叶えられた祈り
カポーティを好きだったのは、20歳の頃。
性的に奔放な人が出てくる話が好きだったし、たぶん自分もそうなりたかった。でも、初めて肌を合わせた時に、わかってしまった。あぁ、これは特別な誰かとじゃないと意味のない行為なんだな、って。
すごく好きになった人でも、いなくなる予感のする時には結局泊まったりしないで。今ならきっと問題ないのだろうけれど、あまりにも好きだったから、最後までしたら自分が壊れちゃうのが目に見えていた。
たとえば、他の人と寝るくらいなら、このまま死んでもいいと思うくらい好きだった。
わたしがすごく好きだった人。性格はひねくれていて、自分がかっこいい事を理解していて、仕草も表情もかっこよくて、一人が好きで。大きい車に似合わない華奢な身体は、背が低くて痩せているわたしとバランスが良かった。
わたしができないことは何でもやってくれた。
みんなで行ったカラオケで、トイレから部屋に戻ろうとして部屋がわからなくなっていると、「やっぱり。絶対迷ってると思った」と迎えに来てくれた。ねむそうな時は、人前でも膝を貸してくれた。魚は綺麗にほぐしてくれて、料理は全部よそってくれた。
そんな風に扱われる度に、自分がすごく子どもになったようで可笑しかったけれど、同時にすごく安らいだ気持ちになれた。
働いていたお店に行くと、目の前で料理しながらふざけてばちばちウインクをしたり、とろけるような熱さでお酒の瓶越しに見つめ合ったりした。自分が食べさせたいものを次々とサービスしてくれた。本当においしかった。 最後には必ず、手作りのアイスクリーム。最後の日はほうじ茶の味だった。
わたしの友達に、わたしへの感謝の気持ちを話しているのを嬉しく見つめていた。
お店で働く人も、わたしのことを覚えていて、喧嘩をしている時には気を遣ってくれたりもした。彼の置いたわたしの為の予約席の表示に、くすぐったい気持ちになった。
上がった後、隣に座ってわたしと友達を嬉しそうに見つめる。少し足が触れる。でも何も言わない。常連客に呼ばれるけれど、「今日は駄目なんですよ、俺のお客さんがいるから」と笑顔で断る。わたしと目の合ったおばさんの失望した顔に、優越感を感じた。ひらひらしたワンピースを纏いながら。
駅まで送る時、改札で必ず見えなくなるまで手を振ってくれた。もういいかなと前を向いて進んで、もう一度振り返ると、絶対にまた手を振ってくれる。みんながみんな、振り返ってもまだ手を振ってくれるわけじゃないと知っていた。
道を歩きながら、歌を口ずさむのが好きだった。「ごめんね~素直じゃなくて~」はわたしたちの世代に馴染んだ歌で、ふざけてよく歌っていた。
野球選手になり損ねてしまった彼と、楽器の奏者になり損ねてしまったわたしは、よく叶わなかった夢の話をした。
2番目の夢、料理人になってお店を出すことと、院に進んで通訳か翻訳の仕事に就くことを、叶えようとしたわたしたちは忙しくしていた。
「一緒に住めるなら」と彼は言った。東京と神奈川なのに、会いに行くには時間がかかりすぎていた。結局、一緒には住めなかった。女性しか入れないマンションに住まわされていたわたしは、守られ過ぎていた。
待ち合わせをした新宿の交差点。『アンドロメダ』のサビを思い出しながら渡った。人混みの中、どこかで彼が見ているような気がしたけれど、反対側に向かうことだけに集中した。
不意に、背中の方から声がした。振り返ると彼がいて、「気付かなかった?」彼は、私が気付くかどうかを試す為に、わざと黙って通り過ぎたのだった。
二人で笑った。わたしは、彼が目の前を通り過ぎたのに気が付かなかった。交差点の向こう側にいてもすぐにわかる自信があったのに。歌詞の通りになってしまった。
それが彼に逢った最後の日。あんなに好きだったのに。
わたしはわたしになることでいっぱいいっぱいだったし、彼は彼になることで忙しかった。
わたしに新しい相手ができると、すごくショックを受けていた。それなのに全然余裕な態度を取っていた。
結婚、とか、婚活、を考える時に、そんなものはおままごとみたいで笑っちゃうな、という気持ちになる、どうしても。
もうあれから何年も経ったのに。