事実をどうにかするために進学を目指しています。今思えば、学校にきちんと通うことが良いという価値規範が、自分を苦しめていたわけですが、当時の私は「学校に行かなかった事実は、学校に行くことでしか解消できない」と大真面目に考えていました。

ただし、学校にきちんと通うことが良いという価値規範というのは社会の側にも根強くあります。履歴書には中退を書くし、義務教育以降の学校でも、毎日学校に通うのは当たり前と考えられています。また、学校に行かなければ取得できない資格がある等、社会のシステムが学校のシステムに依存してるという点も価値規範の強化につながっています。

最近では、周囲に不登校の人がいる人や教育関係者であれば、不登校は特別なことではありませんが、一般の人からすれば、まだまだ学校に行かないということは、少なくとも自分で積極的に選ぶには勇気がいる状態です。当時の私もほとんどの人が行く学校に行かないということに強い劣等感を抱いていました。

そして、私の場合は大学に行き、不登校=劣等感を消そうと試みましたが、学校に行かなかった事実は上書きされるのではなく、反対に不登校だったという形でしばらくの間、残っていました。

学校に行かなかった劣等感は
学校に行っても上書きされない


不登校の影響は思っているより大きい

不登校の影響とは何でしょうか。
最初に思いつくのは学力です。しかし学力は適切な時間をとって、適切な方法で学べば、誰もが一定のレベルに到達すると考えられます。よく言われる集団行動も学校でなければ学べないと言い切れるものではありません。

学力にしても集団行動にしても、学校ではそれらが学びやすい環境が整っている(もっと言えば、公教育だから保障されている)だけであって、学校で学ばなければならない根拠にはなり得ません(学校で何を学ぶか、学力の定義はこの記事の目的とずれますので暫定で定義しています)。

学校でなければ学べないことの根拠はない

私も学校では勉強をしていませんが、受験も大学進学後も勉強についていけないということはありませんでしたし、振り返ってみれば学校で学んでいないことが著しく不利になったことはないように思います。それなのに、学校に行っていない事実がいつまでも自分の中で消えないのです。私はこれを不登校コンプレックスと呼んでいます。

不登校の影響=不登校コンプレックス

私の場合、不登校コンプレックスが、かなり長期間に渡って自分の中にありました。大人になれば不登校だったかどうかよりも、仕事ができるかできないかで評価されるはずだし、実際に私自身も仕事は休まずに行っているにもかかわらずです。不登校を補うだけの経験や社会に出ての評価、性格の問題ではなく、不登校だったという事実だけが自分の中で長期化していました。


元不登校の人は、まだ不登校なのではないか?

SNS等を見ていると、元不登校を自己紹介に入れる人は非常に多いです。
通常、元○○というときには、経歴を示すことが多いのですが、なぜか経歴ではない不登校を自己紹介に入れる人がいます。なぜマイナスと捉えられうる不登校を経歴と同じように表記するのか。

それは、元不登校の人はまだ不登校だからではないでしょうか。自分の中では過去のことと思っている不登校の事実を実はまだ消化しきれていない。自分の経験からもそのように思うのです。

と同時に、元不登校と言えるようになったということは、不登校だったという事実を公にし、不登校コンプレックスと向き合えるようになったということだろうとも思います。そして、学校に行っても上書きされない不登校の事実は、この不登校コンプレックスと向き合うことでしか消化できないと考えています。


少し長くなってしまいましたので、上記5の登校選択の話と合わせて、続きは次回の記事に回したいと思います。


↓ 少し古い本ですが、不登校に関しておススメの本を紹介します。


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