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「比べない」って、すごく自由だ。
「比べない」って、すごく心が自由だ。
私がよければそれでよい。
私がそうしたいと思えば、それが正解。
基準が【自分】って、すごく自由だ。
そんな、当たり前のことなのに、すごく難しい。
…
昔から、自分にすごく自信がなかった。
そのくせ、承認欲求はそれなりにあった。
誰かといると、自分が惨めになる。
周りと比べて、自分が惨めになる。
だから、
あまり人と積極的に関われなかった。
一定の距離を保った。
心が乱されずに済むように。
だから、
友達もさほど多くなかったし、多くない。
こんな邪な気持ちを忘れさせてくれるぐらい、
一緒にいたいと思った人とだけ付き合いが続いている。
なんて、コミュ症なんだろう。
いやいや、コミュ症なんていう言葉で誤魔化すなよ。
人付き合いが苦手なのを、
そんな軽々しい言葉で言い訳するなよ。
そんな風に思っていた。
…
会社員の頃は、
友達とは違う人間関係に救われた。
それでも、
常にたくさんのプロジェクトを掛け持ちし、
中間管理職のような立ち位置で、
いろんな人に挟まれ、揉まれた。
プロジェクトごとに変わる、顧客、プロジェクトメンバー。
その組み合わせによって、十人十色。
だから、
その都度、都合のよいように立ち振る舞った。
時には悪者になり、時には味方になり。
昔、八方美人とか言われたことあったっけな。
コロコロ変わって受けかわす自分。
楽しかったけど、
疲れてしまった。
周りの人は、もっとうまく立ち振る舞っている。
どうしてこんなに「下手くそ」なんだろう。
そんな風に思っていた。
…
娘を出産して、社会から一度切り離されて、
【自分】の世界に落とされた。
今はすごく気楽だ。
単純に出歩く機会が減って、
そういう環境にいないからかもだが。
私自身も誰かと比べていない。
娘自身も誰かと比べていない。
私が娘にこうしたいって思えば、それでよい。
私が夫とこうしたいって思えば、それでよい。
かけがえのない、家族のことだけを、
ゆっくりと、冷静に、
見つめられる時間。
学生の頃も、会社員の頃も、
自分から遠いどこかを見て、
足元に落ちていたものを、見落としていた。
私自身と、私のすぐ近くの大切な存在。
それがよいと思れば、それでいい。
…
そんな今なら、少しだけわかる。
人と比べるから、人といたくない。
そんな感情の裏にあったもの。
他人の良いところを見つけるのが得意だからこそ、
比べて自分を傷つけてしまうから、
自分をちゃんと守って優しくしてあげただけだったんだと。
今なら、少しだけ、ポジティブに受け止められる。
…
「比べない」って、すごく自由だ。
今の私がよければ、それでよい。
今の私がそうしたければ、それが正解。
そう思った自分なら、
その先どんな結果になったとしても、
自由に人生を歩んでいける。
そう、思えるんだ。
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