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Episode 480 あなたが決める話です。

前回の記事では「私はASDであって、どんなに努力しても定型にはなれない」ということを、ASD側の視点でお話ししました
そして、ASD×定型のパートナーシップとは、そのお互いの違いを認めることで成り立つ関係なのだと指摘したのです。

今度はその逆に、定型のあなたの視点を考えてみようと思います。
私はASDですから、これは想像でしかないのですが…。

再び定型のあなたには「スズメ」を演じてもらいます。
ASD男性である私は「白鳥」です。

私は本当はASDという「白鳥」で、大好きな「スズメ」のあなたがいる「この世界」に留まるためにスズメのフリをする…というのが前回までのお話。

お互いに愛し合い、パートナーになったあなたと私ですが、あなたは私の言動に不審な点を感じます
それはそうですよね…私はあなたと同じスズメではなく、スズメのフリをした白鳥なのですから。
どうしても滲み出てしまう「白鳥」の習性を隠しきることは出来ないのです。

ところが…スズメのあなたは「白鳥」である私に「スズメ」を見てしまうのです。
なぜならば、あなたが見た私は、確かにスズメの姿かたちをしていたのですから。
あなたは自分自身に悩みます…「私は本当にスズメなのかしら?」、と。
スズメのフリをした白鳥に振り回されて、本来は本家スズメであるハズのあなたは、自分自身の姿であるスズメを見失う…。

ASDのパートナーである私に対して「あなたは白鳥(ASD)だよね」と気が付くということは、定型であるあなたは「私はスズメ(定型)だよね」と気が付くということとイコールで結ばれる話だと私は思います。
ASDの私は「私は白鳥、スズメじゃない」と理解し、白鳥のままスズメとともに生きていく道を探すのです。
定型であるあなたが、それでもASDである私とともに生きるとは、「あなたは白鳥、スズメじゃない」と理解し、自分自身がスズメであることをしっかりと確認した上で、白鳥の私にスズメになることをを押し付けない覚悟を持てるのか…ということです。

先の「おおかみこどもの雨と雪」を題材にしたnote記事で私は、ASD自覚・自認後の理想形とは「雪」や「雨」の父親である「おおかみおとこの彼」だと書きました。

さらに言えば、「雪」や「雨」の母親である「花」は、ASDのパートナーを持つ定型者としての理想形です。
人間ではない姿を持つ彼の本当の姿を受け入れ、「自分とは違う」と明確に理解しているワケですから。
彼は人間の世界で生きていくために、人間の姿で人間に紛れて生活するのですが、その本性を押し殺すだけでなく、内側に含んでコントロールするのです。
「花」は、その彼の姿を理解した上で、彼とともに生きていこうと決心するのです。

ただ…「おおかみこどもの雨と雪」の物語と、実際のASD×定型のパートナーシップで大きく異なる点があって、パートナーと私がお互いに「私がASDである」と理解するタイミングは、パートナーシップを結んだ後のことが圧倒的に多いのが現実…ということ。

自らを見失いかけ、散々振り回したASDの私のことをどのように見るのか…は、私が決めることではありません。
それでも私のことを「白鳥」と認め、これからも一緒に生活しようと思うのは、あなたが私をどのように見るか次第。

このツイートの通りです。
ここでの問題は、私のASD自覚・自認ではなく、あなたが自覚・自認した私をどのように感じ、自分自身の傷を癒し、それでも私とともに生きていくのかを考える…ということです。

パートナーシップを結んだ後のASD発覚の場合、ASD自覚・自認は大きな鍵にはなるけれど、最も重要なのはそれではないと思います。
最も重要なのは、「傷ついてしまったココロ」を治癒して前を向くことができるのか…ということ。
私に出来ることは、これ以上あなたを傷つけないように最大限の努力をすること以外に何もないのだと思うのです。

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