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Episode 588 対等な関係が分かりません。

私が「正式に」自閉スペクトラム障害(ASD)と診断されたのは44歳の時のハナシで、それまで自分自身が自閉症者である…という認識はありませんでした。
尤も、二次障害のウツを経験して精神科に通う中で「もしかして(当時はその名称の方がピンと来ていた)アスペルガー?」という気持ちにならなかったワケではないのですが、それもずっと思っていたのではなくて、診断に至る数ヶ月前から程度のことです。
ただ…ASDは先天性のものであって、なんらかの理由で後天的に発生するものではないのですよ。
だから自覚していなくてもASDであることは変わらないワケです…所謂「無自覚ASD」ってヤツです。
自覚していようが無かろうが二次障害を発症する可能性はあるのですが、では「どちらか発症しやすいのか?」と問うたら、恐らく無自覚ASDの二次障害発症の方が多いように思うのです。
少なくとも私は、無自覚の頃の方が危険な状態になりやすかったワケで。

私のASD自覚の直接要因になるのは、その二次障害のウツを発症したことなのですが、そのウツを引き起こす原因になるのがASD特性に起因する対人関係トラブルでして、特に職場でのトラブルで部署内孤立した挙げ句にギブアップというのが「いつものパタン」だったのですよ…あまり褒められたハナシではないのですが。

先日の記事で私は受動傾向ASDの「自己完結/思考乗っ取り」の発動には、「思考乗っ取られ」という支配される快適さの欠如がある…と指摘しました。

それは「心の理論」の獲得が上手く行かなかったことによる対等な関係の欠如なのではないか…とお話ししたのです。
これが家庭内に起こると、パートナーや子どもに対しての「意見のゴリ押し」に繋がることがあって、正論故に質の悪い押し付けになるかも知れない「モラハラ/DV」の種になる可能性は否定できないのです。
では、私のように「仕事での孤立」の場合はどうなのか…ですが。

私の「仕事での孤立」には、ある「特定の条件」が関係しています。
それは「所属長になる/部下ができる」ということ。
いわゆる「ペーペー」で働いている時は、上司の指示に対して「イエッサー!」って仕事してれば良いワケですよ。
これは学生時代に「校則に何の不審感を持たなかった私」と同じ類のことだと説明できるハナシです。
更に言えば所属していた応援団は、一般学生の上の立場に立っても「息を合わせて応援すること」を活動の主目的にしているワケですから、一方的な「やり方のごり押し」は息を合わせると言う大義名分の元に許される正義なのですよ。

一方で企業活動の上司には、軍隊的な統率を求める方向性が乏しいのです…これは私の経験上、特に営利企業に於いては。
主目的である「企業活動を通じて儲けを出し、企業活動を継続して生活する」ことへの方策は、時流を読んだ選択に左右されるワケで、普遍的な理念でゴリ押しすることは難しいのです。
当然のことながら、上司と部下の関係は「上長と部下」という上下関係以外に「業務を達成するチーム」という側面があるワケです。
この「チーム」をどのように成立させるのか…という点について、トップダウンのゴリ押しで「全てOK」になるワケがないのですよ。
そこには、上司と部下の信頼関係が必要になるのです。
どこぞの芸能人が「理想の上司像No.1」になった…って話題は、この信頼関係と好感度の問題ですよね。

振り返ってみれば…
前職を離れる時も対人関係で擦り切れてボロボロで、
営業から事務に移る時も得意先との対人関係がダメで、
事務職で対人関係で孤立して
製造の親方では百戦錬磨の熟練工とそりが合わず
2度目の親方では工場長からも部下からも集中砲火を浴び
物流部門に移って、一所懸命に仕事をしようと努力して自己崩壊

私は、企業活動において受動傾向ASDの「自己完結/思考乗っ取り」のという自分の弱点に気が付かずに、孤立して壊れたのです。
それは「部下が付いてきてくれない」とかいう類のハナシではなく、家庭内で起これば「モラハラ/DV」と呼ばれることが企業内で起こった…いわゆる「パワハラ」案件です。

私は、上司と部下の間に「上下の関係」と「対等な関係」が並立していると思っていなかったのだと思います。

私は私の過去を振り返り、「心の理論」の獲得が十分に出来ないことの弊害が、私自身のこんなところに影響している…と、やっとわかったのです。
その奥に潜むのは、受動傾向ASDに見え隠れする「支配されることへの安心感」と、その結果として「支配することの全能感」の関係性なのでは…などと思うのです。

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