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『HRテクノロジーで人事が変わる』解説note ~共著者の一人として、難しい問題をかみ砕いてみた~ ⑧第6章 組織・人材開発における個人情報保護の問題

まえがき

 「HRテクノロジーで人事が変わる」(2018年、労務行政)の「第3章 テーマⅡ 配置 個人情報保護の視点から」(担当:板倉陽一郎 弁護士)の執筆内容について「解説」します。

 あくまでもこれは「解説note」であり、元の内容を正確に、かつ、詳細に理解するためには上記の書籍を必ず購入頂くことを強くお勧めします。

1.HRテクノロジーにより行われる育成、キャリア・マネジメント、モチベーション向上施策の問題点

【要点】
・従業員にインサイトやレコメンデーションを与えるテクノロジー
・労働の効率化の一方、意思決定に介在の側面も

・自己決定権の侵害とならないか
・「囚われの聞き手」とされれば、半ば強制ともいえる

・従業員等の意思決定に不自然な介入をしないかという観点から検討する必要性

 これらの施策の結果なされる配置や賃金決定については、これまで見てきた通り様々な問題があるが、これらの施策自体についても特にプライバシーの概念が関係してくる。
 キーワードは「囚われの聞き手」である。

 育成やキャリア・マネジメント、モチベーション向上に用いられるHRテクノロジーの中には、一定のデータを基に従業員等に示唆を与えるものがある。様々なレコメンドも行ってくれる。例えば、毎日の目標を示したり、課題を設定するなどの機能である。
 このようなサジェスチョン(やレコメンデーション)は、従業員等が効率的に労働できるように行われるが、他方でどのような根拠に基づいているのかを(明確には)示さないまま、従業員等の意思決定に介在するという側面もある。
 このようなHRテクノロジーは、自己決定権(自己の私的な事柄について自由に決定する権利)に影響を与えるといえるのではないか。
 自己決定権はプライバシーと同様、憲法13条で保障されていると考えられている。

【解説】
 日本国憲法上に「自己決定権」という名の権利は存在しない。現在では憲法13条の「基本的人権」や「幸福追求権」から派生した新しい人権の一つと考えられている。あるいは、「幸福追求権」に含まれるとされている。
 一定の個人的な事柄について、公権力から干渉されることなく、自由に決定する権利、と説明され、例えば、結婚・出産・治療・服装・髪型・趣味など、家族生活・医療・ライフスタイル等に関する選択、決定について、公共の福祉に反しない限りにおいて尊重される、というものである。

 しかしながらその内実はケース・バイ・ケースの判断であり、私人間において、具体的な立法なしにこれを害してはならないとの法理が確立しているわけではない
 ただ、HRテクノロジーが、従業員が望んでもいないのに意思決定に介在することもある、という点を捉えると、下記の判例で「補足意見」として論じられた「囚われの聞き手」と類似するともいえる。

【判例の紹介】
商業宣伝放送差止等請求事件
(昭和63年12月20日最高裁判決)

<具体的事案>
 大阪市営地下鉄車内における商業的な宣伝放送が、乗客に対して聞きたくない音の聴取を強制しており、人格権を侵害する違法なもの(不法行為)であるかどうかが争われた。
<判決要旨>
 市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。
<補足意見>
 人が公共の交通機関を利用するときは、もとよりその意思に基づいて利用するのであり、また他の手段によって目的地に到着することも不可能ではないから、選択の自由が全くないわけではない。
 しかし、人は通常その交通機関を利用せざるをえないのであり、その利用をしている間に利用をやめるときには目的を達成することができない。比喩的表現であるが、その者は「とらわれた」状態に置かれているといえる。
 そこで車内放送が行われるときには、その音は必然的に乗客の耳に達するのであり、それがある乗客にとつて聞きたくない音量や内容のものであつてもこれから逃れることができず、せいぜいその者にとつてできるだけそれを聞かないよう努力することが残されているにすぎない。
 したがつて、実際上このような「とらわれの聞き手」にとつてその音を聞くことが強制されていると考えられよう。

 もっとも、HRテクノロジーは、上記判例で問題となった公共交通機関ほど「利用せざるをえない」ものであるとは言い切れない。そのため、「囚われの聞き手」法理をどこまで援用できるのかは、なおも考察が必要である。(※)

(※)コメント
 板倉氏は上記のように述べているが、社内においては、公共交通機関並みに「利用せざるをえない」ものと言える状況もあるのではないか?例えば、自分に備わっていると考えるスキルの情報を登録し、その情報を基にパーソナライズされたラーニングメニューのレコメンデーションが来て、それに沿って受講を続けていって規程時間数に達することが昇進・昇格の条件とされているような場合、これを使用しなければ昇進・昇格の道を閉ざされることになる。この方法でしか「目的地に到達することが出来ない」のである。

 ただし、少なくともHRテクノロジーによって育成やキャリア・マネジメント、モチベーション向上をどこまで誘導できるかは、単に従業員等の効率性のみを根拠とするのではなく、従業員等の意思決定に不自然な介入をしないかという観点から検討しなければならない。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点1」を参照)

2.HRテクノロジーのデータを他の企業と交換する場合の問題点

 HRテクノロジーによって育成やキャリア・マネジメント、モチベーション向上についての示唆を得る場合、理論上は、同じテクノロジーを導入した他の企業と、従業員等のデータを交換(ないし、結合)させることで、企業の垣根を越えて知見を得ることが可能になる。(※)

(※)コメント
 たとえば同じworkdayユーザ同士が、従業員から取得したスキルに関する情報を融通しあって共通データベース(スキルフレームワーク)を構築する仕組みがあったり、同じアセスメント(職業適性検査)の結果を世界中のユーザ間で共有して国や地域、業種ごとのベンチマーク(Norm)情報を利活用するケースを挙げることが出来る。

 ただしこの場合は、個人データの第三者提供個人情報保護法23条)の問題が生じる。

 このため、HRテクノロジー導入のために利用目的を変更する場合と同様に、本人から個別で同意を取得するか、就業規則等で集団的な同意を得るかを検討しなければならない。

(復習・参考資料)
 個人情報の第三者提供には、本人同意が原則である。しかしながら、企業規模が大きくなると全従業員から同意を得ることは非現実的であり、力関係がアンバランスな企業と従業員間で個別に同意を得たとしても従業員側に同意しない余地があったかは定かでなく、少なくとも紛争の種は残る。
 このため、集団的な同意の取得方法について検討が必要である。
 個人情報保護委員会は下記の見解を示している。
<本人の同意>
GL通則編2-12
 「本人の同意」とは、本人の個人情報が、個人情報取扱事業者によって示された取扱方法で取り扱われることを承諾する旨の当該本人の意思表示をいう(当該本人であることを確認できていることが前提となる。)。
 第三者提供等についての同意を含む利用規約による契約の有効性は、公法上の契約の有効性として私法上の意思表示の規定を適用または準用して検討すれば足りる。

 同意を集団的に得るためには、就業規則(個人情報取扱規程)の変更が公法上の意思表示の問題として問われる。
 変更の要件としては、従業員の個人情報の利用目的に関する就業規則等の定めについて、労働契約法10条就業規則の不利益変更)の定めが適用または準用される。

★ここには大きな論点が潜んでいる。(末尾の「論点2」を参照)

論点1

★従業員等の意思決定に不自然な介入をして「自己決定権を侵害」している、とされないようにするためには、どのような条件を満たせばよいのか。   ベンダーが製品を開発をする際の機能実装の観点のガイドラインと、人事部門や組織・人材開発担当者が社内での仕組みづくりをする際の具体的なガイドラインの策定が求められる。

論点2

★個人情報を第三者提供していくことについて、労働組合等の理解を得るための具体的な説明方法と説明プロセス等についての具体的なガイドラインの策定が求められる。
 さらに、利用目的の変更の要素も含まれると捉えるのであれば、適切な公表と通知の実質を備えるために、個人情報を第三者提供していくことについての周知期間の長さ、従業員向け説明会における説明方法や説明内容、ポータルサイトでの説明内容についても具体的なガイドラインの策定が求められる。


開講講座のご案内

【講座の目的】
 「データとテクノロジーを駆使した新たな人事」への進化が真に求められています。ただしその「進化」の過程では、留意すべき事項も多々あります。特に昨今注目され始めているのが、個人情報保護とプライバシー保護の問題です。さらに労働法に関連しても様々な論点があり、多くの日本企業はこれらに対して十分な対策を取れていないというのが現状です。

 人事に関わる者として最低限押さえるべき留意点とは何か?それらをクリアするための方法と実践的なステップは何か?
 本講座ではこれらに関する基本的な情報を講師から提供するとともに、各概念の説明や専門用語の解説のみならず、各テーマに即して参加者同士がディスカッションを行うことを想定しています。

【講座の特徴】
・HRテクノロジー領域のキャリア10年以上
・ロースクール修了
の講師が、テクノロジーの活用推進に主眼を置きながらも法的な問題点を「事業会社の人事担当者目線」で分かりやすく解説します。

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