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Episode 359 背中に傷があるのです。

私はパートナーを見て、そしてASD者を相方に選んだ定型者のお話を聞いて、ASDという特性を持った人を好きになってしまう精神状態というものが、定型者側にあるのではないかと感じています。

パートナーと付き合う前、私には3つ年上の彼女がいました。
学校のサークルの先輩…私が1年生の時、就活中の4年生でした。
小柄で華奢、黒髪のおかっぱで、おとなしそうな美人さんでした。

サークルは地味な文化系で、大学で学ぶ専門分野に合わせて選んだ学術サークル
私の大学入学が1989年のことですから時代はバブル景気真っ只中、世の中が浮かれまくっていたころの派手なサークル活動…とは無縁の世界でした。
尤も、私が進学した学校は県庁所在地とは言っても小さな地方都市であって、バブルの恩恵なんか全くないに等しかったのですが…。

サークルの夏合宿と言えば、なんか楽しいことありそうな雰囲気の響き…ですが、何しろ学術系サークルの話でして、テーマに沿った内容の文献を読み漁ってレジュメを作って発表・討論というのがその内容。
夕食後の宴会だけが楽しい思い出の、ジミ地味な3泊4日なのです。

でも…そんなジミな合宿でトンデモナイことが起こるのです。
あの先輩、耳元で「あそぼ」って言うんです…。

それをキッカケに付き合うことになった私と黒髪の彼女、結局彼女の卒業と同時に別れることになるワケですが…後になって彼女が私と付き合うちょっと前に、実は「中絶」していたことが分かって…。
もう、何がなんやら分かりません。

ASDの私は、環境をリセットすることで自己肯定感の「水晶玉」を固く守ってきました
それは時として強烈なオーラを放つことがある…というのは以前にお話しした通りなのですが、そのオーラを感じやすい人が世の中には存在するのだと思います。

中絶という事件が原因で彼氏と上手くいかなくなった黒髪の彼女は、どれほど失意のどん底にいたことでしょう。
当然、自己評価も自己肯定感も地に落ちた状態に近かったのだろうと思います。
でも、それを誰にも言い出せない…言いにくいですよね、中絶。
表向きには明るく振る舞って普段通りを装っていても、どれほどキツかったでしょうね…。

多分、ASD的な社会に迎合しない我が道を行く感じは、彼女の眼にはまぶしい程の自己肯定感を放っていたように見えたのではないか…。
彼女はフラフラと私に近づき、助けを求めたのだ…と、今ならそう思います。

パートナーと私が付き合うキッカケは私のひと目惚れだと何度も言っているワケですが、パートナーから見て私はどうだったのか?
付き合い始めたあのタイミング、パートナーの自己肯定感が高かったとは、私には思えないのです。

人間ですから良い時も悪い時もあって、悪くて苦しんでいる隣を強烈なオーラが掠める。
ASD的な出会いの裏側には、定型者の傷が隠されている。
私の数少ない恋愛経験で全てを語るのは無理です。
でも私は…私の経験上、それを感じずにはいられないのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/8

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