SNSで自分に都合のいい記事ばかりをシェアしてしまう件 ~議論と論点~

なぜだが、この夏、僕のフェイスブックのタイムラインは「クラウドファンディング(以下、クラファン)」に関する投稿が多くみられたわけです。

それはおそらく女優の真木よう子さんが、クラファンで集めたお金でフォトマガジンを作り、コミックマーケットで販売しようという動きに端を発するものだと思われます。

 SNSではクラファンがいかに合理的で素晴らしいか、逆にいかにそれがはしたない行為かを説明するためにブログや特集記事等をシェアしている人もなんだか多いですね。


クラファン賛成派、反対派いろいろ居るみたいですが、その議論は果たして、的を射ているのかには個人的に疑問が残るところ。

 こんなときに一応、大学院生を少しばかりやってみて痛感する「論点を見つけ出す難しさ」は、ここにも当てはめることができるような気がするのです。

 研究論文を作成するというのは、ざっと話をまとめると

「先行文献・研究を議論して、自分の論点を見つける」

ということがまずは大事らしい。

具体的には、何か一つの問題にたいして

Aさんは文脈①からこんなこと言ってますよー!でも、ここは言及してないですよねー!
Bさんは文脈②からこんなこと言ってますよー!でも、ここは言及してないですよねー!
Cさんは文脈③から      〃

ってな感じで、今までに成されてきた研究をチェックするわけですが、そんな時に大事なのは、A、B、Cさんそれぞれが「何を明らかにして、何を明らかにできていないのか」をチェックすること。
この時、それぞれの文脈はそれぞれの問題意識とある程度、関連性があるわけです。

そうすることで、A、B、Cさんそれぞれの「明らかにできていないポイント」が、案外共通していた等、意外な発見があったりして、それが大きな「論点」を生み出したりするらしい。

この「論点」を見つける作業が、「議論」というものようです。

で、僕もよくやってしまうのが、ろくに議論もせずに、「自分の考えに都合のいい文献ばかり」を引用すること。これは議論もしてないし、結局、なにが問題なのか、つまりは論点がわからないわけです。

さて、長くなりましたが、クラファンに話を戻すと、賛成派、反対派の対立は「議論」ではない。ただの水かけ合戦、かも。

つまりは、相手に不足している部分(=でも、ここは言及してないですよねー!)ばかりを互いに誹謗中傷して、対立を深めているだけのような。

実際、真木さんのコミケクラファン問題への意見を見てみると

賛成:「自分も真木さんと一緒に何かを作れる!」「こっちは進んでクラファンに投資している」など

反対:「楽して金を得ようとするな」「コミケのルールに反する」「有名人がオタク文化を荒らすな!」など

といったように、クラファン自体を問題にする人もいれば、オタク文化・コミケ文化から問題を提起する人も。

「みんないったいどの文脈から何を議論しとるんやー!」となるわけです。

カッコつけて言えば、「本質的な議論」をしていない。賛成反対それぞれ言いたいことはあっても、大きな論点がはっきりしていないといったところでしょうか。

そして、挙句の果て、SNSで自論を展開するためにブログ等を都合よく引用してしまうわけです。(筆者も人の振り見て我が振り直せですが、、、)

「賛成反対両方の意見を聞き入れなさい」とは言われ続けてきたものの、僕も含め、なかなかそれができないのが情けないところですね。自分が正しいと押し通すために、他人の意見を使いたくはない、、、。

と自身の研究の論点がさまよい始めた大学院生が、日ごろの葛藤を含めお送りしました。

長文お読みいただきありがとうございます!!また、アクセスしていただければ幸いです!!

最後に、クラファンに関する記事二つと、この夏やたらと目にしたキングコング西野さんがクラファンについて語ったブログをシェアします。

https://lineblog.me/nishino/archives/9297487.html (キングコング西野さんのブログ

http://www.outward-matrix.com/entry/2016/07/25/163000(賛成派)

https://www.sy-br.co.jp/kigyo/post-1351/ (反対派)

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