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Episode 365 責任逃れではないのです。

何気に呟いたTwitterでの一言が、意外にも伸びているので驚いています。

ここまで伸びるとは…。
みんな気が付いているようで気が付いていないことだったのでしょうかね。

私は一般論を書き込んだつもりはありません。
私がASDを自認する前と後の差を、素直に言葉にしただけです。

私には聴覚に過敏と鈍麻があるということは前からお話ししている通りです。
恐らく先に問題が発生したのは鈍麻の方。
小さな子どもは目で見て耳で聞いて、いろいろな事を真似しながら学んでいくのです。
私はウチの家庭環境もあって、聞くということを意図的に放棄したのではないかと指摘しました。
その結果、対人コミュニケーションの部分で大きな「後れ」を取ってしまった…もちろん、これだけが原因ではないのですが。
「こころの理論」を定型者が獲得し始める4・5歳のころに、上手く「あなたと私は違う人」ということを理解できなくて、その差を埋めるために「こころの理論」をショートカットしたブラックボックスを作るワケです。
インプットにアウトプットを強引に繋げて、見かけだけ帳尻が合っている様に見せかけるヤツね。
私は、このブラックボックス自体が「間違えていない」の正体だと思っています。

インプットに対してアウトプットされる答えを導き出すには、本当は途中の「計算式」が必要なんですよね。
ブラックボックスには、その「計算式」がない…当然です、短絡させているのだから。
それ故に、ブラックボックスには答えが正解なのか「検算」する方法がないのです。
状況的に見れば、そのインプットに対してこのアウトプットは正しい選択のハズ…あくまでも「ハズ」。

ブラックボックスは、周囲の反応を見て「このインプットに対してそのアウトプットを接続する」と学んだ方法…つまり結果を真似ているだけですから、答えそのものに私の意思は入っていません。
だから、ブラックボックスのアウトプットを表現して、周囲の反応がおかしくなければ、その選択肢は間違えていなかった…ということになるワケです。

私とあなたの切り分けが上手にできない中で、あなたと私が違うことが大前提の社会に生活しなければならないのです…これが現実。
私自身を表に出せば、「あなたの考え方が私とどうして違うのか」ということに理解が追い付かなくなる。
自分の考えていることを封印して状況的に正しいと思うものを選択するのが、波風を立てない現実的な方法だったのです。

このツイートに対して「アンチ」なリプもありました…責任逃れのように見えますからね。
それはそう取られても仕方がないのでしょう。
でも、無責任でこの思考にたどり着いたわけではないのです。

私がそう考えるに至った経緯が、他の人に尽く当てはまるとは思っていません。
何度も言っている通り、これは私の場合。

ツイートした通り、「間違えていない」と考えていたことに気が付いたのは、ASDを自覚して、自他境界線が今の齢になっても弱いと理解するに至ってからです。

この先の人生を考えた時、自覚して、振り返る意味は大きい…そう思います。
それが例え、人生の折り返し地点を遥かに過ぎていても…です。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/14

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