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Episode 366 必死でカードを切るのです。

ちょっと気になっていて、何が引っ掛かっていたのだろうと思うツイートがありました。

ASDの人は、色々気にして生きている…。
ものすごくよく分かるのです。
「でも何で…?」と聞かれて答えられなかったのです。

私のASD的な思考回路の落としどころのひとつに、「私はこれで良い」という自己肯定する自己完結があります。
なぜ、そこで「私はこれで良い」になるのか、それはきっと昨日の記事で説明できる…と。

RPGをやっているみたいな話です…きっと。
目の前のシチュエーションのリアクションとして自分が選んだ答えは、自分の持ち合わせている選択肢の中では最善のもの…但し、それが正解である保証はないし、確かめる方法もないのです。
でも、その選択をするという決断は必要なのです。
正解と分からないものを「間違えてない」と押し切るために、状況証拠で理論武装した「私はこれで良い」を用意する必要がある。
そういうことなのではないか?

だとすると、外から見た私の行動は自信たっぷりに見えるハズだし、内から見た自分自身の思考は自信のなさを自分の思考から追い出すために「私はこれで良い」を発動することになります。
つまり、内側からの気持ちと外から見える私の姿は恐らく真逆に受け取られる…ということ。

私の頭の中には未だに空っぽのブラックボックスが散乱していて、それを使うことに慣れているASDの私は、自分自身の思考がブラックボックスを通過しても「思考が短絡した」と意識することが出来ません。
自分の考え方の脆弱さを強制的に補強する方法として「私はこれで良い」があるとすれば、自信満々の裏表がスッキリと腑に落ちるように思うのです。

あぁ、やっとわかった。
自信があるように見える、本当は自信がないASDの姿。
イロイロと気にして見ているのは、持ち合わせている選択肢のどのカードを切れば良いか探しているから。
切ったカードが合っているのか確認したいから。

なんか可愛いよね…。
こんなことに必死だったんだと思うと。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/15

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