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『HRテクノロジーで人事が変わる』解説note ~共著者の一人として、難しい問題をかみ砕いてみた~ ⑨第7章 安全配慮・退職における労働法上の留意点 および 個人情報保護の問題

まえがき

 「HRテクノロジーで人事が変わる」(2018年、労務行政)の「第3章 テーマⅣ 安全配慮・退職 労働法の視点から」(担当:倉重公太朗 弁護士)の執筆内容、および、「第3章 テーマⅣ 安全配慮・退職 個人情報保護の視点から」(担当:板倉陽一郎 弁護士)の執筆内容について「解説」します。

 あくまでもこれは「解説note」であり、元の内容を正確に、かつ、詳細に理解するためには上記の書籍を必ず購入頂くことを強くお勧めします。

1.HRテクノロジーと安全配慮義務

(1)コンディション変化と安全配慮義務の拡大

【要点】
・「従業員コンディション変化発見ツール」を利用し、従業員のメンタルヘルス情報を早期に取得
・安全配慮義務が拡大
・労働者の生命・身体等の安全を確保する安全配慮義務(労働契約法5条)
・「従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」(電通事件)
 →①予見可能性、②結果回避義務
・コンディションデータ取得後のアクション
 ①まず、何らかの対応策
 ②かつ、積極的に体調について確認し、医師への受診を勧め、従わない場合には受診命令
 ③また、健康確保措置

・安全配慮義務を実際に履行するのは現場の管理職

 「NECソリューションイノベータでは、社員の勤怠データとビッグデータ分析技術を、メンタルヘルス不調者の予兆検出に活用している。」(p.223)と紹介されているが、このような「従業員コンディション変化発見ツール」を利用した場合、従業員のメンタルヘルスなどの情報を早期に取得できるようになる。そのため、事前に対策を講じることも出来るため有用とも思える。しかし同時に、安全配慮義務を拡大させる懸念があることも忘れてはならない。
 そもそも企業は、労働者の生命・身体等の安全を確保する安全配慮義務を負っている(労働契約法5条)。

 安全配慮義務の内容は、メンタルヘルスに関する安全配慮義務のリーディングケースである「電通事件」により、「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」とされている。

【判例の紹介】
電通事件
(平成12年3月24日最高裁判決)

<具体的事案>
 大手広告代理店である使用者Yに勤務していた労働者A(大学卒の新入社員)は、2ヵ月半の新入社員研修を終えた後、ラジオ局ラジオ推進部に配属されたが、その後外回りの営業業務等をはじめ長時間に及ぶ時間外労働を恒常的に行っていくようになり、うつ病に罹患したうえ、入社約1年5ヵ月後に自殺した。
 第一審原告であるAの両親Xらは、Aの自殺はYにより長時間労働を強いられた結果であるとして、Yに対し、民法415条又は709条に基づき約2億2,260万円の損害賠償を請求した。
 ちなみに、Aは、健康で、スポーツが得意であり、その性格も明朗快活、素直で責任感が強く、また、物事に取り組むに際してはいわゆる完璧主義の傾向も有していた。
 第一審(東京地判平8.3.28)及び原審(東京高判平9.9.26)判決はともに、Aの長時間労働とうつ病、及び、うつ病とAの自殺による死亡との間の相当因果関係を認めた。
 また、Y側の過失の有無につき、Yの履行補助者(Aの上司ら)による安全配慮義務違反の存在を肯定した。
 第一審はYに約1億2,600万円の損害賠償の支払いを命じたが、原審は過失相殺を行い、損害額の7割をYに負担させるのが相当として減額した(約8,910万円)。
 Y、Xらともに上告。
<判決内容>
(原審の過失相殺判断における遺族側敗訴部分についても破棄差戻し)
 使用者は「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」。
 それゆえ、使用者の履行補助者である上司等は、このような注意義務の内容に従って労働者に対し業務上の指揮監督権限を行使するべきである。
 原審は、Aの常日頃からの長時間にわたる残業実態、疲労の蓄積に伴う健康状態の悪化、これに対しAの上司らが何らの措置も採っていないこと、及び、うつ病に関する医学的知見を考慮に入れている。
 そのうえで、Aの業務遂行とそのうつ病罹患による自殺との間には相当因果関係が存在するとし、Aの上司らがAの健康状態の悪化等を認識しながら、その負担軽減措置を採らなかったことにつき過失があったとして、Yの民法715条に基づく損害賠償責任を肯定した。
 このような原審の判断は正当であり是認できる。
民法415条(債務不履行による損害賠償)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。
民法709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
民法715条(使用者等の責任)
第1項 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
第2項 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
第3項 前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

 ここで、「心身の健康を損なうことがないよう注意する義務」という注意義務は、①予見可能性と、これに基づく②結果回避義務の2点からなる。
 例えば、長時間労働があれば健康状態の悪化が予見できるため()、これに基づき残業禁止や休業など、健康を損なう結果を回避する措置()を取るべきということになる。
 この点、前述の「従業員コンディション変化発見ツール」は従業員の健康状態悪化の予兆を捉えるため、これにより企業としては「予見可能性があった」との主張を後に受ける可能性が高まることに注意する必要がある。
 そこで、コンディションに関するデータを取得した「後」の対応が重要となる。

①まず、データ取得後に何らかの対応策を講じる。
②かつ、本人が業務軽減や休業を申し出ていないとしても、企業サイドから積極的に体調について確認し、医師への受診を勧め、従わない場合には業務命令として受診命令を行うべきである。
③また、産業医やストレスチェック制度などとも連携し、健康確保措置を取ることが重要である。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点1」を参照)

【判例の紹介】
大建工業事件
(平成15年4月16日大阪地裁決定)

<具体的事案>
 自立神経失調症の労働者を18ヶ月の病気休職期間満了後、診断書の提出を拒否したことから、就業規則所定の「精神又は身体に障害があるとか、又は虚弱、老衰、疾病のために勤務に耐えないと認められた者」に当たるとして解雇した。
<判決内容>
 解雇には社会通念上相当な合理的理由があるとし、地位保全等仮処分申立却下された。
 裁判所は、
 会社が就労の可否の判断の一要素に医師の診断を要求することは、労使間における信義ないし公平の観点に照らし合理的かつ相当な措置であるので、従業員もこれに応じる義務がある。
 特に理由を説明することなく診断書を提出せず、通院先の病院ではない医師の証明書なる書面を提出したのみで、この医師への意見聴取も拒否し続けているいることなどから、解雇には合理的理由がある。
とした。

 安全配慮とは、心の中で「配慮」することではない。実際に従業員のためにどのような措置を取るか、そして配慮措置の内容を「記録」することである。
 なお、安全配慮義務を実際に履行するのは現場の管理職である。「電通事件」でも、「使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の右注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである」と判示している。
 したがって、HRテクノロジーによるコンディション変化発見ツールを導入した企業は、現場管理職に対し、データ取得後の対応の必要性も含めて指導すべきである。

(2)心身の不調が顕在化する前の対応

【要点】
・メンタルヘルスの情報は自己のプライバシーに属する情報であり、人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報
・本人からの心身の不調に関する申告がなくても、企業は「労働時間を短縮する」「求職を命ずる」などの何らかの対応をしなければならない。
・HRテクノロジーにより不調の予兆が検出された場合には、体調の確認を積極的に行うべき
・傷病の有無は医師が確認すればよく、現場管理職としては体調変化があるか否かに注意
・ストレスチェック制度(安全衛生法66条の10)により「心理的な負担の程度が大きい」との結果になった場合の対応と同様

 前述の、勤怠データ等からの不調者の予兆検出モデルの場合、現在は体調不良が顕在化していないものの今後は顕在化する可能性があることが分かる。
 ここで参考となる判例は「東芝事件」である。メンタルヘルス疾患を会社に申告しなかったという事例であるが、裁判所は、労働者からの申告がなくとも「過重な業務が続く中でその体調の変化が看取される場合には、メンタルヘルスに関する情報については労働者本人からの積極的な申告が期待し難い」ことを前提としたうえで、心身の健康への配慮に努める必要があるとした。
 ※前提として、メンタルヘルスの情報は「自己のプライバシーに属する情報であり、人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報」であると述べている。

【判例の紹介】
東芝事件
(平成26年3月24日最高裁判決)

<具体的事案>
 本件は、Y社の従業員であったXが、鬱病に罹患して休職し休職期間満了後にY社から解雇されたが、上記鬱病は過重な業務に起因するものであって上記解雇は違法、無効であるとして、Y社に対し、安全配慮義務違反等による債務不履行又は不法行為に基づく休業損害や慰謝料等の損害賠償、Y社の規程に基づく見舞金の支払い、未払賃金の支払等を求める事案である。
 原審(東京高裁平成23年2月23日)は、解雇は無効であるとし、過重な業務によって発症し増悪した本件鬱病につきY社はXに対し安全配慮義務違反等を理由とする損害賠償責任を負うとした上で、その損害賠償の額を定めるに当たり、Xが神経科の医院への通院等の情報を上司や産業医等に申告しなかったことは、Xの鬱病の発症を回避したり発症後の増悪を防止する措置を執る機会を失わせる一因となったものであるから、Xの損害賠償請求については過失相殺をするのが相当であること、またXには個体側のぜい弱性が存在したと推認され損害賠償請求についてはいわゆる素因減額をするのが相当であると判断して、損害額の2割を減額するととともに、休業損害に係る損害賠償請求につき傷病手当金、及び、いまだ支給決定がされていない期間の休業補償給付をXに対する損害賠償の額から控除することが相当であるとして、その認容すべき額が選択的併合の関係にある未払賃金請求の認容すべき額を下回るからこれを棄却すべきとした。
<判決内容>
 原判決中、損害賠償請求及び見舞金支払請求に関するX敗訴部分を破棄し、東京高裁に差し戻す。その余の上告を棄却する。
 ・・・上記の業務の過程において、XがY社に申告しなかった自らの精神的健康(メンタルヘルス)に関する情報は、神経科の医院への通院、その診断に係る病名、神経症に適応のある薬剤の処方等を内容とするもので、労働者にとって、自己のプライバシーに属する情報であり、人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報であったといえる。
 使用者は、必ずしも労働者からの申告がなくても、その健康に関わる労働環境等に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っているところ、上記のように労働者にとって過重な業務が続く中でその体調の変化が看取される場合には、上記のような情報については労働者本人からの積極的な申告が期待し難いことを前提とした上で、必要に応じてその業務を軽減するなど労働者の心身の健康への配慮に努める必要があるものというべきである。
 ・・・このように、上記の過重な業務が続く中で、Xは、上記のとおり体調が不良であることをY社に伝えて相当の日数の欠勤を繰り返し、業務の軽減の申出をするなどしていたものであるから、Y社としては、そのような状態が過重な業務によって生じていることを認識し得る状況にあり、その状態の悪化を防ぐためにXの業務の軽減をするなどの措置を執ることは可能であったというべきである。
 これらの諸事情に鑑みると、Y社がXに対し上記の措置を執らずに本件鬱病が発症し増悪したことについて、XがY社に対して上記の情報を申告しなかったことを重視するのは相当でなく、これをXの責めに帰すべきものということはできない。
 原審は、安全配慮義務違反等に基づく損害賠償請求のうち休業損害に係る請求について、その損害賠償の額から本件傷病手当金等のX保有分を控除しているが、その損害賠償金は、Y社における過重な業務によって発症し増悪した本件鬱病に起因する休業損害につき業務上の疾病による損害の賠償として支払われるべきものであるところ、本件傷病手当金等は、業務外の事由による疾病等に関する保険給付として支給されるものであるから、上記のX保有分は、不当利得として本件健康保険組合に返還されるべきものであって、これを上記損害賠償の額から控除することはできないというべきである。
 また、原審は、上記請求について、上記損害賠償の額からいまだ支給決定を受けていない休業補償給付の額を控除しているが、いまだ現実の支給がされていない以上、これを控除することはできない(最高裁昭和52年10月25日)。

つまり、本人からの心身の不調に関する申告がなくても、企業は「労働時間を短縮する」「休職を命ずる」などの何らかの対応をしなければならない。
 とすれば、(1)と同様に、本人の申し出の有無にかかわらず、HRテクノロジーにより不調の予兆が検出された場合には、体調の確認を積極的に行うべきである。
 体調の確認を行う上で重要なのは「病気かどうか」ではなく「体調が悪いかどうか」である。
※傷病の有無は医師が確認すればよく、現場管理職としては体調変化があるか否かに注意を払う。
 これはちょうどストレスチェック制度(安全衛生法66条の10)により「心理的な負担の程度が大きい」との結果になった場合の対応と同様に、可能性レベルではあるが一度医師の判断を仰ぐべきである。

2.HRテクノロジーとハラスメント予測

【要点】
・将来的に「ハラスメントが起こる可能性がある」という場合の企業対応
・ハラスメント対策における一般的事前対応
 →男女雇用機会均等法や育児・介護休業法におけるハラスメント対応方針の表明
 →相談体制の周知に関する強化策
 →個別ミーティングによる周知
・個別の注意指導・教育を実施することで、適切に当該人間関係に注意を払っているという姿勢を示す。
・既にハラスメントが発生している場合には迅速かつ厳正なる対処

 「ウェアラブルデバイスによる脈拍・ストレスレベルと位置測定による人物相関把握モデル」というものを活用することにより、良好な人間関係が分かる反面、人間関係が悪いケースも把握できることになる。そうなると、将来的に「ハラスメントが起こる可能性がある」という場合の企業対応が問題となる。
 この点、前述のとおり、「まだ起こっていない」(起こるかも分からない)ハラスメントを前提として懲戒処分等を行うことは出来ない。
 他方、前記のような企業の安全配慮義務の広がりを考えると、関係性が悪化している予兆を捉えた段階で何もせずに放置し、その結果ハラスメントにより職場環境が悪化したりすれば、法的非難を受ける可能性もある。
 そこで、ハラスメント対策における一般的事前対応、つまり、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法におけるハラスメント対応方針の表明相談体制の周知に関する強化策や、個別ミーティングによる周知などの対応を取ることが考えられる。
 また、個別の注意指導・教育を実施することで、企業としては適切に当該人間関係に注意を払っているという姿勢を示すことが肝要である。
 もちろん、既にハラスメントが発生している場合には迅速かつ厳正なる対処をすることが大前提である。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点2」を参照)

3.HRテクノロジーと休職問題

(1)HRテクノロジーと休職規定の適用

【要点】
・従業員がメンタルヘルス不調を発症→私傷病欠勤や休職を命じる
・休職の妥当性については、就労不能状態にあることが「医学的に」立証されることを要する
・HRテクノロジーのみにより休職命令を行うことは、その前提となる根拠が不十分となるおそれ
・既に希死念慮の兆候や自殺に向けた行動が発生している場合など緊急を要するケースにおいては、医師の判断を後回し

・「休職命令」がかえって逆効果になるようケースは想定しなくて良いのか?

 従業員がメンタルヘルス不調などを発症し、その治療に一定期間を要する場合、企業としては私傷病欠勤や休職を命じることになる。
 ここで、「ウェアラブルデバイスによる脈拍・ストレスレベル把握」により就労不能と判断し、欠勤・休職命令を行うことは可能か。
 この点、休職の妥当性については、就労不能状態にあることが「医学的に」立証されることを要する。
※書籍の中で紹介されている下記判例をみても、「医学的に立証されることを要する」という直接的な表現は見つからない。

【倉重弁護士コメント】
現実的可能性を検討する上では、医学的見地に立つのが当然のように求められるからです。仮に医学的見地が不要であるとすれば、「現実的」ではなく「抽象的」検討でも済んでしまいます。

【判例の紹介】
片山組事件
(平成10年4月9日最高裁判決)

<具体的事案>
 X(原告・被控訴人・上告人)は昭和45年3月Y(被告・控訴人・被上告人)に雇用され、建設工事現場における現場監督業務に従事していた。
 平成2年夏、Xは、バセドウ病にり患している旨の診断を受け、以後通院治療を受けながら、平成3年2月まで現場監督業務を続け、その後、次の現場監督業務が生ずるまでの間、臨時的、一時的業務として、Yの工務管理部において図面の作成など事務作業に従事していた。
 Xは、平成3年8月20日から現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を受けたが、病気のため現場作業に従事できないこと、残業は1時間に限り可能なこと、日曜日・休日の勤務は不可能であることなどを申し出て、同年9月9日、XはYの要請に応じて「内服薬に治療中であり、今後厳重な経過観察を要する」旨の診断書を提出した。
 そこで、Yは平成3年9月30日付の指示書で、Xに対し10月1日から当分の間自宅で病気治療すべき旨の命令を発した。
 これに対して、Xは、同月12日、事務作業を行うことはできるとして、主治医による「デスクワーク程度の労働が適切」とする旨の診断書を提出したが、現場監督業務に従事しうる旨の記載がないことから、Yは自宅治療命令を持続した。
 その後、平成4年2月5日に現場監督業務に復帰するまでの期間中、YはXを欠勤扱いとし、その間の賃金を支給せず、平成3年12月の賞与も減額した。
 そこで、Xは欠勤扱い期間中の賃金と12月賞与の減額分をYに請求して提訴した。
<判決内容>
 労働者が職種や業務内容を特定しないで労働契約を締結した場合、実際に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が完全にはできないとしても、労働者の能力、経験、地位、企業の規模、業種、労働者の配置・異動の実情や難易度等に照らして、その労働者を配置する現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、労働契約に従った労務の提供をしていると解される。
 そのように解さないと、同一の企業における同様の労働契約を締結した労働者の提供し得る労務の範囲に同様の身体的原因による制約が生じた場合に、その能力、経験、地位等にかかわりなく、現に就業を命じられている業務によって、労務の提供が債務の本旨に従ったものになるか否か、賃金請求権を取得するか否かが左右されることになり、不合理である。
 Xは21年以上にわたり現場監督業務に従事してきたが、労働契約上その職種や業務内容が現場監督に限定されていたとは認定されていないし、Xは事務作業に従事することができ、本人も事務作業をすることを申し出ていた。
 そうすると、Xが労働契約に従って労務の提供をしていなかったと断定することはできないので、Xが配置される現実的可能性のある業務が他にあったかどうかを、第二審裁判所で再度検討すべきである。
 なお、差戻審判決(東京高判平11.4.27 労判759-15)は、Xに遂行可能な事務作業がありこれに配置する現実的可能性があったとして、賃金請求権を認めた(最三小決平12.6.27 労判784-14の上告不受理により確定)。

 そのため、HRテクノロジーのみにより休職命令を行うことは、その前提となる根拠が不十分となるおそれがある。
 したがって、テクノロジーによって不調が検出された場合には、その後医師の受診を命じたうえで、正式な休職命令を発すべきである。
 ただし、既に希死念慮の兆候や自殺に向けた行動が発生している場合など緊急を要するケースにおいては、医師の判断を後回しにして直ちに休職命令を発し、事後対応にあたるべき場合があることには留意すべきである。
 ここで、「休職命令」がかえって逆効果になるようケースは想定しなくて良いのか?

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点3」を参照)

(2)ジョブフィット率の算定と休職

【要点】
・ジョブフィット率が低いことを理由として、解雇にも利用
・その場合であっても、それが精神疾患等による場合には、直ちに解雇を行ってしまうと無効とされるリスク
・先に休職させ、休職期間を経てあらためて復職可能性を検討すべき

・ここで、実際には十分な休職期間を経たうえで計画的に自ら退職してしまうケースも多いことについてはどのように考えるべきか。
・さらに、その休職期間に企業側が行うべきサポートにはどのようなものがあるのか、検討するべきである。

 HRテクノロジーによってジョブフィット率が算定できれば、適切な異動を検討できるだけではなくジョブフィット率が低いことを理由とした解雇にも利用することが想定される。
 もっとも、その場合であっても、それが精神疾患等による場合には、直ちに解雇を行ってしまうと無効とされるリスクがある。

【判例の紹介】
日本ヒューレット・パッカード事件
(平成24年4月27日最高裁判決)

<具体的事案>
 Xは、Yでシステムエンジニアとして働いていた。
 Xは、被害妄想など何らかの精神的な不調により、実際には事実として存在しないにもかかわらず、約3年間にわたり盗撮や盗聴等の被害や嫌がらせを受けているために自らの業務に支障が生じており、自己に関する情報が外部に漏えいされる危険もあると考え、Yに上記の被害に係る事実の調査を依頼した。
 しかしながら納得できる結果が得られず、Yに休職を認めるよう求めたものの認められず、出勤を促すなどされた。
 そこで、自分自身が上記の被害に係る問題が解決されたと判断できない限り出勤しない旨をあらかじめYに伝えた上で、有給休暇を全て取得した後、約40日間にわたり欠勤を続けた。
 そのため、Yから、就業規則所定の懲戒事由である正当な理由のない無断欠勤があったとの理由で、諭旨退職の懲戒処分(以下「本件処分」という。)を受けた。
 そこでXは、Yに対して本件処分の無効を求めて争った。
<判決内容>
 このような精神的な不調のために欠勤を続けていると認められる労働者に対しては、精神的な不調が解消されない限り引き続き出勤しないことが予想されるところであるから、使用者であるYとしては、その欠勤の原因や経緯が上記のとおりである以上、精神科医による健康診断を実施するなどした上で(記録によれば、Yの就業規則には、必要と認めるときに従業員に対し臨時に健康診断を行うことができる旨の定めがあることがうかがわれる。)、その診断結果等に応じて、必要な場合は治療を勧めた上で休職等の処分を検討し、その後の経過を見るなどの対応を採るべきである。
 このような対応を採ることなく、Yの出勤しない理由が存在しない事実に基づくものであることから直ちにその欠勤を正当な理由なく無断でされたものとして諭旨退職の懲戒処分の措置を執ることは、精神的な不調を抱える労働者に対する使用者の対応として適切なものとはいい難い。
 そうすると、以上のような事情の下においては、Xの上記欠勤は、就業規則所定の懲戒事由である正当な理由のない無断欠勤に当たらないものと解さざるを得ず、上記欠勤が上記の懲戒事由に当たるとしてされた本件処分は就業規則所定の懲戒事由を欠き、無効であるというべきである。

 そこで、精神疾患等が原因となるジョブフィット率の低下のケースにおいては、解雇をまず検討するのではなく先に休職させ、休職期間を経てあらためて復職可能性を検討すべきである。
 ここで、実際には十分な休職期間を経たうえで計画的に自ら退職してしまうケースも多いことについてはどのように考えるべきか。
 さらに、その休職期間に企業側が行うべきサポートにはどのようなものがあるのか、検討するべきである。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点4」を参照)

(3)HRテクノロジーと復職可否の判定

【要点】
・復職可否の判定においては、原則としては従前の職務を遂行可能な程度に回復していることを要する。
・従前の職務を十分に遂行できないとしても、当該労働者の能力、経験、地位、企業の規模、業種、その企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして、配置される現実的可能性があると認められる業務が他にあったかどうかを検討すべき(片山組事件)。
 →配置可能な職務が現に存在し、過去同種の労働者が配置された実績がある。
 →当該労働者が担当したことがある軽減業務が存在するかどうか。
・現実的可能性の度合いをHRテクノロジーにより判定する。
 →客観的な視点で検討を行うことにより、むしろ復職可能性判定の合理性を担保

 休職期間満了時に傷病が治癒していれば復職となり、治癒していなければ就業規則の定めにより自然退職または解雇となるのが通常である。
 争いの多くは、「治癒」したか否かをめぐって生じる。
 この点、復職可否の判定においては、原則としては従前の職務を遂行可能な程度に回復していることを要するとされる。
 「片山組事件」の判決では、従前の職務を十分に遂行できないとしても、当該労働者の能力、経験、地位、企業の規模、業種、その企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして、配置される現実的可能性があると認められる業務が他にあったかどうかを検討すべき、とされている。
 ここで「現実的可能性」とは、新規に業務を作ってそこに就けることを意味するのではなく、配置可能な職務が現に存在し、過去同種の労働者が配置された実績があることや、当該労働者が担当したことがある軽減業務が存在するかどうか、を意味する。
 この「現実的可能性」のある配置が可能か否かという観点で、HRテクノロジーによる「ジョブフィットモデル」が活用できそうである。つまり、現実的可能性の度合いをHRテクノロジーにより判定するということである。
 ここで、現実的可能性のある職務は企業規模が大きくなるほど多様なものが存在し得るのであり、それら一つ一つを人間だけで検討するのは困難である。そこで、テクノロジーによって客観的な視点で検討を行うことにより、むしろ復職可能性判定の合理性を担保できるはずである。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点5」を参照)

(4)HRテクノロジーとリハビリ勤務

【要点】
・リハビリ勤務とは、復職前に職場復帰の判断等を目的とし、本来の職場などに試験的に一定期間継続して出勤する行為。
 →「リハビリテーションの一環」であり、「労働契約に基づく労務の提供と評価することは到底できない」(西濃シェンカー事件)
 →あくまで復職可否判定のための業務類似行為であり、その遂行状況を参考にするという位置づけ
・リハビリ勤務の留意点
 →業務ではなく、業務類似行為
 →休職期間は継続
 →指揮命令を行わない
 →無給
 →労災の適用がない
 →実施期間
 →体調異変で中止
 →リハビリ勤務制度利用申請書を提出

・HRテクノロジーの活用により、リハビリ勤務中に行ったリハビリの遂行度合いを定量的に把握
 →遂行状況により復職可否判定を行うことにより、判定の合理性を担保

 復職可否の判定において判断に悩む場合や、段階的に復職プロセスを踏む場合、リハビリ勤務を行うケースもある。
 リハビリ勤務とは、復職前に職場復帰の判断等を目的とし、本来の職場などに試験的に一定期間継続して出勤する行為のことである。復職後の短時間勤務や出張の禁止措置など、業務負荷を軽減する形での勤務とは明確に異なる。
 このリハビリ勤務の法的性格はあくまでも「リハビリテーションの一環」であり、「労働契約に基づく労務の提供と評価することは到底できない」(西濃シェンカー事件)とされる。

【判例の紹介】
西濃シェンカー事件
(平成22年3月18日東京地裁判決)

<具体的事案>
 航空運送取扱い業等を行うY社(被告)に職種・業務を限定せず雇用されていたX(原告)は、平成17年9月23日、自宅で脳出血を発症し、その後遺症により右片麻痺となり、休職を命じられ、休職期間満了により退職としての取扱いをされたことについて、①休職期間満了よりも前に既に復職していた、②休職期間満了による本件退職の取扱いが労働契約の信義則に違反して無効であると主張して、労働契約上の地位確認と本件退職の取扱い後の一部賃金の支払いを求めた。
 Yは、Xに、平成18年3月26日から平成19年3月25日まで休職を命じ、さらに休職期間は就業規則の改定により平成19年9月25日まで延長されていた。
 休職期間中は、Yの健保組合から傷病手当金および傷病手当金附加金が支給された。
 Xは、平成19年7月ころ、休職事由が消滅したので復職したいと述べ、同年8月にD副社長、BおよびC(いずれも人事部の部員)と面談した。
 面談において提出された診断書には、勤務の可否については言及がなく、平成19年8月21日現在の運動機能評価において自立レベルに回復していることを認める旨の記載があっただけであった。
 上記面談の結果、Xは、平成19年10月から概ね週に3日程度Yの本社に出社し、1日に約2時間半程度、人事部において作業に従事することになったが、その際、D副社長から「復職」という発言はなされなかった。
 その後、平成20年7月18日からは、同様に、展示会部において作業に従事し、同年10月10日から同月31日までは毎日出社し1日6時間程度作業に従事した。これに対する対価は支払われていない。
 その後、Yは、Xに対して、平成20年10月20日、就業規則に基づき、休職の延長期間の満了日(同月31日)をもって退職となる旨通知し、その後の就労を拒否している。
<判決内容>
 裁判所は、争点①について次のように判示する。
 Xが、Yにおいて作業に従事していた実態からは、「これをもって、労働契約に基づく労務の提供と評価することは到底できないのであって、その実態は、まさにリハビリテーションのために事実上作業に従事していた域を出ないものといわざるを得ない」、また、Xに対して賃金および本社への往復に要する通勤手当も支払われていない。また、Bからは、様子や体調をみながら徐々にフルタイム勤務に近付けていく旨のメールが送られていた、これらの点からすると、Xについて、結局、「復職」するという取扱いはなされなかったといわざるを得ない。
 また、争点②については、次のように判示している。
 Xは、1年余にわたり、Yにおいて作業を続けてきたが、Xの右片麻痺が、本件退職取扱いの時点において、「仮に他の種類の業務であっても、ほどなく又は相当の期間内にXの作業遂行能力が通常の業務を遂行することができる程度にまで・・・回復すると見込めると判断することができる状況にあったとは考えられ ない」、「したがって、本件退職の取扱いが労働契約上の信義則に反し、無効であるとはいえない」。結局、Xは治癒または「復職後ほどなく治癒することが見込める」場合には至らず、休職期間の満了によりX・Y間の労働契約は終了していると結論づけた。 
 ※休職期間の満了により労働契約が終了したとされた事例ではあるが、「リハビリ勤務」について、Xが従事していた作業の実態から、Xの労働契約上の債務の履行とはみなかった点が、「リハビリ勤務」の法的意義を考えるひとつの事例として注目に値する。

 実際にも労働ではなく、あくまで復職可否判定のための業務類似行為であり、その遂行状況を参考にするという位置づけである。


【判例の紹介】
NHK名古屋放送局事件
(平成29年3月28日名古屋地裁判決)

<具体的事案>
 本件は、Y社の職員(従業員)であったXが、精神疾患による傷病休職の期間が満了したことにより、同期間満了前に精神疾患が治癒していたと主張して、解職が無効であり、Y社との間の労働契約が存続しているとして、労働契約上の権利を有する地位の確認を求めるとともに、傷病休職中に行ったY社のテスト出局(一般に、試し出勤、リハビリ出勤などと称され、心の健康の問題ないしメンタルヘルス不調により、療養のため長期間職場を離れている職員が、職場復帰前に、元の職場などに一定期間継続して試験的に出勤をすること)により、労働契約上の債務の本旨に従った労務の提供を命じられ、実際に労務の提供を行ったが、テスト出局期間途中でテスト出局が中止され、それにより労務の提供をしなくなったのはY社の帰責事由によるものであるとして、テスト出局開始以後の賃金+遅延損害金を請求するほか、テスト出局の中止や解職に至ったことに違法性があると主張し、不法行為に基づく損害賠償金+遅延損害金を請求する事案である。
<判決内容>
1 Y社の職員が、傷病休職中にもかかわらず、労働基準法上の労働を行ったと認められる場合には、最低賃金法の適用があることになるから、本件にはおいては、結局のところ、本件テスト出局中にXの行った作業が労働基準法上の労働といえるかどうか、すなわち、XがY社の指揮命令下に置かれていたかどうかの判断によることになり、具体的には、Y社のテスト出局が、傷病休職中にもかかわらず、職員に労働契約上の労務の提供を義務付け又は余儀なくするようなものであり、実際にも本件テスト出局中にXが行った作業が労働契約上の労務の提供といえるかどうかを検討すべきことになると考えられる(最判平成12年3月9日等参照)。
2 …特に、テスト出局が、傷病休職中の職員に対する職場復帰援助措置義務を背景としていることを踏まえると、その内容として、労働契約上の労務の提供と同水準又はそれに近い水準の労務の提供を求めることは制度上予定されていないと解される。
 また、テスト出局は、職場復帰のためのリハビリであり、復職の可否の判断材料を得るためのものであるとはいえ、疾病の治療自体は主として主治医が担当すべきものであり、職員からの復職の申出を受けた後、合理的な期間を超えて、職員を解雇猶予措置である傷病休職の不安定な地位にとどめおくことはかえって健康配慮義務の考え方にもとることになる。そこで、テスト出局はあくまで円滑な職場復帰及び産業医等の復職の可否の判断に必要な合理的期間内で実施されるのが相当であり、休職事由が消滅した職員について、産業医等の復職の可否の判断に必要と考えられる合理的期間を超えてテスト出局を実施し、復職を命じないときは、債務の本旨に従った労務の提供の受領を遅滞するものとして、その時点からY社が賃金支払義務を免れないというべきである。

 リハビリ勤務の留意点は次のとおりである。

・業務ではなく、業務類似行為を行わせる
休職期間は継続したまま
・実際に労働力として活用するような指揮命令を行わない
・賃金は無給
労災の適用がないことを明確化
実施期間を定める
・体調に異変があればすぐに中止
・本人からリハビリ勤務制度利用申請書を提出させる

 ここでHRテクノロジーの活用を考えると、ジョブフィットモデルを応用すればリハビリ勤務中に行ったリハビリの遂行度合いを定量的に把握することが可能である。そして、客観化されたリハビリ遂行状況により復職可否判定を行うことにより、判定の合理性を担保することになる。したがって、判定にはHRテクノロジーを大いに活用すべきである。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点6」を参照)

4.HRテクノロジーと退職

(1)HRテクノロジーと退職勧奨

【要点】
・規制する法は存在せず、企業は退職勧奨を自由に行うことが出来る。
・退職勧奨もその目的・手段・態様によっては民法709条の不法行為に該当する(日本アイ・ビー・エム事件)。
 →社会通念上相当と認められる限度を超えて、当該労働者に対して不当な心理的圧力を加える。
 →その名誉感情を不当に害するような言辞を用いたりすることによって、その自由な退職意思の形成を妨げるに足りる不当な行為ないし言動

 退職勧奨とは、企業が従業員に対し自発的に退職するように促す行為のことであり、解雇とは異なり単に退職に向けた交渉を行うだけである。そのため、これを規制する法は存在せず、企業はこれを自由に行うことが出来る。
 
【判例の紹介】
日本アイ・ビー・エム事件
(平成23年12月28日東京地裁判決)

<具体的事案>
 Yは、情報システムに係わる製品、サービスの提供等を業とする株式会社である。
 Yでは、平成4年以降、継続的に任意退職者を募るプログラムを実施してきた。
 平成20年においても、企業業績が芳しくなかったこともあり、大規模な任意退職者募集のための特別支援プログラム(RAプログラム)を立案した。
 その内容は、所定の退職金に加えて、月額給与額の最大15か月分を支給すること、自ら選択した再就職支援会社から再就職支援を受けるというものであった。
 その対象は、正社員については、業績の低い従業員、とくにボトム15%として特定された社員のうち、IBMグループ外にキャリアを探してほしい社員を基本としていた。
 RAプログラムの対象となったXらは、Yに対し、YがXらに対してした退職勧奨が違法な退職強要であり、これにより精神的苦痛を被ったとして、不法行為による損害賠償請求権に基づき、それぞれ損害賠償金等の支払を求めて争った。
<判決内容>
 退職勧奨は、勧奨対象となった労働者の自発的な退職意思の形成を働きかけるための説得活動であるが、これに応じるか否かは対象とされた労働者の自由な意思に委ねられるべきものである。
 したがって、使用者は、退職勧奨に際して、当該労働者に対してする説得活動について、そのための手段・方法が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱しない限り、使用者による正当な業務行為としてこれを行い得るものと解するのが相当であり、労働者の自発的な退職意思を形成する本来の目的実現のために社会通念上相当と認められる限度を超えて、当該労働者に対して不当な心理的圧力を加えたり、又は、その名誉感情を不当に害するような言辞を用いたりすることによって、その自由な退職意思の形成を妨げるに足りる不当な行為ないし言動をすることは許されず、そのようなことがされた退職勧奨行為は、もはや、その限度を超えた違法なものとして不法行為を構成することとなる。
 本件では、Yは、退職勧奨の対象となる社員に対し、当該社員が退職勧奨の対象となった理由(平成20年のPBC評価が低い見通しであることとその根拠等、当該社員の業績不良の具体的事実)を説明したり、また、本件企業文化を標榜するYに現状のまま在籍した場合には低い評価を受けることとなるがそれに甘んずることなく更なる業務改善に努めることが要求される旨認識させたりする一方で、特別支援プログラムが立案された経緯(上記(1)ア(ア))や、充実した退職者支援の具体的内容(上記(1)ア(イ))を詳しく説明し、退職勧奨に応じるよう説得することとなる(その説得活動そのものは何ら違法なものではない。)。
 業績不振の社員がこうした退職勧奨に対して消極的な意思表示をした場合、それらの中には、これまで通りのやり方で現在の業務に従事しつつ大企業ゆえの高い待遇と恩恵を受け続けることに執着するあまり、業績に係る自分の置かれた位置付けを十分に認識せずにいたり、業務改善を求められる相当程度の精神的重圧(高額の報酬を受ける社員であれば、なおさら、今後の更なる業績向上、相当程度の業務貢献を求められることは当然避けられないし、業績不良により上司・同僚に甚だ迷惑をかけている場合には、それを極力少なくするよう反省と改善を強く求められるのも当然である。)から解放されることに加えて、充実した退職支援を受けられることの利点を十分に検討し又は熟慮したりしないまま、上記のような拒否回答をする者が存在する可能性は否定できない。
 また、Yは、退職者に対してほとんど利益を提供しない企業(上記(1)イ(ア))に比べて充実した退職者支援策を講じていると認められ、また、Y自身もそのように認識しているがゆえに、当該社員による退職勧奨拒否が真摯な検討に基づいてなされたのかどうか、退職者支援が有効な動機付けとならない理由は何かを知ることは、Yにとって、重大な関心事となることは否定できないのであり、このことについて質問する等して聴取することを制約すべき合理的根拠はない。
 そうすると、Yは、退職勧奨の対象となった社員がこれに消極的な意思を表明した場合であっても、それをもって、Yは、直ちに、退職勧奨のための説明ないし説得活動を終了しなければならないものではなく、Yが、当該社員に対して、Yに在籍し続けた場合におけるデメリット(Yの経営環境の悪化のほか、当該社員の業績不良による会社又は上司・同僚らの被る迷惑が残ること、当該社員が待遇に相応した意識改革・業績改善等のための一層の努力を求められること等)、退職した場合におけるメリット(充実した退職者支援を受けられること、当該支援制度は今回限りであること(前記第2の2(4)イ(オ)b)、業績改善等を要求される精神的重圧から解放されること等)について、更に具体的かつ丁寧に説明又は説得活動をし、また、真摯に検討してもらえたのかどうかのやり取りや意向聴取をし、退職勧奨に応ずるか否かにつき再検討を求めたり、翻意を促したりすることは、社会通念上相当と認められる範囲を逸脱した態様でなされたものでない限り、当然に許容されるものと解するのが相当であり、たとえ、その過程において、いわば会社の戦力外と告知された当該社員が衝撃を受けたり、不快感や苛立ち等を感じたりして精神的に平静でいられないことがあったとしても、それをもって、直ちに違法となるものではないというべきである。
 当該社員がYに対して退職勧奨に応ずることによる有利不利の諸事情を比較検討した上で退職勧奨に応じない選択をしたこと、更なる説明ないし説得活動を受けたとしても退職勧奨に応じない意思は堅固であり、この方針に変更の余地のないこと、したがって、退職勧奨のための面談には応じられないことをはっきりと明確に表明し、かつ、Y(当該社員の上司)に対してその旨確実に認識させた段階で、初めて、Yによるそれ以降の退職勧奨のための説明ないし説得活動について、任意の退職意思を形成させるための手段として、社会通念上相当な範囲を逸脱した違法なものと評価されることがあり得る、というにとどまると解するのが相当である。<中略>
 上記(1)及び(2)アないしオの検討結果のとおり、YがXらに対してした退職勧奨には違法があるとは認められない。
 また、YがXらに対してした業績評価及びそれに基づく面談における説明等についても、業績評価に係る裁量権の濫用又は逸脱の違法があるとは認められない(上記認定のとおり、そもそもXらがRAプログラムの対象に選定された理由がXらの低い業績にあるのだから、Xらに対する低いPBC評価について、これを退職勧奨拒否に対する報復と認定することは困難である。)し、面談における説明等の方法や態様につき社会通念上相当と認められる範囲を逸脱するような違法があると認めることもできない。

 もっとも、退職勧奨もその目的・手段・態様によっては民法709条の不法行為に該当する(日本アイ・ビー・エム事件)。

(2)HRテクノロジーによる対象者の人選

【要点】
・ジョブフィット率が低い者や「退職予測モデル」により早期の退職が予想される者に対して退職勧奨
・「なぜ当該労働者が退職勧奨を受けたのか」という人選基準が適法性を基礎づける重要な要素
 →ジョブフィット率算定に至るデータが正しいのかという検証

 例えば、ジョブフィット率が低い者や「退職予測モデル」により早期の退職が予想される者に対して退職勧奨を行うことが考えられる。このような対象者の人選には問題ないのだろうか。
 この点「日本アイ・ビー・エム事件」によれば、退職勧奨の対象者になった理由(業績不良の具体的事実)や業務改善に対する態度などを説明していることを評価し、退職勧奨の違法性を否定している。つまり、「なぜ当該労働者が退職勧奨を受けたのか」という人選基準が適法性を基礎づける重要な要素となる。
 ここでまずジョブフィット率が低いという事情は、基本的には客観的で公正性のある基準のため、あとはジョブフィット率算定に至るデータが正しいのかという検証が可能であれば、人選基準としては適切といえる。
 一方で、数か月後に退職が予測される人物に対しては、むしろ引き留めを行うべき場合が多いと考えられる。(もともと企業側からも「退職して欲しい」と思われていた人材の場合は、引き留めも退職勧奨も行わずにそのまま放置するのではないか?)仮にその者に退職勧奨を行う場合は、本人も退職を希望している可能性が高いため、スムーズに退職条件の交渉に入ることが可能と思われる。
 他方で、数か月後の退職予測が出ていたとしても、本人に退職の意思がないケースであった場合には、退職勧奨を行う際の人選基準が「数か月後に辞めそうだから」という理由だけでは、社会通念上の相当性を肯定しえない可能性もある。そのため、やはり退職勧奨に臨む際は、退職予測のデータだけではなく、ジョブフィット率など客観的に現在の職務とマッチしていないという根拠を保持しておくべきである。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点7」を参照)

5.HRテクノロジーと解雇

(1)HRテクノロジーと解雇の合理性立証

【要点】
・解雇について合理性および社会通念上相当性が必要である(労働契約法16条)。
・合理性のハードルは相当高く、「裁判所の典型的な態度」は次の通り。
 ①従業員が長年勤務してきた実績に照らし、それが単なる成績不良ではなく、
 ②企業経営に現に支障や損害を生じまたは重大な損害を生じる恐れがあり、会社から排除しなければならない程度に至っていること
 ③是正のため注意し、反省を促したにもかかわらず、改善されないなど、今後の改善の見込みもないこと
 ④不当な人事等、労働者に宥恕すべき事情がなく、
 ⑤配転や降格できない会社事情があるのかどうか
・HRテクノロジーによるジョブフィット率の定量化や適正配置モデルによる配置転換を活用すれば、上記要素の立証が容易

 解雇が有効であるためには、当該解雇について合理性および社会通念上相当性が必要である(労働契約法16条)。

 日本の労働法は、高度経済成長期における終身雇用・年功序列が当然であった時代に形成されている。

【判例の紹介】
日本食塩製造事件
(昭和50年4月25日最高裁判決)

<具体的事案>
 Yと労働組合との間には、新機械の導入に関し意見の対立があった。
 この間Xは、一部職場の女子従業員に対し職場離脱させたほか、無届集会をしたこと、更に夏期一時金要求に伴う闘争に関し、会社役員の入門を阻止したこと等が、会社の職場規律を害するものとされ、Yにより懲戒解雇された。
 この時、組合委員長、他の組合員も出勤停止、減給、けん責などの処分を受けた。
 組合は地労委に不当労働行為を申立て、処分撤回の和解が成立したが、この和解には和解の成立の日をもってXが退職する旨の規定が含まれていた。
 しかし、Xに退職する意思はなかった。
 組合は、和解案の受諾にXのみの退職を承認したのは闘争においてXの行き過ぎの行動があったこと、受諾の趣旨は、これにより会社と組合との闘争を終止させ、労使間の秩序の改善を意図したものであることなどを背景に、Xが退職に応じないときは組合から離脱させることも止むを得ないと考えて、Xを離籍(除名)処分にした。
 Yと組合との間には、「会社は組合を脱退し、または除名された者を解雇する。」旨のユニオン・ショップ協定が結ばれており、Yは、この協定に基づきXを解雇した。
 そこで、Xは、解雇の無効を求めて争った 。
<判決内容>
 使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になると解するのが相当である。
 ところで、ユニオン・シヨツプ協定は、労働者が労働組合の組合員たる資格を取得せず又はこれを失った場合に、使用者をして当該労働者との雇用関係を終了させることにより、間接的に労働組合の組織の拡大強化をはかろうとする制度であり、このような制度としての正当な機能を果たすものと認められるかぎりにおいてのみ、その効力を承認することができるものであるから、ユニオン・シヨツプ協定に基づき使用者が労働組合に対し解雇義務を負うのは、当該労働者が正当な理由がないのに労働組合に加入しないために組合員たる資格を取得せず又は、労働組合から有効に脱退し若しくは除名されて組合員たる資格を喪失した場合に限定され、除名が無効な場合には、使用者は解雇義務を負わないものと解すべきである。
 そして、労働組合から除名された労働者に対し、ユニオン・シヨツプ協定に基づく労働組合に対する義務の履行として使用者が行う解雇は、ユニオン・シヨツプ協定によって使用者に解雇義務が発生している場合にかぎり、客観的に合理的な理由があり社会通念上相当なものとして是認することができるのであり、右除名が無効な場合には、前記のように使用者に解雇義務が生じないから、このような場合には、客観的に合理的な理由を欠き社会的に相当なものとして是認することはできず、他に解雇の合理性を裏づける特段の事由がないかぎり、解雇権の濫用として無効であるといわなければならない。

 そのため、ここでいう合理性のハードルは相当高く、例えば次の判例で示されたことが「裁判所の典型的な態度」(菅野和夫『労働法』)といわれている。

【判例の紹介】
エース損害保険事件
(平成13年8月10日東京地裁決定)

<具体的事案>
 本件は、Y社の元従業員が、Y社との間で退職条件を協議する際、Y社の海外親会社AからXに付与されていたストック・オプション等の権利行使について、Y社側から十分な説明のないまま退職するに至り、上記権利行使の機会を失ってストックオプション等の価値相当額の損害を受け、精神的苦痛も被ったとして、Y社に対し、債務不履行に基づく損害賠償金として、上記価値相当額約427万円等、並びに、不法行為に基づく慰謝料100万円等支払を求めた事案である。
 また、会社が長期間勤続の従業員に対し、就業規則上の「労働能力が著しく低く事務能率上支障があると認められるとき」に該当するとして解雇の効力が争われた。
<判決内容>
 解雇権が有効とされるかどうかの判断は、次のようなことも考慮して判断すべきである。
①従業員が長年勤務してきた実績に照らし、それが単なる成績不良ではなく、
②企業経営に現に支障や損害を生じまたは重大な損害を生じる恐れがあり、会社から排除しなければならない程度に至っていること
③是正のため注意し、反省を促したにもかかわらず、改善されないなど、今後の改善の見込みもないこと
④不当な人事等、労働者に宥恕すべき事情がなく、
⑤配転や降格できない会社事情があるのかどうか
 仮に、従業員の作業能率が低いにもかかわらず、高給であるとしても、従業員との合意により給与を引き下げるとか、合理的な給与体系を導入することによってその是正を図るならまだしも、自ら高給を支給してきた会社が従業員に対し、その作業能率が低いわりに給与を上げすぎたという理由で解雇することは、他国のことならいざ知らず、わが国においては許容されないというべきである。

 この文言を見るだけでも解雇要件が相当厳しいことがわかるが、HRテクノロジーによるジョブフィット率の定量化や適正配置モデルによる配置転換を活用すれば、上記要素の立証が容易になるケースも考えられる。
 例えば上記①②に関連し、このまま当該職務を遂行し続けた場合に「重大な損害を生じるおそれ」があることについては、様々なデータから推知することが可能である。
 これまでのような、「なんとなく向かない」(能力不足)や協調性、適格性欠如についても、具体的事実を多数提示することが可能になることが想定され、むしろこれまで人間が主観的に判断してきたケースよりも判断が容易に(かつ客観的に)なるはずである。
 また配置転換についても、適正配置モデルに従い、いくつかの部署を担当させ、各部署でジョブフィット率を算定することにより上記⑤の要素を満たすことも可能となる。(むしろ、逆のケースが増えるであろう。つまり、どこかしらの部署、ポジションに適格性が認められやすくなり、⑤の要件はなかなか満たせなくなるのではないか?)
 ただしここで重要なのは、ジョブフィット率や適正配置を算出するにあたり考慮された具体的事実(エピソード)が検証可能か、ということである。「エピソード」の評価が合理的である(差別的・濫用的でない)ことはもちろんのこと、これまでの人事考課の積み重ねとの整合性(人事考課システムとジョブフィット率算出のシステムが異なる場合には要注意)を判定できるように、「どの事実から」当該評価を判定したのかを明らかにする必要がある。(むしろ、「人事考課」と「ジョブフィット率」が連動していないのが現実ではないか?)
 したがって、HRテクノロジーの中でも高度なAIを用いるなど、完全にブラックボックスとなるAI判断の場合、それのみに依拠して解雇判断を行うことは適切ではなく、ジョブフィット率や配置転換の試行など定量化され検証可能なデータを補助材料として、最後は人間の責任による判断で解雇を行う視点を忘れてはならない。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点8」を参照)

(2)HRテクノロジーとPIP

【要点】
・PIP実施により目標の具体化やそれに対する評価・フィードバックがなされるため、解雇の合理性を担保するものとして多く利用
・HRテクノロジーやAIによりPIPの内容を充実させることも想定され、PIP後に解雇か通常業務復帰かという判断を行う上でも有用
・PIPを行う上での留意点
 →求められている職務能力の内容を検討した上で、
 ①当該職務能力の低下が、当該労働契約の継続を期待することができない程に重大なものであるか否か、
 ②使用者側が当該労働者に改善矯正を促し、努力反省の機会を与えたのに改善がされなかったか否か、
 ③今後の指導による改善可能性の見込みの有無等
の事情を総合考慮
さらに、
 ①達成可能な具体的目標を出しているか、
 ②従業員の問題性を共有し、具体的な改善矯正策を講じているか、
 ③フィードバックが適切か、
などが問われる。

 PIPとは業務改善プログラム(Performance Improvement Plan)の略であり、パフォーマンスに問題がある従業員に対して一定期間の業務改善アクションプランを行うことである。
 日本では、解雇には労働契約法16条の「合理的理由」が要求されるため、PIPの実施をもって解雇有効とはならないものの、PIP実施により、目標の具体化やそれに対する評価・フィードバックがなされるため、解雇の合理性を担保するものとして外資系企業で多く利用され、近時では日本企業でも利用例がみられる。
 さらに、今後HRテクノロジーやAIによりPIPの内容を充実させることも想定され、PIP後に解雇か通常業務復帰かという判断を行う上でも有用となる。
 PIPを行う上での留意点が下記判例で示されている。

【判例の紹介】
ブルームバーグ・エル・ピー事件
(平成24年10月5日東京地裁判決)

<具体的事案>
 Xは、アメリカに本社を置く、一般顧客向けに経済金融情報を提供する通信社であるY社に、平成17年11月に記者として中途採用された。
 Xは、平成18年11月の勤務評価で「期待に満たない」との評価を受け、平成19年6月に、問題点を指摘され、その改善に取り組ませることを目的とする「アクションプラン」を実施された(同年9月に目標を達成して、同プランは終了した)。
 その後、平成21年12月から平成22年4月にかけて3度のPIP(Performance Improvement Plan)が実施され、その後の平成22年4月8日に自宅待機を命じられた。
 そして、同年7月20日に、就業規則の解雇事由である「社員の自己の職責を果たす能力もしくは能率が著しく低下しており改善の見込みがないときと判断される場合」に該当するとして解雇を通告された。
 これに対して、Xが、Y社に従業員としての地位確認等を求めた。
<判決内容>
 勤務能力ないし適格性の低下を理由とする解雇に「客観的に合理的な理由」(労働契約法16条)があるか否かについては、まず、当該労働契約上、当該労働者に求められている職務能力の内容を検討した上で、
①当該職務能力の低下が、当該労働契約の継続を期待することができない程に重大なものであるか否か、
②使用者側が当該労働者に改善矯正を促し、努力反省の機会を与えたのに改善がされなかったか否か、
③今後の指導による改善可能性の見込みの有無等
の事情を総合考慮して決すべきである。
 そして、労働契約上、Xに求められる職務能力につき、Y社のビジネスモデルと新聞社や通信社のビジネスモデルとの間の違いから、記者として求められる能力などに大きな違いがあるとのY社の主張も理解できなくはないが、Y社は労働者の採用に際して格別の基準を設定したり試用期間中に格別の審査・指導をしていないこと等から、XとY社の間の労働契約において、社会通念上一般的に中途採用の記者職種限定の従業員に求められると想定される職務能力との対比において、XとY社との間の労働契約上、これを量的に超え又はこれと質的に異なる職務能力が求められているとまでは認められないというべきである。
 そして、Y社が主張する解雇理由「上司らと協調して業務を進められない」については、Xの行動予定の報告が不十分であったものの、労働契約の継続を期待することができない程に重大なものであるとまでは認められない。
 また、解雇理由「記者として求められるスピードで記事を配信できない」については、Y社の主観的な評価として改善を要する等の評価をしていたことは認められるものの、記事配信の制限時間が労働契約上、これを遵守できないことが直ちに解雇事由になる程の重要な内容になっていたものと認められず、Y社が具体的に主張する記事配信の遅延は、2、3例に過ぎず、Y社は、記事執筆、配信のスピードが遅いことについて、抽象的に指摘するにとどまり、Xとの間でその原因を究明したり、問題意識を共有したりした上で改善を図っていく等の具体的な改善矯正策を講じていなかったことから、解雇事由とすることには客観的合理性があるとは言えない。

 ①達成可能な具体的目標を出しているか、
 ②従業員の問題性を共有し、具体的な改善矯正策を講じているか、
 ③フィードバックが適切か、
などが問われている。

 そこで、HRテクノロジーを用いて具体的な問題の指摘、達成可能な目標の設定、目標の達成度合い(達成率)の測定、適切なフィードバックと次の目標設定などを、恣意的判断によることなく行えるようになる。
 特にPIPの場面では具体的数値目標や職務内容が明確になっているため、通常勤務時よりもHRテクノロジーによる評価になじむ。
 PIP評価についてはこれまで同様に「判断過程が検証可能か」という点が問われるが、最後に人間の視点で調整すべきは目標設定の部分である。最初から目標設定がほぼ不可能であるような内容では、裁判になった際に「初めから解雇に追い込むための方策」と捉えられてしまうため、この部分の人間による細かい調整が肝要である。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点9」を参照)

6.安全配慮・退職における個人情報保護の問題

【要点】
・メンタルヘルス不調の予測をするということは、結論自体が要配慮個人情報に該当するおそれ。
 →これを従業員等の情報に付加すると、個人情報保護法違反の疑いはより濃くなる。
・メンタルヘルスや退職の場面は、特に退職勧奨や整理解雇といった場面で用いた差別的取扱いが懸念。
 →GDPR(欧州一般データ保護規則)におけるプロファイリング規制との関係

 HRテクノロジーを用いた解雇やメンタルヘルス不調の予測と、個人情報やプライバシーの関係は、要配慮個人情報の推知の問題が前面に現れる。
 特に、求職者の評価や従業員等の配置、人事評価、賃金決定における要配慮個人情報の推知と異なり、メンタルヘルス不調の予測をするということは、結論自体が要配慮個人情報に該当するおそれがある。このため、これを従業員等の情報に付加すると、個人情報保護法違反の疑いはより濃くなる。
 メンタルヘルスや退職の場面は、特に退職勧奨や整理解雇といった場面で用いた差別的取扱いが懸念され、GDPR(欧州一般データ保護規則)におけるプロファイリング規制との関係も強くなる。
 論点としては「テーマⅡ 配置」と同様であるが、より一層慎重な取り扱いが求められる。
 実験段階で適切でない挙動をするようであれば、メンタルヘルス・退職に関してのHRテクノロジーの導入を行わないという判断も必要である。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点10」を参照)

論点1

 ★コンディションに関するデータを取得した「後」の「何らかの対応策」として、具体的にはどのようなことを実施すべきか。
 また、「健康確保措置」としては、データをうまく活用するとしたらどのようなことが考えられるか。
 指針を示すガイドラインが必要である。

論点2

 ★ハラスメントへの対処として個別の注意指導・教育を実施することで、企業として適切に当該人間関係に注意を払っているという姿勢を示すためには、どのような工夫をすべきか。特に、HRテクノロジーを活用していかに「個別化」すべきか。
 そのための、ガイドラインが必要である。

論点3

 ★従業員がメンタル不調等を発症した場合において、休職命令を出すタイミング、出すか出さないかの判断、出すにしても理由付けや説明内容等を人の「特性」に応じて柔軟に変化させることにより、「逆効果」を防げるのではないか。
 そのための、ガイドラインが必要である。

論点4

 ★「十分な休職期間を経たうえで計画的に自ら退職してしまうケース」を減らすには、休職期間中に企業側はどのようなサポートを行うべきか。
 HRテクノロジー活用、データ活用の観点から、具体的なガイドラインが必要である。

論点5

 ★「配置される現実的可能性があると認められる業務」を見つける際に、「過去同種の労働者が配置された実績」や「当該労働者が担当したことがある軽減業務が存在」ということをHRテクノロジーを活用して見つけていくためには、どのようなデータを事前に整備し、どのようなデータをベースに判断していけばよいか。
 具体的なガイドラインが必要である。

論点6

 ★「客観化されたリハビリ遂行状況により復職可否判定」につき、「判定」のみならず、タイプ別のリハビリ勤務内容をレコメンドするためのHRテクノロジーも有用と思われるため、どのようなロジックでレコメンドさせるようにすべきか、具体的なガイドラインが必要である。

論点7

 ★退職勧奨に関して、現在のポジションにおけるジョブフィット率が低いとしても、社内全体でよりフィット率の高いポジションやジョブを探して提案する義務が企業側に発生するのではないか。
 具体的にどのようなプロセスを経てから退職勧奨をすべきか、ガイドラインが必要である。

論点8

 ★「これまでの人事考課の積み重ね」と、客観データをもとに算出されたジョブフィット率との整合性が取れない場合、後者の情報を「正」として判断したほうがより「科学的」といえる。
 そのためには、客観データとしてどのような情報を整備しておくべきか。
 具体的なガイドラインが必要である。

論点9

 ★業務改善プログラム(Performance Improvement Plan)に関して、
① 「具体的な問題の指摘」(従業員の問題性)をHRテクノロジーによってサポートするためには、どのようなデータを蓄積しておけば良いのか。
② 「達成可能な目標の設定、目標の達成度合い(達成率)の測定、適切なフィードバックと次の目標設定」という一連のプロセスを実現するために有用なHRテクノロジーとはどのようなものか。どのような機能を実装すべきか。
③ 「目標設定」を人間の視点で調整する際、どのようなことに留意する必要があるか。
 上記それぞれについて具体的なガイドラインが必要である。

論点10


① 「メンタルヘルス不調の予測結果」を従業員情報に付け加えても個人情報保護法違反とならないケースはあるのか。違反とされないための留意点とは何か。
② メンタルヘルスの情報を取得した上で結果的に退職勧奨や整理解雇に繋がるようなケースにおいて、それが「差別的取扱い」とされないためにはどのようなことに留意すればよいか。
 上記それぞれについて具体的なガイドラインが必要である。


開講講座のご案内

【講座の目的】
 「データとテクノロジーを駆使した新たな人事」への進化が真に求められています。ただしその「進化」の過程では、留意すべき事項も多々あります。特に昨今注目され始めているのが、個人情報保護とプライバシー保護の問題です。さらに労働法に関連しても様々な論点があり、多くの日本企業はこれらに対して十分な対策を取れていないというのが現状です。

 人事に関わる者として最低限押さえるべき留意点とは何か?それらをクリアするための方法と実践的なステップは何か?
 本講座ではこれらに関する基本的な情報を講師から提供するとともに、各概念の説明や専門用語の解説のみならず、各テーマに即して参加者同士がディスカッションを行うことを想定しています。

【講座の特徴】
・HRテクノロジー領域のキャリア10年以上
・ロースクール修了
の講師が、テクノロジーの活用推進に主眼を置きながらも法的な問題点を「事業会社の人事担当者目線」で分かりやすく解説します。

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