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私は、「母親」になる気がなかった。

人は、本当に夢に見ていたことが叶うと、
案外落ち着いていられるらしい。

妊娠がわかった時、私はとても冷静だった。

ゆるーい妊活だったが、
仕事や疲れを言い訳に、授かるのに2年ほどかかった。
念願の我が子。待ち望んでいた命。

そして、次第に実感が湧いてきた。
未来が楽しみになった

なのに、正直に言おう。
私は「母親」になる気がなかった。

妊娠がスタートで、出産がゴールだった。

思えば、妊娠初期から打ちのめされていた。

妊娠発覚と同時に始まるつわり。
食べれるものが少ない。
歯が磨けない。
風呂に入れない。
夕方からトイレにかけこもる。
そして眠れない。

あれ、マタニティライフって、こんなしんどかったっけ?
まだ序の口なのに?

妊娠中後期になっても、しんどかった。

今度は胃が圧迫されて気持ち悪いし、痛い。
ご飯が美味しくない。
お腹が張って、通勤の途中で休まないと苦しい。
横になっていても辛い。

早く楽になりたい。
苦しみから解放されたい。

それでも、健診のたびに
我が子の成長を感じて嬉しかった。
胎動が強くなると、しんどいけど幸せだった。

それでいて、その出産が、ものすごく怖かった。
臨月に入って、毎日怯えていた。
コロナ禍でたった1人、
いつ始まって終わるかわからないお産を。

結局、陣痛とかお産の進み方とか、
怖くてほとんど情報に触れないまま、お産に挑んだ。

幸い、いきみ逃しはできたが、いきめずに、
陣痛促進剤を使って産んだ。

すごく痛かったが、
我が子に会えたら全て吹き飛んだ。

よかった。やっと会えた。
終わった。

そう、私の中のゴールは、「出産」だった。

「ママは特別」だと思っていた。

終わりのはずがない。
むしろここからがスタートだ。

怒られそうなことを正直に言おうと思う。
私は産前、ほとんど育児について学んでいなかった。

かろうじて、おむつの替え方など、
奇跡的に受けられた母親講座で覚えていたが、
ほとんど学んでいなかった。

なんで授乳が3時間おきにしなければならないのかも、
わかっていなかった。

やらないとわからないし、なんとかなるって思っていた。

それはそうだ、だって、
出産がゴールだと思っていたから。
産むまでが辛くて、産むことしか考えられなかったから。

案の定、初日からつまづいて、病院で涙が止まらなかった。

母乳をあげるのがこんなに難しいとは。
服の着せ方も学んだはずなのに焦って上手くできない。

こんなはずでは。こんなはずでは。

それは、退院して自宅に戻っても続いた。

私が抱っこすると、ギャン泣きされる。

夫が育休で約2ヶ月ともに子育てできたが、
夫の抱っこでは安心して寝るが、
私が抱っこするとギャン泣きして反り返る。

ショックだった。

あれ、ママって特別じゃないの?
10ヶ月の間あんなに一緒にいて、
苦しみも乗り越えて、痛みに耐えたのに。

私は産んだら、おしまい・・・?

最初の1〜2ヶ月は、
精神的にも不安定で、1人になったら泣いていた。
抱っこの仕方を必死に調べる。
授乳の仕方を必死に調べる。

そして挑戦するが、上手く行かない。

その焦りが、子供に伝わって、また泣かれる。

どうしよう。

どうしよう。

夫の育休が明けたら、私はやっていけるのだろうか。

母親になろうとする気持ちが、足りなかった。

いざ、夫の育休が明けて2人の生活が始まると、
逆に自分がなんとかしなきゃ、自分のペースで頑張ろう、
そう思えて、段々お世話になれてきた。

一日一日、どんどん成長していく。

そして、産後4ヶ月が過ぎ、心身ともに余裕が出てきた頃、
やっと気づいた。

私は、母親になろうとしていなかったんだと。

ママは特別だから、どうあっても嫌われない。
私のことを受け入れてくれるはず。

そう思っていた。

でも、突然この世界に出てきて、
初めて顔を見合わせるパパとママ。

その時から「人間関係」は始まるのだ。

赤ちゃんにしてみれば、
アフリカの大草原のど真ん中で、
いつ敵に襲われるかわからないぐらいの恐怖かもしれない。

親子といえど、他人である以上、
信頼関係を築いていく必要があったのだ。

いろんなことを学び実践し、
それぞれの親子の最適な過ごし方や触れ合い方を身につけていく。

それら全てが愛着形成だったんだ。

もちろん、赤ちゃんはそんな難しいこと、考えていないと思う。

だけど、
妊娠して産めば母親になれるわけじゃない。

自分自身が母親になろうとして初めて、
我が子が母親にしてくれる。

そのことを、身をもって実感した。

そして、すべて、私本位だった。

私がママなのに。私が頑張ってるのに。
私だってうまくやりたいのに。

全部自分のためだった。

それが、
目の前の我が子を安心させたい。
目の前の我が子が笑顔でいて欲しい。

目の前の我が子にしてあげたいと、
そう思い始めた頃から、
なんだかうまく回り始めたような気がする。

今なら自信を持って言える。この子の「母親」です、と。

5ヶ月を迎えた今、
最初に悩んでたことが嘘のように、
娘との毎日が疲れつつも幸せで仕方がない。

私も娘も、互いのことが掴めてきたのだろうか、
変に焦ったり泣いたりすることもなく、
毎日穏やかに過ごせている。

よかったな、この子の母親になれて。

今なら、この子の母だと胸を張って言える。
この子の母でいたいって言える。

「母親」になろうとしていなかった過去を思うと、
やり直したいような、少しだけ後悔もあるけれど、
あの時があって、今の私がいる。

娘に申し訳なかったと思う分以上に、
これからたくさん愛してあげよう。

そう思うと、どんなに疲れて眠たくても、
明日が少し楽しみなのだ。

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