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Episode 19 きっとみんなちがうのです。

私は左利きです。
左利きの不自由はイロイロとありますが、それでも社会の中で普通に生活しています。
あ、あくまでも利き手の話です。

先日、ハサミを頻繁に使う仕事が突発で舞い込んだのですが、上司が気を利かせてくれたのでしょう、左利き用のハサミを借りてきてくれました。
左利き用のハサミは、刃の咬み合わせが普通(右利き用)のハサミと逆です。
左手で切りやすい様に出来ているハズです…が、すみません、私は左利きなんですけど、左利き用のハサミを上手く使えないんです。

普通、職場の事務所なんかに左利き用のハサミなんて置いてありません。
職場に限らず、大概の場所はそうです。
だから、左利きの人のほとんどは、左手で普通のハサミを使わざるを得ないのです。
すると、どうやったら左手で普通のハサミを使えるかを自然と学習してしまうのです。
結果的に、左利き用のハサミの咬み合わせに慣れていないから、かえって使えないということです。
その場に状況に合わせて適応しちゃったってことです。

それで、山手線の話です

私の場合、ヤジロベー的な思考パタンだってお話をしました。
でも、これはあくまでも「私の場合は」です。
医学的な根拠などありませんが、当事者の感覚として「過敏/鈍麻」があるからこそ、それに対応する最善の方法として今の思考パタンがはまったという気がするのです。

認知特性は「視覚」「聴覚」「言語」でどれが一番ものごとを覚えやすいのかを言い、過敏/鈍麻は五感で過剰反応する感覚があるかを言う、違った基準の話です。

私は聴覚に過敏/鈍麻があり、弱いながらディスレクシアの傾向もあります。
その結果として、無意識のうちに視覚に頼る認知が鍛えられたのではないか、と思うのです。
仮にディスレクシアの傾向が無ければ、無理やり文字を音声変換せず、視覚で文字を鷲掴みにして言語を認識していたかもしれません。
もしそうならば、ヤジロベーのバランスが取れない、山手線の「視覚駅」と「言語駅」は繋がっているけど、「視覚駅」と「聴覚駅」間の線路が壊れている感じでしょうか。
それなら、聴覚過敏/鈍麻の感覚も今の私とは違って感じるのでしょう。

AS/ASDでいろいろなタイプの人がいるのは、きっとそう言う事だと思うんです。
どこに過敏/鈍麻があって、どんな認知特性を持っているのか、その組み合わせは数限りなくあって、自分なりに持てる能力を使って理解して表現しようとする…というこではないか、と。

だからAS/ASDの「症状」って本とかにイロイロ書いてあっても、それって表に出ている氷山の一角で、海底の部分が見えてないから、モグラ叩き的な薄っぺらい現象に見えるんだと思うんです。
同じ特徴に見えても、その背景にあるものはきっと全員違うと思うんです。

このブログは、みんな違うを認め合う「灰色の虹を作る」語りにしたいと、改めて思うのです。
私はそんな話をしていきたいと思っているのです。 

旧ブログ アーカイブ 2018/10/3

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