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Episode 294 過去を許せとは言いません。

私とパートナーは全く別の人間で、それ故に考え方も違います。
特に私はASDという発達障害を抱えて生きているので、考え方のベースになる部分が独特であるケースがあちらこちらに見られるのでしょう。

私は、パートナーと私の思考パタンで大きく異なるのは、ここ最近話題にしている "Continue" と "Reset" の話なのではないかと思うのです。

何回か話題にしている様に、ASDの私は失敗するとゲームのリセットボタンのように、そのことを最初からやり直そうとする傾向があるのです。
だから "Continue" という失敗を糧にした「やり方の修正」が出来ずに、同じ失敗を繰り返してしまう…と。
これは多分「失敗した」という過去の事実に対してのスタンスが、パートナーとは違うことを意味するのだろうと思うのです。
簡単に言ってしまえば、私の「過去の失敗」の取り扱い方がパートナーのそれよりも軽い、ということだと思います。

失敗を糧にした "Continue" は、失敗した事実を踏み台にして自分の向きを修正するということです。
あの時あそこで走っていて転んだのは、路面に落ち葉が散らばっていて雨が降ったから…次は滑る落ち葉の雨の日は無理に走らない。
ここには具体的な痛みを伴って、どうすると失敗するのか、痛くならないようにするにはどうするか…という失敗に基づく経験があるのです。
"Continue" はこうして生まれるのだと思います…これは分かる。

恐らく…私は、具体的な痛みや成績表に残る点数など「五感で感じることの出来る失敗」がないと、それを失敗と認識できないのだろうと思うのです。

一方で "Reset" とは「無かったことにしてやり直すこと」なのです。
私の場合、具体的な傷や悪い評価がなければ、それは痛みという認識にならないのではないか?
つまり、失敗と認めていないのではないか?

パートナーが過去の「失敗」を振り返った時に、共通のそれを私は「失敗」と認識していなかったのではないか?
私にとって、それはただの「できごと」だったのではないか?

失敗は、自分をステップアップさせる踏み台のひとつであると思います。
自分自身が傷を作って痛い思いをして、それ故に痛くないようにするにはどうするかを考えるのです。
パートナーと私の23年間の結婚生活で、「失敗」の数がお互いで何倍も違うのではないか?
ステップを昇る回数が、私とパートナーでは全く違ったのではないか?
気が付けば、パートナーの経験というスキルは私の遥か上にあって…私が見上げる高さにまで差が開いたのではないかと思うのです。

過去の出来事を振り返った時に、パートナーの言う「それ」と私の「それ」は、同じものを指しているとは思えないほど重みが違う。
パートナーはその出来事を「失敗」と捉えて、自分の今後の糧にした。
わたしはその出来事を「できごと」としてとらえて、流してしまった。
当然、振り返った時に出来事の輪郭が全く違う…私はそんなことがあったこと自体が記憶にないこともあるのです。

私はそうやって私だけが思い出せない過去を全て許して欲しいとは言えません。
気が付いた今、全部を水に流してふたりでスタートライン…なんて言えません。

私は自分の "Reset癖" に気が付き、それがどれほどパートナーを傷付けてきたかを今は反省しています。
その上で更にパートナーにまで "Reset" を要求することは出来ません。
パートナーのココロの中には「積年の恨み」があるはず。
私はその恨みを含んだ全てを受け入れる必要があるのでしょう。

傷を癒し、成仏させるのはパートナー自身。
私が出来ることは、パートナーに安心してもらえる私になる努力をすることだけ。
一歩ずつ、歩いて行くしかありません。

旧ブログ アーカイブ 2019/7/5

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