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Episode 364 気持ちを表現したいのです。

ハッキリ言って、発達障害の問題とACの問題は全く別の話であって、これを混同して考えればそれぞれの問題を歪んで捉えることになってしまうと思います。
でも、本当にそうなのか…と問えば、一概に Yes. と答えられない私がいたりします。

だってさ…。

私に「お姫様だっこ」をせがんだふたりの女性…それに対しての私のスタンスは、多分違っていたのです。
黒髪の彼女は、彼女自身の傷を癒すために私に近づいたように思います…癒されたい一心の「甘え」です。
それに対してパートナーも、傷という意味では相当深かったと思います…けれど、そこには「甘え」が無かった。

私の足場はどこにあったのか…ポイントはそこでしょうね。
恐らく…黒髪の彼女は、彼女が自ら境界線の小川を越えて私の岸に飛び移ったのです
傷を癒すにはお姫様だっこされる距離が必要なほど大きな痛手だったのだろうと思うのですが、彼女に対しての私は、私の持ち得る恋愛ストーリーを再生するのが精いっぱいだったのだと思います。
何故ならば、私は小川を飛び越えて対岸に移るというリスクを全く背負っていないから。
簡単に言えば、傷を癒すために、自ら岸を渡ってだっこされに来たのが黒髪の彼女です。
その一方でパートナーは…私がパートナーのことを気にしていることを知っていて、岸を越えるように「挑発」したワケです。

恋愛の破壊力ってすごいのだと思うのです。
だって、一番苦手な分野に自ら入り込もうとするんですよ
人つき合いが極端に弱い私が、自分の性格を捻じ曲げてまで彼女と一緒にいることを選択するのですから。

そう、自分の性格。
先天的なASDという特性と、それ故に獲得してしまった後天的なACな部分は、原因が違っていても私の性格を作り上げる上での要素として、大きな部分を占めることには変わりはないのだと思います。

同じように見える「お姫様だっこ」のシチュエーションで、これほどまでに私の感じ方が違うのです。
ひとりの人間でこれですよ…こっちのあなたも、そっちのあなたも、私と同じに考えるワケないじゃないですか!

定型者であろうと発達障害を抱えていようと、先天的な性格があって、それに様々な後天的な要素が重なって人格がつくられるのでしょう。

私がお話ししたいのはASDやACの科学的な分析ではありません。
ASDを抱え、最近ACも自覚するに至った「ひとりの人間」の考えていることです。
私に個性があるように、他の誰にも個性がある。
もしも黒髪の彼女が自ら岸を渡らずに私が岸を渡るように誘導していたら、パートナーと出会っていなかったかもしれません。
それは相手がいて相手の考えがあって、そしてASDの思考の問題のみではなく、ACの特徴だけでもない、その両方を持ち合わせた私の個性だからそんな結果になったということなのです。

最終的に行きつく場所は、人と人の問題。
私はその感じ方を表現したいのです。
結果それが、ASD的でAC的なだけの話…ということでしょう。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/13

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