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Episode 582 虎の威を借りる『制服』です。

「私ね、『制服』が大好きなんです」…というと引かれることが多いので、殆ど言う機会は無いのですけど、でもやっぱり好きなんですよ。
何でそのように思うのかと言うと、そこには「私と制服の良好な関係」があったからだと感じるのです。

先ず以って制服は便利なのですよ。
就職してから制服を着る機会がある方がどのくらいいるのか分かりませんが、子どもの頃に「学校」という枠組みで制服を着たことがない方は、日本で生活する上ではあまりいらっしゃらないのだろうと思います。
制服については、校則による「生活指導」も合わせて色々な問題を抱えているのは間違いありません。
日本の学校の成り立ちについては過去にも話題にしてきたワケで、障害があるという「普通ではない」ことが受け入れ難い…という問題点を抱えることは指摘した通りです。

その一方で、日本の伝統的な(軍隊式)教育体制と私のような一部のASDとの相性は非常に良くて、それはつまりトップダウン型の指導と受動型思考のASDの相性の良さという図式で説明できるのですが、そういう意味で「統率を目的とした」制服と、自らの意思を隠す傾向のある受動傾向ASDの親和性は高いワケですよ。
制服を着て行って問題が発生する場所…は、社会通念上「タブー」とされている場所以外は殆どなくてですね、日常生活を送る上で「制服を着ていれば大体OK」の場合が多かったのは間違いないのです。
まぁ、私が中高生だった昭和末期の話しですけど。

そこに輪をかける様に私は応援団の所属だったワケで、「団バッチ」が胸ポケットに輝く学生服が、どこに行くにも『無敵』だったのは間違いないのです。

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このことは、私の「主体性の無さ」を隠すのに好都合だったワケです。
「私はこうありたい」を強く押し出すことは苦手ですからね、何か社会的に認められる「通念」を借りてくる必要があるワケですよ。
その点で「ファッション」というのはつかみどころが無く、時代の流れと自分のセンスと色濃く反映する分野に深入りすることができなかったのだろうと思います。

3年ほど前に「ファッション」について記事を書いていますが…ウダウダと偉そうな理由を並べて自分のファッションについて解説してますけど、読み返せば…一級品と誰もが認める「看板」に縋っている自信の無さが見えかくれします。
高校を卒業して制服を脱いだ後に、学生服と同じだけの自信を持って着られる服を、自分のセンスで探せない…ということです。

私が制服を着ていたのは高校生までです。
それから30年以上の月日が流れ、それでも制服に「良さ」を見出してしまう私は、未だに「ブランド」という看板に寄り掛かって生きている気がします。

もちろんASDだから制服が好きなのだ…と言っているワケではないのですよ。
ただ「制服」が、自信がない自分を隠すための「虎の威」であった可能性は高いのです。

制服ファンには、こんな風に制服に拠り所を求めてしまう人もいるのだと、そんなことを思うのです。

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