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レビュー 『マンガ人類学講義 ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか』

「文化人類学」という学問に興味があります。

それは、毎年イギリスの現代美術雑誌『ArtReview』が発表している、「Power 100」に、よく文化人類学者がランクインしていることが不思議だからです。

「Power 100」は、アート界でもっとも影響力のある100組のランキングで、2021年に2位を獲得したのは、『マツタケ――不確定な時代を生きる術』を書いたアナ・チン。

『ブルシット・ジョブ』で有名なデヴィッド グレーバーも文化人類学者で、10位にランクインしています。

そんな、アートの世界にも影響を与える文化人類学ですが、文化人類学を知るとっかかりとして最適なのが本書

マンガを通じて、楽しく文化人類学についてついて学んでみたい人におすすめです。

生きていくためには働かないといけない
学校に行かないといけない
私たちはそう思い込んで生きている
私たちの周りで
進行する諸問題の底の部分には
そういったおもいこみがあるのではないか

という問題提起から始まり、人間とは何かを知るため、著者は、ボルネオ島の狩猟採集民族である「プナン」の地へ赴き、彼らのもとで暮らしました。

本書では、プナンでのフィールドワークから得た知見が紹介されています。

たとえば、プナン人がしていた「地面の中に金ピカの御殿があって彼らはとても立派な身なりで暮らしている。」という話は、実際はフンコロガシについての話でした。

フンコロガシは、かつてはお金持ちの人間で、あるときスポーツ競技でインチキをして、糞を転がすだけのフンコロガシになったとのこと。

このことから、人間とフンコロガシはある意味では同列であり、同じ魂を持つという認識がプナンにはあることに気づきます。

また、プナンでは気前が良いことが重要視され、惜しみなく分け当たることが、良い心がけとされています。

つまり、一番みすぼらしい人が、高確率で一番偉い人。

そんな彼らにも欲はあるようで、「本当は欲しい、でも与える」ことが、良い心がけです。

プナンでのフィールドワークだけではなく、巻末には文化人類学の歴史と、現在の課題が短い文章でまとめられています。

いままでの文化人類学は、ひとつの文化を外側から客観的に捉えようとしていましたが、それだけでは人間の本質をつかむことができませんでした。

ひとつの解決策として、文化の内側から、現地の人々がやっていることや考えていることを理解し、現地の文化から影響受けて、自分自身も変容することが挙げられます。

「人類学の目的は、人間の生そのものと会話することである」と語る、現代を代表する文化人類学のティム・インゴルド。

彼はまた、「あるがままのものを描いて分析するだけに結びついている必要などない。それはまた実験的でもあり、思弁を許されている」と語り、未来の人類学はアートと結びつくだろうとも予想もしています。

実際にその「実験と思弁」によって、文化人類学者が「Power 100」のランキングに登場することになったのだと思いました。

著者の奥野 克巳(おくの かつみ)は1962年生まれ。

20歳でメキシコ・シエラマドレ山脈先住民テペワノの村に滞在し、バングラデシュで上座部仏教の僧となり、トルコのクルディスタンを旅し、インドネシアを一年間めぐった経験を持っています。

そして現在は立教大学にて、異文化コミュニケーション学部教授を務めています。

そんな著者がマンガ家と組み、マンガで人類学を学ぶ、という斬新な一冊が本書。

国が違えば、文化も常識もまったく違うというごく当たり前のことに驚かされ、視野や考え方を広げ、柔軟にすることができます。


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