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Episode 205 助けを求めても良いのです。

子どもたちが成長していく過程は「世界が広がっていく過程」とリンクしていると思います。
生まれたての新生児は母との関係が一番強く、そして父、兄弟姉妹、公園に遊びに行くようになれば幼なじみ、そして保育園や幼稚園、小学校、中学校と続いていくなかでコミュニティを広げていくワケです。
それは決して定型者と呼ばれる人達だけの話ではありません。
私のようなASDと呼ばれる発達障害を抱える人であっても、成長に合わせてコミュニティは広がっていくのです。
ただ、発達障害を持つ人は定型の人と違った発達の仕方をするのだと、私は考えています。

発達障害とは、脳の特定部分がうまく機能しないために起こる障害だと言われています。
でも、その障害を最初から理解して成長する発達障害の当事者は100%いません。
当事者本人はその場の社会に適応するために自分なりの方法を編み出します。

学校に向かう通学路があるとします。
普段使う通学路は、安全であることが大前提で、その上で距離が近いことが決め手になるはずです。
でも、発達障害を持つ人の通学路は、普段使いの通学路が工事中で通れないのです。
仕方がないので迂回路を通って学校に行きます。
ある人は、安全性重視で遠回りの道を選ぶかもしれません。
またある人は、ちょっと危ないけど垣根をすり抜けて最短の抜け道を選ぶかもしれません。

普通は何の不思議もなく安全で通りやすい道を選んで通るのでしょうが、発達障害を持つ人は目的地にたどり着くために定型者とは違うルートを通って目的地にたどり着くのだと私は思います。
アウトプットとして学校にたどり着くことは変わらないのですが、その内容が大きき違うのです。

単純で狭いコミュニティの中では対応できたやり方が、コミュニティが大きくなっていくに従って上手く対応できなくなってくる…。
通りたいルートが通れないことで回り道は更に複雑になり、たどり着けない場所も出てくるのだろうと私は思うのです。

それでも膨大な回り道をしながら目的地にたどり着く努力をするのです
みんなが通る道が通れないから回り道をしてる…なんて思ってませんからね、最初から通ったことなんかないのですから。

そう考えると、発達障害を持つ人が定型者から見て不思議で独特な考え方をする理由が見えてきます。
アウトプットされてくる目的地が同じである以上、プロセスの部分はあまり評価されないのが今の世の中です。
発達障害が発見されにくい理由もこんなことなのだろうと思います。

子育てで一番多いのは、自らの記憶を振り返って子どもと接することなのだろうと思います。
ところで、そもそもの私の思考パタンが「遠回り」または「危ない橋」であるとしたら、どうでしょう?

それが愛すべきパートナーに向けられた時には「カサンドラ症候群」となり、
それが愛すべき子どもに向けられた時は「毒親」となる。

私は発達障害をなるべく早いタイミングで自認し、劣等感なく受け入れることが重要だと考えています。
そしてそれをひとりで抱え込まないことが大切だと思っています。

ズレてブレている部分は抑え込まずに助けを求めれば良い。
そこで頑なにならないことが社会で生活していくカギになると…私はそれを「社会に on する」と表現して何度も言ってきました

それが「カサンドラ」や「毒親」を回避する大きなポイントになるような気がします。
先ずは自覚、そしズレの確認をしてもらえるパートナーがいる環境が、発達障害者の生活を安定させるような気がするのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/7

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