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美しくあることは、贅沢だと思っていた。

今日も、帰宅途中のVoicyタイムにて、ハッとしたことを。

美しさ、というワードは、まさに今の私のアンテナが立つ言葉だ。

古谷さんのVoicyの中で紹介されている方のエピソードとしては、

美しさ=他人に媚びるもの、他人によく見せるためのもの

だったのが、

自分のために綺麗になる時期なのかもしれない

と気づいたという。

これはすごくわかるなぁと思っていて、ワーママをやっていると、

  • 子供に汚されてもいい服

  • 時短でささっとできるヘアメイクスキンケア

  • できる限り節約した買い物

みたいなものばかり選んでしまっている。

元々、おしゃれへの苦手意識が強かったのも手伝って、鏡に映る自分と、街ゆく素敵な人、そして肌ツヤ髪ツヤが抜群な娘を比べて、なんだか悲しくなったことが幾度もあった。

おしゃれは、贅沢。
綺麗は、贅沢。
美しくあることは、贅沢。

今の私にはそんな価値や権利はない。

そんなことしてる暇や余裕があったら、子供や家族のために時間やお金を使ったほうがいい。

いや、それも立派な価値観。

問題は、そうすべきだ、という誰にも強制されてないのにそう思い込んで我慢していたこと。

Voicyの中でも触れているが、自分が綺麗でいることは自分が満足するだけでなく、きっと子供も家族も嬉しい。

それは、ルッキズムとかそういうことではなくて、その人がちゃんと自分を大切にできていて、心が満たされて、心から笑顔でいられるからだと思う。

30数年生きてきて、子供も少しだけ大きくなり、私も今が、自分のための美しさを求める時期に来たのかもしれない。

とりあえず、伸びっぱなしの髪をどうにかするために、美容室に予約取るところかなぁ。

プチヘッドスパも、やってもらお。

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