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ChatGPTは、大学の学びを加速させるのか壊すのか。いま大学が求められる生成系AIとの向き合い方を考える。

インターネットやスマートフォンの登場で、私たちの生活が大きく変化したように、いま話題になっているChatGPTも、私たちの生活を根っこのところから変えていくテクノロジーのように感じています。連日、ChatGPT関連のニュースが出ており、各大学もこのオーパーツの卵とどう向き合うか、いろんなスタンスを表明しています。進化のスピードが早すぎて、来月ぐらいにはまた状況が変わっているかもしれないのですが、とりあえず流行りにのって、今回は大学のChatGPTに対する対応について書いていきたいと思います。

慎重かつネガティブ、大学業界のChatGPTへの向き合い方

まず、最初に話題になったのは上智大学です。上智大学はウェブサイトに「成績評価における対応方針」を公開し、ChatGPT 等の AI チャットボットが生成した文章の使用を原則認めないことと、使用が確認された場合は厳格な対応を行うことを表明しました。ChatGPTの使用はカンニングの一種のようなもの、そんな受け取り方をしているのだろうという印象を受けました。

続いて、動向が気になる大学として東京大学と京都大学がどうなのかについても見てみましょう。まず東京大学は、uteleconという学内向けのオンライン授業・web会議ポータルサイトで「生成系AI(ChatGPT, BingAI, Bard, Midjourney, Stable Diffusion等)について」というテキストを公開しています。ここでは、システムの特徴や注意点とともに、「本学では学位やレポートについては、学生本人が作成することを前提としておりますので、生成系AIのみを用いてこれらを作成することはできません」と書かれています。上智大学のスタンスほど強くはなく、部分的な使用については認めるような書き方をしています。

でもって、次は京都大学です。京大は、この記事を書いている2023年4月15日現在では、ChatGPTについて明確なスタンスは打ち出していないものの、入学式で湊長博総長が、ChatGPTではなく自ら文章を書くことの大切さに言及しています。打ち出し方としてはそう強くなく、また大学全体として明言しているわけでもありません。でもどちからというと、ネガティブな受け取り方をしているのかなといった印象です。

ChatCPTを学びに取り入れる、甲南女子大の挑戦

紹介した3大学以外の大学も、ChatGPTの対応については、全体的にネガティブで慎重な論調のものが多いように感じました群馬大学公立鳥取環境大学そんな中でちょっと毛色が違うものを見つけたので紹介しておきます。

これは甲南女子大学のリリースなのですが、使用禁止ではなく、逆に授業で使いましょうという取り組みです。いまのChatGPTの進化スピードと、世の中のざわざわ加減を見ていると、かなり思い切ったことをするなあと感じます。というのも、学期はじめと学期終わりでは、ChatGPTに実装されている機能や性能が変わっている可能性が十分に有りえます。使用許可を出すぐらいならまだしも、こんな動きが早いものを”教える”というのは、誰がどうやって?という気がしないでもありません。

もう一つ気になったのは、この授業でChatGPTの活用方法をちゃんと学べるとしたら、当然、受講生たちは他の授業でも使うようになるでしょう。そうなったとき、この授業を受けた人とそうでない人で、成績に開きが出る可能性があります。そのとき、この授業を受けられなかった人から、不平不満が出るかもしれません。

またさらに見方を変えると、ChatGPTを使わない人の方が成績では苦戦するかもしれないけれど、学力という意味ではChatGPTを使った人よりも伸びるかもしれない。いやでも…、将来的に誰もがChatGPTを使うことになるなら、ChatGPT織り込みずみで学力や能力を捉えるようになるので、ChatGPTに早くから慣れている人の方が優秀とされる可能性もあります(いまの情報処理能力とPCの関係性なんか、そんな感じなのかなと思います)。そう考えると、ChatGPTと社会との関係性によって、卒後必要とされる能力の定義も少し変わるのかも、という気すらします。

大事なのはChatGPTではなく、我々がどうありたいか

今回、大学のChatGPTに対する態度をいくつか見てきましたが、これらを煎じ詰めると大学が気にしているのは、ChatGPTが教育(そして学生の成長)に役立つか否か、という一点に集約されるように思います。この問いに対して、現段階ではYesともNoとも言えないから、禁止して様子を見る、使いながら考える、みたいなことをやっているのかなと。でも、身もふたもないことを書いてしまうのですが、これってChatGPTに限った話じゃないし、結局のところ使い手によるとしか言えない気がするんですよね。ChatGPTを使うことで、より効率的に知識を獲得する人もいるし、反対に考えることを止める人もいる、そりゃそうだと。

そうなってくると、ChatGPTうんぬんの話ではなく、知や自分自身への向き合い方の話だと思います。そして、どう向き合うかは、時代に関係なく考えるべきことだし、とくにこれから社会に出る学生は真剣に悩むべき大事な“問い”なはずです。もちろん、社会全体でみると、ChatGPTに対して他にも考えるべきことや備えるべきことは、もっとたくさんあるでしょう。大学であっても研究者を対象にした場合、異なる視点が出てくるように思います。ですが、学生✕ChatGPTという意味では、巡り巡ってこれに尽きるのかなという気がします。

また、ChatGPTは一般に広く普及しつつあるテクノロジーで、今後はいろいろなツールに組み込まれていくことが予想されます。作文の精度も上がっていくと考えられるので、使用の有無を判別することはいっそう難しくなるはずです。そうなったとき、一律に禁止するとか、使用の有無を調べるというのは、現実的ではないように思います。結局、社会状況の変化から考えても、やるべきこと(そして、できることは)学生側の意識に問う、そして育むことだけなのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、知や自分自身への向き合い方をしっかり考えるのは、時代を問わずすごく大事なことです。これについて、より真剣に考えられる(ざる得ない)状況ができつつあることは、大学にとっても、学生にとっても、プラスなことだと思います。そして、これらを考えた先に、大学とはどういう場であるべきなのか、という問いが再度持ち上がってくるようにも思います。

各大学のChatGPTへの対応をまとめていたら、なんだか予期せぬ方向に話が進んでしまいました…。とはいえ、ChatGPTが大学にどんな影響を与えるのか、どんなケミストリーを起こすのかは、今からすごく楽しみです。今後も注意深く見ていこうと思います!


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