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Episode 484 農家の真似ごとをするのです。

「郷里の家」の玄関の鍵が嫌いだ。
新しくもない引き戸のその鍵は、カチリと回る施錠と開錠の感触が微妙で、掛かっているの開いているのか分からないくらい手応えがない。
普段からその家に住んで日常的に扱っているのなら良いのだろうが、その「郷里の家」で生活しているのは両親で、「緊急の時に」と預かった鍵を使って私が家に入る機会は滅多にない。
灯りもついていない「郷里の家」の玄関でスマホのライトを頼りにガチャガチャと開錠を試みる…焦ってるな、私。

母はプロの洋裁師で、自宅に「工房」を持っているのです。
東京の多摩や大阪の千里にあるような高度成長期の公団団地に住んでいた両親は、団地暮らしで叶わなかった夢を「郷里の家」で実現させます。
父は大好きなクラシック音楽を聴くための書斎スペースを、母は自分の作業工房を、南側の日当たりのよい場所に用意したのです。
一階が父の書斎で、その真上が母の工房…そんな母が、念願の工房を手に入れて張り切っていた洋裁仕事を半分にしてまで「畑をやる」と言い出したのは、私がこの街に来た次の年ですから、平成23年(2011年)のことでした。

私の両親が現役の時代…日本が高度経済成長を成し遂げ、オイルショックの混乱を経ても尚、バブル期に至るまではなんだかんだ言っても右肩上がりの時代でして、その当時の家庭というのは「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に…」という男女分業を基本とした桃太郎型の「古い家制度」の残骸が残る、「サラリーマンとその妻」という典型がまかり通っていたのです。

音楽鑑賞と言えば聞こえが良い父の趣味ですが、積極的な趣味かと聞かれればそうではありません。
自ら身体を動かし、考えるような「何か」ではない…ということは、認知症のケアとしてはあまり良いことではないのです。
仕事一筋でマジメが歩いているような人だった父が、認知症の戸口に立って…自らの手で認知症の進行を遅らせる「何か」を見つけられる状況ではなかったというのか実際のところだったのだと思います。

父を外に引き出すために、母は県道を挟んで自宅の向かい側の農地を100坪ほど借り、父と2人で家庭菜園と言うには大きすぎる「農家の真似ごと」を始めるのです。
中古の農機具を購入して、耕運機がけや畝立てなどの大きな仕事を父に預けた母の本心が「野菜を作ってみたい」という純粋なものではなかったのは明白でした。

その頃の私はと言えば、なるべく両親が自力で出来ることには手出しをしない…と言えば聞こえは良いのですが、「郷里の家」とは距離を置くようにしていたように思います。
衰えていく両親の姿は会って話せば明白で、それを受け入れきれなかったのが本音でした。

口では「長男だから」を言いながら、それが一体何を意味するのかを知ろうとしない、老いていく両親と私の関係を、長男という「社会的な価値観」で輪切りにしただけの甘い考えだったのだと思います。
そして、ここでも社会性を自分の気持ちとすり替えることで自分の立場を確保するASD的な「本心を隠す」外モードが発揮されていたのだと、あの頃の私を振り返ってそう思うのです。


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