DAY27. いつかの反面教師
ポチポチと文字を打っては消し、打っては消し。もうメッセージは無しにしようかとも思いながら。小一時間かけてようやくスマホから注文をした。
◼️メッセージ:お誕生日おめでとうございます。素敵な一年となりますように。どうぞ元気にお過ごしください。
結局、できあがってみれば余計な感情はすべて削ぎ落とされ、いかにも無難な言葉が並んでいる。ちょうどコロナ前の2019年3月にも、同じ店から花を贈ったらしい履歴が残っていた。選ばれているのは、母の好きな黄色の花のアレンジメント。
今年は初めて黄色をやめて、淡いピンク色の花々をまとめたブーケを選ぶ。そのやさしい色みに、お互いの心の平安を願う気持ちをそっと託して。
注文してすぐ、その画面をスクショして夫にLINEした。〈とりあえず誕生日、送っときました〉
〈お。えらい!〉すぐにきた返信に少しだけ顔がほころんで、まあね!と偉そうにする猫のスタンプだけポチッと返す。
これでまた、当日は届いたよコールがくるだろうか。だいぶ気まずいけれど。私は別に、母を不幸にしたいわけではないのだ。
*
妻の笑顔は、夫にとって脳の報酬系を刺激するものらしい。つまりはご褒美。本当だろうか。
ある日、くだらないことで笑いこけながらふと隣の夫を見ると、どこか嬉しそうにつられ笑いをしていた。それを見て、私もまたほくほくとした気持ちになる。
おそらく妻も夫も関係なく。同じときを過ごす隣人の朗らかな笑顔は、心にぽっと明かりを灯す。
私がひとりむしゃくしゃしていれば、それは夫にも伝染するもので。ため息をついた日には大変だ。
「どうしたの?」
少し苛立った声で問われて、はじめて自分が大きめの息を吐いていたのを自覚した。
「ああ……。お母さんから、またメール」
〈都合のいい日を連絡してください。〉その有無を言わさぬシンプルな文面を見せられた夫が、ほっとしたように苦笑した。彼は、妻のイライラが全部自分につながっていると思い込んでいる節がある。
母とのメールのやりとりは、私の流産から始まった。
そもそも私の自業自得。年明けに、早すぎる「妊娠」の報告をした。これが最後かもと思ったら、どうしても知らせたくなったのだ。私たちのもとに来ようとしている確かな命の存在を。
その灯火が、またふっと儚く消えてしまう前に。私たちは胸の奥底で、最悪の可能性も十二分に承知していた。ちょうど7周を迎えて、2日前には動き始めた心拍も確認したばかりだというのに。
その日は弟夫婦と子どもたちも来ていて、じいじばあばと賑やかな正月の食卓を囲んだ。結局なかなか言い出せずに、ほとんど帰り際になって報告をした。
そこから一気にまくし立てる。
「実は結婚してからずっと不妊治療してきた」「この8年、タイミング法、人工授精、体外受精、顕微授精、ありとあらゆる方法を試してきた」「今は日本でも最高峰と言われるクリニックで、できる治療はほとんどやり尽くしている」「すでに流産を2度していて、今回の妊娠も楽観視はできない」
「だから今回の移植で、もう最後にしようと思っている」「どちらの結果になったとしても、どうかそっと見守ってほしい――」
めでたい報告だというのに、喜びも何もあったものじゃなく。私はあらゆる反論をつぶしにかかっていた。
世の母親の多くがそうであるように、「○○食べると良いらしいよ」「○○したら自然妊娠できるんじゃない?」などと言い出しかねなかった。わが母は、その傾向がだいぶ強い。
「えぇ……」
妊娠報告から一転して後ろ向きな念押しに、母は一瞬言いよどんだ。本当に、一瞬だけ。
「あそこは、行ってみた?」
ふた言目の問いかけを聞いて、一気に脱力した。母の言う「あそこ」とは、とある山奥にある神社のことだ。
男性のリアルな象徴そのものと女性の象徴とを模した、御神木的なものを崇め奉っているところで。それぞれの象徴に夫と妻がまたがるとあら不思議、子どもに恵まれるのだと力説された。エビデンスは、誰だかが出ているバラエティ番組だという。
プリントアウトされた神社の観光情報を持ち帰らされた道中、夫婦ふたりで涙が出るほど笑ったのをよく覚えている。「娘夫婦にとんでもないものまたがらせようとしてきたな!」「壮大なハラスメントなんだけど……!」
ある意味、あのときは楽しい時間をくれた。それにしても今じゃない感がすごい。すご過ぎる。
「……もう、そういう段階じゃないんだよね」
話聞いてた?の言葉は、ぐっと堪えた。
「でも、行くだけ行ってみたらいいじゃない」
いつものように「あきらめたら終わりよ!」「やればできる!」と言い出す勢いだった。そこへ救世主が割って入る。
「いや、不妊治療って本当に大変らしいよ。周りがそんな簡単に言わないほうがいいよ」
今やすっかり2児の父親が板についた弟が、落ち着き払って母をたしなめる。
思えばこの弟は、いろいろと道を踏み外してきた姉と兄をしり目に、いい大学に入り、大手商社に勤め、ステップアップ転職をしながら、可愛い妻と2人の子どもにも恵まれ、絵に描いたような母の理想を生きている。
そのうえ不妊治療にも理解があるとは。心の中で拍手喝采を送り、「じゃ、そういうことなのでよろしく!」と私たち夫婦はそそくさ帰ってきたのだった。
それから、普段めったに連絡をしてこない母が、慣れないメールを送ってくるようになる。〈1/13 にNHKプロフェッショナル****があるので見て参考にしてみてね〉〈見た感想を教えてね〉
不自然なくらいどうでもいい内容のメールに、なんとなくは返していたものの。ほどなくして、私のほうが報告しなければならなくなった。電話をかける気力もなく、メールをする。ひどく冷え切った心のままで。
〈あと1日で9周だったんだけど、今日、心臓が止まってて、また稽留流産の判定となってしまいました。今回はだいぶ成長していて、このままうまくいくのではないかと期待もしましたが、やはりだめでした。近々流産手術をする予定です。ご報告まで。返信は不要です〉
すぐにきた返信を、重苦しい息を吐きながら薄目で開く。
〈あなたが来た次の日から浅間神社に毎日お願い詣でしています。もう少し続けます。めげないで!祈っています〉
これは……。見る人が見たら、“美しい母の愛”を綴ったものだと思うのだろうか……いやいや、さすがに日本語が通じな過ぎる。2日放置したあと、たまらずに返信をした。
〈流産判定は確定したものなので、覆るものではありません。期待を裏切って申し訳ないんだけど…努力しなかったわけでも、めげた結果だったわけでもないんだよ。理解してもらえるとありがたいです。この8年、ありとあらゆる方法を試みて、夫婦でがんばってきました。これ以上薬漬けで無理に治療を続けることが、子宮系の病気につながらないとも限らない、それくらい心身に鞭打って根性出してきた結果なんです。ごめんなさい。わかってくれないかな。しばらくは、そっとしておいてもらえるとありがたいです〉
頭をよぎっていたのは、数年前の苦い記憶。
「子どものこと、ちゃんと考えてるの?」「努力が足りないんじゃないの?」
母は、学校の宿題をしない娘に喝を入れるテンションで電話ごしに言ってきた。悔しくて、電話を切ったあと涙が出た。本人はきっと忘れているだろうけれど。
そのまま返信もなく、ようやくそっとしてくれたかと1週間を過ぎたところで、またメールがきて。その文面に度肝を抜かれた。ちょうど流産手術をした翌日だった。
〈寒い日が続きますが、お変わりありませんか。お父さんが、今度の土日にそちらの家へ行きたいと言っていますがご都合はいかがですか?〉
「いやいやいや……」思わず声が出て、ソファの隣にいる夫に言いつけたのだった。
「ちょっと、これ見てよ。“お変わりありませんか”って……サイコパスかな……今、このタイミングで言うぅ?」
「サイコパスって」と吹き出しながら、「きっと心配なんでしょう?」となだめる夫。その温かい腕の中で、今日くらいはと思いきり甘えて、私はどうにか自分の心を静めたのだ。
引っ越してきてもうすぐ4年が経つわが家に、母が訪ねたいと興味を持ったことなどこれまで一度もなかった。それからというもの、いくら断っても〈いつならいいですか〉と畳みかけてくる。
〈お父さんが話したいことがあるようです〉〈渡したいものがあります〉というメールには、もう嫌な予感しかしなかった。
まわりから見たら、ほんのささいなことで。もしかしたら「いいお母さんじゃない」と言う人もいるかも知れない。ただ単に、私がひねくれているだけなのかも。
でも、と思う。愛って、こういうものだっけ? 私の存在を認めてもらうのに、結婚だとか孫だとか、そんな条件、つけられちゃうものだった……?
これまで幾度となく助けられてもきたそのポジティブモンスターぶりも、今回ばかりはきつかった。どうしても、引っかかってしまう。私の体を心配する言葉がひとつも出てこないことに。私たちの意向を、ひとつも尊重しないことに。
もしも、私の幸せを願ってくれるのなら。その幸せの尺度は、私に決めさせてほしかった。私が実母に言われたかったこと。それは前日、同じように報告した義母が全部言ってくれたのだ。本当に全部。
「これまで本当にがんばったね」「あったかくして、体を大事にね」「うまくいくことを心から願ってる」「でも、もしも今回だめだったとしても……あなたたちが幸せなら、それでいいんだからね」
対照的な母2人。語らずしての父2人。そして私は、とうとう実家に呼び出しをくらったのだったーー。
つづく
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