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緩やかな衰退を目指して 〜SDGsに手を出すその前に〜

「開発」「衰退」をどこまで許容できるのだろうか?

私は今、高齢化率90%近い香川の離島で暮らしている。人口150名程度のこの離島では、27歳の私が最年少だ。

昨今流行りのSDGsすなわち持続可能な開発目標という言葉のせいか、島にも都会から企業や団体がぽつぽつと集まるようになってきた。そして、多くの場合、SDGsに配慮した活動をしたいらしい。

私個人としては企業や団体が島にやってくるのは、私企業である以上彼らの自由だし、彼らがこの島の未来を活性すなわち「開発」していくのかもしれないとも思ってはいる。

ただ一方で強く考えるのは、この島に「開発」は本当に必要なのだろうか?という点でもある。

実際、とんでもない高齢化社会を迎えた島はこの先10年で大半の島民がいなくなるだろう。ギリギリで運営出来ている地域のお祭りや清掃活動などは、10年後にはもう無くなっているかもしれない。

そんなことを考えていると、開発以前に衰退の在り方自体を見つめ直す必要があるように思えてくるのだ。
だからこそ、その衰退を食い止める手段として、地域開発なんて言葉があったりもするのかもしれない。
それでも私は、開発に手を出す前に「現状を少しだけでもマシにする」、つまり緩やかな衰退の在り方を模索する必要もある気がするのだ。

例えば、それは孤独死をできる限り防ぎ、安らかに島から旅立てること。地元のお祭りを規模を縮小してでも続けられるようにすること。

もちろん死と向き合うこと、規模縮小を前提とすることが「開発」とは相性が悪いのも分かっている。

でも、やはり目指すのは「開発」ではなく、「緩やかな衰退」なのだ。

急激な衰退は、この島の力では対処できない問題をいくらでも叩きつけるだろう。そして、いま島に参画する企業たちが10年後も島に関わり続けるのかは甚だ不透明だ。

だからこそ、現実的な着地点として、その衰退の度合いを穏やかにすることが、この地域が長く存続していくためには必要な気がしてならない。

SDGsは名の通りdevelopmentすなわち「開発」を前提としている。
しかし、今後はそもそも「開発」に手を出すか否か自体が再検討されてもよいのではないか。

だからこそ、SDGsと同じくむやみやたらな「開発」に対するアンチテーゼとして、緩やかな衰退を一つの選択肢として叫びたい。
なぜなら、緩やか衰退もまた持続可能性を前提とした考え方の一つだからだ。


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