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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり… もっと読む
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2020年11月の記事一覧

ふるさとは都会

都会に少し里帰りをしたくなってきた。 最寄り駅に思いを馳せる「見覚えのある街だな」 大阪生まれの私は、香川県の高松でそう思った。 高松の景色は私の実家の最寄り駅にどこか似ているのだった。 そう、私が毎日通った茨木市である。高松の街は茨木の町を彷彿とさせた。 大阪府茨木市はいわゆるベットタウンで、特にJR茨木駅・阪急茨木市駅周辺は住宅街やマンションが立ち並ぶ。駅前には商店街があり、チェーン店もそれなりにある。 そりゃ、梅田や難波もちろん東京と比べれば田舎だが、程々に都

1人になりたい私と喫茶店のアップルパイ

アップルパイを通じて、一秒間だけ、私は圧倒的他人らの世界の住人となった。 一人になるというのはどうすれば一人になれるのか。 一人を欲するくせに、私は昔から自分の部屋に一人で居るのがあまり好きではない。 なぜなら私の残骸が私の部屋にはありすぎるからだ。 あのとき買ったペンやまだ読めていない本、また面倒くさいからと洗わずに1時間程経ったマグカップ。 それらを目にして、 「そういえば」 とった具合に頭がこんがらがってくる。 だからこそ、自室を飛び出して、違う場所でわざわ

0の0乗 〜0の私でも存在できる理由〜

自然数の0乗は1、そして0の0乗も1 0から1少し前の話になるが、お笑い芸人のハライチとオードリーのテレビ番組をみていた。 ネタ作り担当がネタを作らない相方に詰め寄り、 「俺たちはゼロからイチを作り出したんだぞ」 と声を荒げていた。たしかにあのハライチの「~なやーつ」に代表されるノリボケ漫才やオードリー春日というキャラクターは唯一無二だ。 ゼロからイチを生み出す。彼らの熱量を見る限り、それはきっと私が想像するよりも遙かに辛く苦しいものなのだろう。 誰かが生み出して

トルコの「あの豆」にもう一度会いたくて

豆の名が分からないなんてことが、トルコでの生活に何か支障をきたすわけでもなかった。 豆大国、トルコ先日、島のおばちゃんから枝豆を貰った。今でこそ私も豆類が大好きだが、とある国で暮らすまでは、豆類を進んで食べるタイプではなかった。 そう、トルコである。 私は交換留学生としてトルコ共和国・チャナッカレ県に約9ヶ月滞在した。トルコという国は本当にスープが多い。小さな食堂でも数種のスープが準備されている。そして、スープの多くに豆類が使われる。 だからこそ、トルコ料理と豆という

イマ・ココでエッセイを読めるのは 〜北海道の編プロに思いを馳せる〜

エッセイを読む・書く面白さは自己対話にあるように思う。 他人様のエッセイを読む私の数少ない趣味である読書。 最近はもっぱら芸人さんやまたnoteクリエイターさんのエッセイを読みながら、秋の夜長を楽しんでいる。夜長とはいっても、私の最近の就寝時間は21時台なのだが。 小難しい本は眠気を誘うし、小説も読み始めたら長くなるので、エッセイがちょうどキリがいい。 ただ、私自身は数年前まで、エッセイというものを読む習慣がなかった。おそらく他人様のエッセイに共感できるほどの、人生経験

肩書はわたしよりもわたしらしい、かも。

肩書を失ったら、案外自分は何者でもなかった。 島旅農園「ほとり」かれこれこの屋号で活動し始めてから1か月弱が経ちました。 メールにせよ、香川本鷹のレシピにせよ、もちろんnoteにせよ島旅農園「ほとり」を明記しているわけです。 現状メインの仕事としては、島のセンター(市の出先機関)でアルバイトをさせてもらっているので、もし屋号以外に肩書をつけるのであれば、 市役所の臨時職員 といったところでしょう。ただ、これでは私に興味を持ってもらった人に、私が何をしているのか?がイ

世界一有名なビーグル犬と私の朝寝坊

「記事書けてないけど、明日の朝書けばいいや」 21時就寝、現在6時45分。 やってもうた。 21時に寝るんだから5時には余裕で起きられるだろう高をくくっていたのが運の尽き。ノンストップで寝続けて、今に至る。 そのため、投稿当日11月9日の朝、この記事を書いている。 今頭によぎっているのは、この名言。 "If you think about something at three o'clock in the morning and then again at noon

ナスと私とセンチメンタル

「ナスも人間も干からびるときは一瞬だな」 夏野菜の終わりすっかり秋めいてきた今日この頃。 ずいぶん、朝晩の冷え込みを感じるようになってきた。 畑に植えていたナスやトマトといった夏野菜もそろそろ役目を終えようとしているのか、その青い葉にもくすみが見えてきている。 今や夏野菜とはいっても、ハウス栽培という技術のおかげで、年がら年中口にすることができる。 他方で、露地で夏野菜を栽培してみると、やはり夏野菜は夏野菜なのだなと、その萎れていく姿に季節を感じるといったところである